2015/12/15

板橋区立美術館「井上長三郎・井上照子展」  他館企画など

夕方、青年劇場の公演『あの夏の絵』に向かう前に、成増で途中下車して板橋区立美術館で「没後20年 井上長三郎・井上照子展」を見ました。

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画家夫婦の二人展ということで、丸木夫妻と重ねるところも多い展覧会です。

まず気になったのは展覧会のタイトル。丸木夫妻もしばしば「丸木位里・俊」と妻の名字を省略されることが多いのですが、それについて俊は快く思っていなかったと聞いています。
きちんと「丸木位里・丸木俊」、「井上長三郎・井上照子」と姓名を並記することは、細かいところだけど、お互い独立した個人なので基本であると思います。

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井上夫妻と丸木夫妻は長崎アトリエ村で近くに住んでいて、戦時中は長三郎も位里・俊も美術文化協会で活動していました。
今回も展示されている長三郎の《漂流》は、1943年9月、藤田嗣治が《アッツ島玉砕》を発表した「国民総力決戦美術展」に出品し、展覧会開催から2日目に撤去されてしまったという、いわくつきの作品。
それについての長三郎の飄々とした回想は、なかなか面白いです。

 最後の戦争美術展ですよ。僕ははりきって描いたんですがね、あ、丸木(位里)君がいってましたがねえ、これは大臣賞をもらえるなんて。参謀本部の将校が来て、これは厭戦的だからって撤回されましたがねえ。美術文化でもねえ、これは大臣賞をもらえるなんて。参謀本部の将校が来て、これは厭戦的だからって撤回しましたがねえ。美術文化でもねえ、僕の絵は中国の御葬式を描いてましたが、これは撤回されましたがねえ。その前は独立展で屠場の絵を描きましたがねえ、時代的に人気がなかったんでしょうね、ただ興味のあるものを描きゃあいいと思ってましたからねえ。「漂流」は、レイテかどこかの島から実際に漂流(南太平洋を三十日漂流した事件がありました)するんですから、これはもう時局的な絵のつもりだったんですがねえ。いま見ても暗い絵だから、当局も目が肥えていたんでしょうねえ。
 (司修『戦争と美術』p.104)

位里さんが、いいかげんなことを言って煽っていたようなのが、じわじわと可笑しい回想でした。

戦後、長三郎は「東京裁判」を主題にした油彩画を残しています。
俊が東京裁判を取材したスケッチが『アカハタ』1946年8月3日に掲載されているので、あるいは日本美術会でいっしょに行ったのかもしれないと思って担当学芸員の弘中智子さんに聞いてみたのですが、長三郎は直接取材はしていないのではないかとのことでした。

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たしかに、傍聴していた俊が横から東条英機らを描いているのに対し、長三郎の東京裁判の絵はほぼ正面から描いています。写真か何かをもとにしたのかもしれません。

井上照子の作品は初めて見ましたが、実は女子美術専門学校に通っていて、俊の1学年下だったようです。同じ西洋画部ですが、照子は高等科、俊は師範科なので、面識があったのかどうか。
図録の中嶋泉さん(広島市立大学)の論考によると、照子も当時の女子美術には「モダンガールの様な人の集まっている学校」と幻滅していたそうです。俊も同じで、本気で画家になりたくてバリバリ描きたかった学生には、当時の女子美術の雰囲気は物足りないものだったようです。

ところで弘中さんの企画は、細部の工夫がどこかしらかわいらしく凝っているので、いつも楽しみなのです。
今回はチロルチョコの展覧会特別バージョンを作ったとのことで、「丸木美術館でも試してみては」とチョコ3粒としおりのセットを頂きました(写真右下)。

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このチョコは「いい夫婦の日」のプレゼント用のオリジナルグッズだったとのこと。
丸木美術館に持ち帰ったら、スタッフのM子さんにも好評だったので、近いうちに、位里・俊・スマのチロルチョコセットが、新グッズとして導入されるかもしれません。
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2015/12/25  20:17

投稿者:PineWood

最終日に本展覧会を見に行きまし
た。東京裁判の絵画の前に孤独な
老ピアニストの絵画があって印象
的。ベトナムの戦場で横たわる兵
士など画面の入れ方や色彩、構図
、低い空など秀作が並びます。井
上照子作品もクレーのタッチがい
い!心象風景の詩情豊かな絵画!


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