2017/5/15

武蔵野美術大学「《原爆の図》という絵画実験」  講演・発表

武蔵野美術大学日本画科研究室で、課外講座「《原爆の図》という絵画実験」を行いました。

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課外講座の前には、内田あぐり先生の案内で、4年生の授業で挨拶をしたり、大学院生の制作の現場を見てまわったり、まあ、私に何が言えるわけでもないのですが、若い学生たちの創作のエネルギーを久しぶりに感じて、楽しい時間になりました。

課外講座では、《原爆の図》以前の丸木位里・赤松俊子の個々の作品を簡単に紹介してから、1953年の映画『原爆の図』と1986年の映画『劫火』の中の共同制作の映像を見てもらい、異なる画家同士が互いの表現をぶつけあう共同制作の実験性について考え、全国巡回展など《原爆の図》がその後にたどっていく道のりにも触れました。

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(撮影:後藤秀聖さん)

膠の研究をしている内田先生と後藤秀聖さんの関心もあり、今回は、丸木夫妻が使った画材について、俊の姪で養子となった丸木ひさ子さんの協力を得て調査した内容を発表しました。

現存する画材は丸木夫妻が晩年に使っていたものですが、それでも《原爆の図》について考える上で、手がかりになりそうです。

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まずは妻屋の鹿膠。
膠は絵具を画面に定着させるための定着剤として使われます。丸木夫妻はこの鹿膠を愛用していたようで、使いかけのものや封が開いていないものなど、袋がいくつも残っていました。このほか、ゼラチンパウダーなども併用して使っていたようです。

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続いてミョウバン。
紙の滲み止めなどに使用する礬水(どうさ)は、膠とミョウバンを混合した水溶液で、こちらも丸木夫妻の制作には欠かせないものでした。袋を見ると、地元・東松山の工業団地で製造されたものを入手していたようです。

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こちらは中国製の墨。
1970年5月5日の日付で「中國プロレタリア文化大革命勃発以前に製造された現代墨(徽州胡開文製)ですが再入手できません」とのメモもありました。
丸木夫妻は中国と深い交流があり、紙と墨は中国から取り寄せることが多かったと聞いていますが、もう少しじっくり調べてみたいところです。

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クサカベのピグメント(顔料)もありました。
ヴァーミリオンをはじめ、プルシャンブルー、カドレットオレンジ、ウルトラマリンライト、カドイエローミドルなどと記された袋が残っています。ひさ子さんによれば、この絵具はよく使っていたそうです。《原爆の図》の彩色もおそらくこれでしょう。

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それから、ナカガワの水干絵具。
こちらはそれほど使っていなかったようですが、内田先生によれば、どちらも一般的なもので、決して高価な絵具ではないそうです。

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このほか、朱墨液も残されていましたが、ひさ子さんによれば、朱墨を使うことは多かった、とのこと。炎の色が何種類か見られるのは、朱墨とピグメントのヴァーミリオンを使い分けていたのでしょうか。

講義の後は、先生や学生たちとともに鷹の台駅前の居酒屋で打ち上げ。
高校生の頃に「日本画の前衛」展を観て影響を受けた、という広島出身の大学院生もいて、何だか嬉しくなりました。
日本画科の内田先生、西田俊英先生、そして後藤さんはじめ、お世話になった皆さま、どうもありがとうございました。
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