2017/6/17

1950年代幻灯上映会・時代劇特集  イベント

毎年恒例の「1950年代幻灯上映会」。
今年は時代劇3本立てという珍しいプログラムでした。

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前日まで海外公演をされていた活動弁士の片岡一郎さんが駆けつけ、「さすがプロ!」と思わせる臨場感のある熱演をして下さいました。

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最初の上映作品は『裏切者』(製作年不詳 製作:エルモ社/フィルム提供:福岡市総合図書館)。
プロスペル・メリメの短編小説『マテオ・ファルコーネ』を、舞台をコルシカ島から筑波山麓に移し、幕末の天狗党の乱を背景に翻案したスリリングな作品で、幻灯ならではのパノラマショットを駆使している表現が、とても印象的でした。

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続いての上映作品は『修行者と羅刹 涅槃経 雪山童子 物語』(製作年不詳 製作:日本光芸株式会社 松尾プロダクション/作:榎本晃/企画:近藤真頂/作画:粟津潔/フィルム提供:福岡市総合図書館)
企画者の鷲谷花さんによれば、「寺院は学校や官庁と共に幻灯製作メーカーの有力な顧客だった」とのことで、多くの仏教説話が幻灯作品になっているそうです。
この作品もそのひとつなのですが、注目すべきは、1950年代にグラフィックデザイナーとして鮮烈なデビューを飾り、原水禁世界大会のポスターなども手掛けている粟津潔の名が、「作画」として記されているのです。
そのため、粟津潔の息子のケンさん一家がわざわざ幻灯を観に来てくださいました。ケンさんによれば「この表現が粟津潔、と言える特徴は幻灯の絵には一切見られなかった。作家としての個性が確立する前に描いたのだろう」とのこと。これまで幻灯を手がけていたとは一切聞いたことがなかったそうですが、若い頃は映画の看板描きの仕事をしていたので、そうしたつながりから幻灯の仕事もこなしていたのではないか、と推測して下さいました。

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休憩をはさんで、最後の上映作品は『ひとくわぼり』(1956年 製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化株式会社/原作:上野英信/作画:加太こうじ フィルム提供:神戸映画資料館)
鷲谷さんによれば、筑豊地方に伝わる民話に、魯迅『故事新編』中の短編「鋳剣」の影響を加味して創作された上野英信の原作をさらに脚色している作品とのことですが、上映時間45分という前後編の大作。片岡さんの熱演はたいへん見応えがありました。
この作品の見どころは、街頭紙芝居の作者として活躍した加太こうじによる作画表現。片岡さんによれば、紙芝居作者らしく、幻灯をスクロールする方向を計算して登場人物の向きなどが描かれていて、絵のつながりが非常に優れているとのことです。

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上映の後は、鷲谷さんと片岡さんが幻灯の歴史や表現的な特徴などを解説して下さいました。
参加者の関心はたいへん高く、会場のほぼ全員が順番に質問をしていたほどでした。

丸木美術館で幻灯上映会をはじめて3年目。
はじめの年には『松川事件 1951』の作画に桂川寛がかかわっているという発見があり、昨年は満州映画協会に勤務されていた90代の女性が来場されました。そして今年は粟津潔の知られざる幻灯作品の発掘。
映画に比べて、注目される機会の少ない幻灯ですが、まだまだ興味深い発見がひそんでいる予感がします。
1950年代には社会運動の重要なツールとして活用されていただけに、今後も条件の許す限り、丸木美術館で上映を続けていきたいと考えています。

鷲谷さん、片岡さんはじめ、ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
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2017/6/11

ユンカーマン監督映画『劫火』上映+アフタートーク  イベント

丸木美術館開館50周年の関連企画として、ジャン・ユンカーマン監督による丸木夫妻の記録映画『劫火―ヒロシマからの旅』の上映会を行いました。

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ユンカーマン監督も駆けつけて下さって、到着早々、さっそく地元高校の新聞部がインタビューをしていました。

後に『日本国憲法』や『うりずんの風』を撮るユンカーマンさんの出発点は丸木夫妻だったのだなあと、あらためて噛みしめながら映画を観ました。
30年前の公開になりますが、今の時代につながるメッセージも込められていて、とても丁寧にまとめられた作品です。

上映後のトークと質疑応答も気持ちの良い内容で、後でユンカーマンさんからも「良い時間でした」とメールを頂きました。

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丸木夫妻の絵画からは、決してセンチメンタルではない美しい勇気を感じた、というユンカーマンさん。
映画の構成は最初から決めていたわけではなく、1年くらいかけて編集しながら、ふさわしいトーン、話の運び方を探し当てていくような仕事だったそうです。

位里さんは口数が少なく、インタビューはほとんど100%映画に使ったとのこと。
「あんたは私のことよくわかってるんだから、自分でやんなさい」と言われて、途中でインタビューが終わってしまったというエピソードには、会場から笑い声が起きていました。

俊さんは逆に、いつも初めて質問に答えるように、いくらでもインタビューにくれたそうです。
それは演技ではなく、俊さんが培った人とのコミュニケーションの術で、小学生に対しても同じように真剣に答えていた、とユンカーマンさんは振り返っていました。

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40年以上前に丸木美術館を初めて訪れた時、《原爆の図》を見て、被爆の本当の姿を初めて見たと衝撃を受けたというユンカーマンさん。
「生と死の境界を越えた絵画」で、「忘れてはならない歴史の記憶を残した」という丸木夫妻の仕事の意味の大きさを強調されて、会場は大きな拍手に包まれていました。
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2017/6/7

《大逆事件》公開特別講演 白井聡「永続敗戦と安倍政権の本質」のお知らせ  イベント

《大逆事件》公開の関連企画として、『永続敗戦論』の著者で気鋭の政治学者・白井聡さんをお招きして、「永続敗戦と安倍政権の本質」と題する特別講演を開催することになりました。
どうぞ皆さま、ご来場ください。

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《大逆事件》公開特別講演 白井聡「永続敗戦と安倍政権の本質」
7月16日(日)午後2時より 入館料+1000円
※当日は午後1時に森林公園駅南口に送迎車が出ます。

【講師プロフィール】
白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京生まれ。京都精華大学人文学部教員。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。 専門は、政治学・社会思想。2013年『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。著書に『未完のレーニン』(講談社選書メチエ)、『戦後政治を終わらせる』(NHK出版新書)ほか。
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2017/6/6

川越市霞ヶ関北小学校にて出張授業  講演・発表

今日は午前中に地元の川越市立霞ヶ関北小学校で出張授業。
川越市立西図書館、伊勢原公民館との複合施設として2002年に建てられたという現代的な校舎で、公民館の視聴覚室を使って6年生3クラスの「平和学習」を行いました。

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テーマは原爆ということで、丸木夫妻の映像なども見せながら、爆心地で何があったのかを伝えられないことの難しさや、それでもなお私たちが72年前の惨禍を学ぶことの意味について、3時間目と4時間目を使ってお話したのですが、子どもたちの反応がとてもよくて、質問にもすぐに答えが返ってくるので、楽しく話すことができました。

偶然、3月まで別の小学校で息子の担任をされていた先生が、4月からこちらの小学校に転任されていて、思わぬところでお会いするという驚きもありました。

ともあれ、地元の子どもたちに《原爆の図》の存在を知ってもらえるというのは、本当にありがたい機会です。

午後は丸木美術館に戻って、今度は高校の生徒団体160人ほどを相手に、絵の前で館内説明。
6月は毎年、学校見学の多い季節です。
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2017/6/4

富岡太美子油絵展/座・高円寺「まつろわぬ民」  他館企画など

午前中、川口市立アートギャラリー・アトリアで富丘太美子さんの個展を観ました。

富丘さんは元小学校教諭で、退職後に油彩画をはじめ、画家の夫の急逝後に、夫が描いた鋳物工場を探し当てたことから、キューポラをテーマに描くようになったそうです。
「だから絵の技術はないんです」と控えめに笑う富丘さんですが、以来20年、ずっと鋳物工場で働く人たちを描き続け、今回の展覧会は、40点ほどの油彩画を一度に展示する集大成のような機会となりました。

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戦時中に吉田博が描いた溶鉱炉の絵や、戦前・戦後のリアリズム絵画などを思い起こしますが、21世紀にも労働の記録画は意味を持つのだなと、会場を訪れた大勢の観客を見ながら実感しました。

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工場の薄暗闇に輝く溶湯のコントラストは絵になりやすいように思えますが、モデルになった鋳物職人さんにお話を伺うと、「写真はあるけど、油絵はあまり見ないね」とのこと。

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映画『キューポラのある街』で知られる川口も、近年では鋳物工場が少なくなっているそうで、それでも仕事を続ける職人の誇りと、その姿を丹念に描き残そうという富丘さんの思いが二重に伝わってくる、気持ちの良い展示でした。
昨日は川口市長も訪れたそうで、地域にとって意味を持つ貴重な作品として、保存体制が整うことを願います。

   *   *   *

午後は座・高円寺で演劇集団風煉ダンス「まつろわぬ民2017」(作・演出:林周一)を観ました。
主演は白崎映美さんで、「白崎映美&東北6県ろ〜るショー!!」の歌「まづろわぬ民」から想を得て、2014年に初演された舞台の再演。

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舞台は、現代の一軒のゴミ屋敷。街の再開発を進めるため、ゴミごと屋敷を撤去しようと国会議員や土建業者たちが忍びこみます。
彼らはひとりの老女に出会い、やがて廃棄物の姿をした妖怪たちの百鬼夜行がはじまります。
「まつろわぬ民」とは、「ミカドの軍」に抗った古代の蝦夷の生き残りであり、忘れ去られる者、虐げられながらも闘い続ける者たちでもあるのでした。
「まつろわぬ民」が待ち続ける英雄サンベはついに帰りません。
しかし、心の中に小さな火を持っている者は、誰もがサンベなのでした。
「鬼」好きとしては、主要人物の多くが鬼/まつろわぬ民という、満足度の高い舞台でした。

隣に座る男性が、せっせと舞台をスケッチしているので、時々手もとを覗き見ていたら、舞台の後で白崎さんに、「ますむらひろしさんと隣同士で座っていた」と教えられました。
スケッチに見とれて気がつかず、ご挨拶ができなかったのは本当に残念でした。

ともあれ、「まつろわぬ」魂の炎を燃え上がらせる、圧倒的な迫力の歌と踊りのスペクタクル。
白崎さんの存在感は本当に素晴らしかったです。
彼女は今年の8月6日、丸木美術館ひろしま忌に出演して下さる予定なので、とても楽しみです。
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2017/6/1

1950年代幻灯上映会のお知らせ  イベント

6月17日(土)午後2時より、今年も恒例の1950年代幻灯上映会を開催します。参加自由(入館料別途)。
今年は時代劇3本立て。いずれも貴重な作品で、これまで存在を知られていなかった初期の粟津潔の画による作品も含まれています。
どうぞ皆さま、ご期待下さい。

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占領期の検閲が日本刀による殺傷描写を軍国主義・封建主義の表れとして忌避したこともあり、1940年代には苦闘を 強いられていた時代劇映画は、占領終了前後の1950年代に全盛期を迎え、黒澤明監督、溝口健二監督らによる数々の名作が生まれ、中村錦之助、美空ひばり、市川雷蔵、勝新太郎といったスターたちが大いに活躍しました。
時代劇ブームは映画にとどまらず、雑誌連載・単行本マンガや絵物語、紙芝居、そして幻灯(スライド)などの他メディアにも波及します。
今回の幻灯上映会では、いずれも1950年代に作られたユニークな幻灯時代劇3作品を、世界的に活躍する活動弁士片岡一郎さんの公演により、フィルムと幻灯機により上映します。
なかなか実見する機会のない幻灯時代劇の世界をお楽しみください。

※本プログラムはJSPS科研費15K02188「昭和期日本における幻灯(スライド)文化の復興と独自の発展に関する研究」(研究代表者:鷲谷花)の助成による。

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〔上映作品紹介〕

裏切者
製作年不詳 製作:エルモ社/フィルム提供:福岡市総合図書館

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光学機器メーカーのエルモ社が1950年代に発売していた「エルモグラフ」シリーズの1作で、プロスペル・メリメの短編小説『マテオ・ファルコーネ』を、舞台をコルシカ島から筑波山麓に移し、幕末の天狗党の乱を背景に翻案した幻灯時代劇。
原作の「金時計」が「印籠」に置き換えられるなど、ユニー クな時代劇的翻案が随所にみられる。複数フレームを繋げて画面を水平方向に拡大して見せるパノラマ ショットを駆使したアクションやサスペンスの演出も効果的。

修行者と羅刹 涅槃経 雪山童子 物語
製作年不詳 製作:日本光芸株式会社 松尾プロダクション/作:榎本晃/企画:近藤真頂/作画:粟津潔/フィルム提供:福岡市総合図書館

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明治期から寺社仏閣での信者に向けた幻灯上映は盛んに行われており、戦後に至っても、寺院は学校や官庁と共に幻灯製作メーカーの有力な顧客であり、多数の仏教説話幻灯が製作されている。
『涅槃経』の「聖行品」にある「雪山童子(せっせんどうじ)」の説話を幻灯化した本作もその一つで、おそらく1950年代前半に製作されたものと考えられる。
作画は「粟津潔」とクレジットされており、従来存在を知られていなかった貴重な初期作品である可能性が高い。

ひとくわぼり
1956年 製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化株式会社/原作:上野英信/作画:加太こうじ フィルム提供:神戸映画資料館

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1950年代を通じて、日本炭鉱労働組合(炭労)は、幻灯を利用した教育宣伝活動に積極的に取り組み、傘下の労働組合による争議を記録・宣伝する一連の幻灯のほか、筑豊炭鉱の文芸サークル運動の生んだ上野英信・千田梅二の「えばなし」を原作とする物語幻灯2本を製作している。
本作『ひとくわぼり』はそのうちの1本で、筑豊地方に伝わる民話に、魯迅『故事新編』中の短編「鋳剣」の影響を加味して創作された上野英信による原作に、さらに脚色を加えて幻灯化している。
幻灯版の作画は戦前から街頭紙芝居の作者として活躍してきた加太こうじが担当しており、当時、衰退しつつあった街頭紙芝居業界にあって、加太は幻灯に活路を見い出すべきであるとの主旨の発言をしており、本作はその実践例でもあるといえるだろう。

活動弁士:片岡一郎
2001年、日本大学芸術学部演劇学科を卒業し、2002年に活動写真弁士の第一人者である澤登翠に入門。現在は国際的に最も活躍している弁士である。これまで講演した国はアメリカ、ドイツ、クロアチア、オーストラリア、チェコ等。日本の伝統的なスタイルを踏襲し、弁士の芸術を現代に伝えている。これまでの演じた無声映画は約300作品。弁士の他にも声優や文筆などで活動している。2016年歌舞伎座出演。
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2017/5/31

『北海道新聞』文化欄で丸木美術館開館50年特集  掲載雑誌・新聞

痛みの記憶を受け継ぐ 埼玉・丸木美術館 開館50年
 ―2017年5月31日付『北海道新聞』朝刊文化欄

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『北海道新聞』文化欄で、丸木美術館開館50年の大きな特集記事が組まれました。
記事は「平和とは問う《原爆の図》」、「寄付募り保管施設建設」、「生前の夫妻追った写真展開催」の3本立てです。

「平和とは問う」記事では、丸木ひさ子さんによる「『戦争を経験してないから分からない』と聞いてきた子どもに、『自分で想像力を働かせて考えてごらん』と諭していた」、「俊は『平和は与えられるものではない』と言っていた。今だからこそみんなで平和について考えてほしい」とのコメントが紹介されています。

写真展開催の記事では、本橋成一さんの「俊先生が人物とか風景をスケッチしたあと、位里先生がそれを墨でばーっとつぶしていく。でも、俊先生は『自分のスケッチをより生かしてくれる』という信頼感があった」、「いちゃいちゃしているというわけではないが、2人は恋愛をし続けていたのだと思う」というコメントが載っています。

新館建設の記事では、岡村が「夫妻の一連の作品に共通しているのは『痛みを負った人々の目から見た世界』。市民の手で、この先50年も歴史をつないでいきたい」と語っています。

おかげさまで、北海道から寄付の問い合わせの電話が多くかかってきています。
取材をして下さった原田隆幸記者、どうもありがとうございました。
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2017/5/27

自由芸術大学講座「日本の社会派アート100年」  他館企画など

谷英美さんの朗読会の後は、急ぎ新宿御苑前駅に駆けつけて、IRA(イレギュラー・リズム・アライサム)で開催された自由芸術大学講座「日本の社会派アート100年」に参加しました。

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ビルの3階の一室の小さな会場は、30人ほどの参加者でほぼ満員。ちょうど花園神社の祭礼の日で、開け放した窓からは街の喧騒も聞こえてきました。
スピーカーは、視覚社会史研究者の足立元さん。

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著書の『前衛の遺伝子』の内容を、「アナキズム・アート論」と言うべき方向に発展させ、社会への抵抗の手段としてのアートの可能性と困難さを考える、興味深い講義でした。

「人はどこまで抵抗できるかを考えたい。しかし、私たちは抵抗するだけの独善性、愚かさも知っている」
「社会派であればアートとして優れているとは限らない。逆もまた然り」
「イデオロギーに乗っただけの作品をアートとして否定した上で、その社会史的な意味を考えたい」
「アートは裏切るもの」という足立さんですが、彼自身の発表にも、こうした語義矛盾のような言葉が、しばしば登場しました。

「プロト・アナキズム」としてのディオゲネスや傾奇者から、幸徳秋水、小川芋銭、日本アニメーションの始祖である幸内純一、黒曜会と望月桂、村山知義、柳瀬正夢、津田青楓、小野佐世男、そして戦後のシュルレアリスム、ルポルタージュ絵画、反芸術、美共闘、バブルと抑圧、ポスト9.11、ポスト3.11まで・・・。

「日本の社会派アートの作者は、多くの場合、挫折し、転向している。でも挫折してもいい。たとえ負けても、その仕事は誰かが引き継いで戦ってくれる。あるいは、今日の問題として語りなおすことで、敗れた者も時空を超えて甦る。それがアートであることの強み」

限られた時間の中での発表で、もう少しじっくり話を聞きたいところもありましたが、いずれは書籍にまとめたいとのこと。そのときを楽しみに待ちたいと思います。
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2017/5/27

谷英美朗読公演「『顔』―沖縄戦を生き抜いた女の半生」  イベント

午後2時から、谷英美さんの朗読公演「『顔』―沖縄戦を生き抜いた女の半生」。
来場者は57人、満席の大盛況でした。

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この作品は、埼玉在住の沖縄戦体験者・新垣文子さんの話がもとになっています。
谷さんと新垣さんが出会ったのは、2010年6月。場所は丸木美術館でした。企画展「OKINAWA―つなぎとめる記憶のために」の関連企画として行われた、絵本『おきなわ島のこえ』と『ウンジュよ』の谷さんの朗読に、新垣さんが足を運んで下さったのです。
そのときも大変な盛況で、会場がとても暑かったことを覚えています。
沖縄戦によって顔に穴が開くほどの大きな傷を受けた新垣さんの話を聞き、谷さんはその体験談を朗読として語り継ぐ決意をしました。

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朗読の内容は、若き日の新垣さんの戦争体験とともに、顔の傷に苦しみながら生き続けた戦後の日々についても大きな時間を割いています。
そして、戦争で死んでいった若者たちは決して無念ではなく、「本望」だったという新垣さんの思いも語られます。なぜなら、当時は徹底的に「戦陣訓」を植えつけられていたから。今でもまだ自分の心を縛られているほど、「戦陣訓」の影響は大きかった。教育というのは本当に怖い・・・というのです。

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朗読の後、会場に来られていた新垣さんも前に出て、谷さんと対談を行いました。明るく、笑いの絶えない対談でした。
「谷さんは私になりきっている、私が泣くところで谷さんも泣く」と語る新垣さん。二人の強い信頼関係は、きっと、逆境を明るく笑い飛ばして生きるバイタリティが共通しているからなのだろうと感じました。

谷さんはこの朗読公演を、6月16日に沖縄・摩文仁の平和祈念堂で行う予定です。
ヤマトゥンチュが沖縄戦の朗読を沖縄で行うことの難しさは、私にははかり知れません。困難であるほどあきらめない谷さんだからこそ、実現にこぎつけることができたのでしょう。

今回の丸木美術館、そして沖縄での公演は、NHK国際放送局が取材し、国外向けの英語放送として放映する予定です。

この日は、谷さんと親交のあった亡きジャーナリストで画家の近田洋一さんの作品《HENOKO―家族の肖像》の複製も壁面に飾られました。2010年には、佐喜眞美術館からこの作品が丸木美術館に運ばれて企画展で展示され、谷さんは絵の前で朗読公演を行っていたのです。

そして、会場には、2015年の沖縄全戦没者追悼式で平和の詩「みるく世がやゆら」を朗読した知念捷くん(当時与勝高校3年生)と、こんにゃく座代表・音楽監督の萩京子さんも駆けつけて下さいました。

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谷さんいわく「ご縁のふきだまり」という状態だったのですが、絵を展示する場というだけでなく、こうしたさまざまな出会いがあり、次につながる「何か」が生まれる場としての丸木美術館の可能性を、あらためて考える機会になりました。
谷さん、新垣さんはじめ、ご来場いただいた皆さまに、御礼を申し上げます。
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2017/5/26

丸木俊油彩画《レニングラードホテル》寄贈  作品・資料

本日、丸木美術館に寄贈された丸木俊の油彩画小品。

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タイトル、制作年とも未詳でしたが、俊の水彩スケッチの中に、まったく同じ構図の作品がありました。

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日付は1959年7月3日、「私たちの泊まったレニングラードスカヤホテル」と記されています。

今回寄贈された油彩画は、戦中に治安維持法容疑で捕まり獄死した野呂栄太郎の未婚の妻で、戦後は医者となった塩澤富美子の旧蔵品。
その知人の知人からの寄贈なので、詳しい経緯はわかりませんが、色彩のきれいな、とても良い作品です。

この頃、俊は油彩画の厚塗りを試みはじめていました。
油彩画の正確な制作年は不明ですが、おそらく帰国後、1959年からそれほど時間が経っていない頃だと推測されます。
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2017/5/25

位里作品《ゴッホの描いた赤いやねの小屋もある》寄贈  作品・資料

湯河原在住のOさんより、1976年に丸木位里が描いた水墨彩色《ゴッホの描いた赤いやねの小屋もある》をご寄贈頂きました。

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丸木夫妻がフランスをスケッチ旅行したときの作品です。
画面上部、やや左の地平線にうっすらと赤い屋根の小屋が見えます。

かなりシミが出てしまっているので、いずれきれいに修復してから展示したいと思います。
まずはご寄贈、どうもありがとうございました。
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2017/5/24

福沢一郎記念館 福沢一郎『秩父山塊』  他館企画など

午後、世田谷の福沢一郎記念館へ行き、本間岳史さんの講演「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼―」を聴きました。

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福沢一郎は、丸木位里を美術文化協会に誘うなど、深い親交のあった画家です。
日本へのシュルレアリスム絵画の紹介者であり、1941年4月には治安維持法違反容疑で瀧口修造と共に検挙されています。そして7ヵ月後に放免され、1942年から1943年にかけて、精力的に両神山周辺の奥秩父へ通い、特異な地形や人びとの暮らしの風景を写生しました。

1944年には、北原白秋の弟・北原義雄が経営していたアトリエ社から、画集『秩父山塊』を刊行。ドイツ文学者の池内紀さんが、その画集をもとに、1998年に五月書房から『池内紀のちいさな図書館 福沢一郎の秩父山塊』を刊行していて、私はその本で福沢一郎の秩父への関心を知りました。

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地質学者の本間岳史さんは、埼玉県立川の博物館館長、埼玉県立自然の博物館館長を歴任されました。そのため、福沢一郎の地質学的知識を解説するには最適な方なのですが、それだけでなく、実は御父君が美術評論家の本間正義氏。学生時代に福沢絵画研究所へ通い、後に美術評論家として埼玉県立近代美術館の館長などを務められ、やはり丸木位里と親交がありました。
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/11/20/myfukuz_004_hommat/

『秩父山塊』は、本間さんによれば、地形や地質現象、地層名、年代などに関する記述は、高度な地質学的知識を示しているとのこと。
日ごろ熱心に上野の国立科学博物館に通い、専門的な論文を読んで身につけたようです。
現地踏査に当たっても、事前に仮説を立てて現地で確認するという科学的態度が見られ、自然科学者としての確かな目を持っていたことが読み取れるそうです。

「和銅呈瑞の地」(実際はほとんど銅が採れなかったらしい)や、平賀源内の「火浣布」(源内はその原料を両神山から採取したと書いているが、地質学的には誤りとのこと)、福沢が泊まった寿旅館(現小鹿野町観光交流館)に、近年、盛岡高等農林学校時代の宮沢賢治も宿泊していた資料が見つかったことなどの話が、個人的には面白かったです。

また、福沢が特に白亜紀や恐竜に関心があったという話には、親近感が湧きました。『秩父山塊』にも、ティラノサウルスとステゴザウルスの攻防を「今日の戦車戦」に見立てる記述があり、興味深かったです。こうした関心も、絵画制作に大いに生かされていたことでしょう。
講演の情報を教えて下さった学芸員のIさん、どうもありがとうございました。
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2017/5/21

『朝日新聞』埼玉版に《大逆事件》紹介  掲載雑誌・新聞

「権力」問い丸木夫妻の「大逆事件」6年ぶり公開
 ―2017年5月21日付『朝日新聞』埼玉版

『朝日新聞』埼玉版に、特別展示の《大逆事件》が全体画像とともに紹介されました。
取材は西堀岳路記者です。

WEBサイトで記事全文をご覧いただけます(会員登録が必要)。
http://www.asahi.com/articles/ASK5L5SV5K5LUTNB01G.html

以下、記事から一部抜粋。

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 丸木夫妻は1989年、「前々から何とか描かねばならぬと思っていた」と「大逆事件」を制作した。縦約1・8メートル、横約7・2メートル。死刑になった12人の肖像それぞれの背後に絞首刑用のロープの輪が描かれ、一人ひとりの絶命時間と享年が記入されている。位里は絵を発表した際、「大逆事件だけは今日の問題として一遍も二遍も登場してもらって、皆さんと考えてゆこうではありませんか」と訴えた。

学芸員の岡村幸宣さん(42)は「社会の不平等や不合理に声を上げた人たちを権力者が抹殺した事件であり、描かれている不気味さ、怖さを記憶することが大切」と話している。


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西堀記者、どうもありがとうございました。
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2017/5/20

本橋成一さん映画上映+ベラルーシ再訪報告  イベント

原爆文学研究会との共催で、本橋成一さん監督の映画『ナージャの村』(1997年)と、映像報告「ベラルーシ再訪2017」+アフタートークを開催しました。

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『ナージャの村』は、チェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシの小村ドゥジチに暮らす人びとの慎ましい生活を、四季折々の美しい映像とともに淡々と記録した作品。
主人公の少女ナージャの近所に住む初老の男ニコライが、セルゲイ・エセーニンの詩の一節「天国はいらない、故郷が欲しい」と暗唱するシーンが印象に残ります。
この映画を観るのはおそらく8年ぶりで、本当に久しぶりでした。「3.11」後の視線から見ると、どうしても福島の現状が重なってしまい、複雑な思いが湧いてきます。

「ベラルーシ再訪」映像は、『ナージャの村』のドゥジチ村や、やはり本橋さん監督の映画『アレクセイと泉』(2002年)の舞台であるブジシチェ村などを今年の春に本橋さんが訪れて撮影した最新報告。
人の手を丹念にかける暮らしを営んでいた村が、人影も見えず、荒れ果てて廃村寸前であるという現実に、「復興」の困難さを思い知りました。

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アフタートークの聞き手は、原爆文学研究会会員の柿木伸之さん(広島市立大学)。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの記録文学『チェルノブイリの祈り』を参照しつつ、歴史の記録には残らない人間関係の中から聞こえる声にいかに共感できるか、と指摘しながら、映画に対する本橋さんの思いを丁寧に引き出して下さいました。

   *   *   *

そして原爆文学研究会の醍醐味は、予定調和的でない活発な質疑応答による議論の展開です。
残念ながら今回は、あまり質疑の時間がとれなかったものの、それでも真っ先に手を挙げた詩人のTさんは「美しすぎるほどの映像に、この村は実は汚染されていないのではないかと、誤って見たくなる誘惑に駆られる」といつもながら鋭く問題提起。
本橋さんは「美しいからこそ怖ろしい。その現実は映像の中に写り込んでいる」と答えましたが、東松山駅近くの焼きとり店に場所を移した懇親会の席でも、この話題は続きました。

「3.11」を体験してしまった現在は、現地の人が口にするキノコやウオツカなどの安全性の問題が気になるし、去る者と残る者が存在する村の人間関係が複雑に分断されることも容易に想像できる。そのあたりをどう考えるか。『ナージャの村』は、後日談の「ベラルーシ再訪」映像とともに観るべきなのではないか……。

残念ながら本橋さんは都合により懇親会は欠席だったので、代わって、というわけではありませんが、90年代にはチェルノブイリ原発事故による健康被害の報道写真にも注目が集まり、本橋さんの映像が「美しすぎる」という議論は当時もあったこと、本橋さんの写真家としての出発点は筑豊の炭鉱であり、坑夫たちとともに生活してその現実を記録した上野英信の影響が大きいことなどの情報を紹介しました。

原爆文学研究会は九州の関係者や1950年代記録文学を専門とされる方が多いので、炭坑へのまなざしとチェルノブイリ原発事故をつなげながら、本橋さんに話を聞く機会があってもよかったのかもしれません。

「本橋さんの関心は故郷の喪失のようだが、それほど故郷は大事だろうか」という問題提起もありました。
ううむ、なるほど、人は、どこにいても生きていける……と思う一方で、九州の山間部出身の若い研究者が、「批判的に見なくてはいけないと思いつつ、映画に登場する老婆の姿が自分の故郷の祖母にそっくりで、恥ずかしながら心を動かされた」と打ち明けてくれたことに、はっとさせられたりもしました。

当初は原発事故の実態を撮るためにベラルーシを訪れたという本橋さんですが、そこで見出したものは、炭鉱や魚河岸、屠場、旅芸人の一座など、本橋さんが一貫して関心を寄せ続けている、(消えゆくかもしれない)ささやかな「共同体」の在り方だったのかもしれません。
その問題意識には、自由学園や共働学舎、あるいは上野英信の筑豊文庫と関わってきた本橋さん自身の人生が反映されているようにも思います。

「共同体」と言うと、思想性が前に出てきてしまうようですが、本橋さんの場合は、地縁も含めたゆるやかな存在。
昨年IZU PHOTO MUSEUMで開催された個展の題名「在り処」が、「故郷」でも「共同体」でもない絶妙なニュアンスを表現していて、とても感心したことを思い出します。

1980年代に本橋さんが丸木美術館に通っていたのも、丸木夫妻への関心だけでなく、二人のまわりに成立していた「共同体」のような人間関係が、本橋さんの関心につながっていたのかもしれないと、思い当たりました。

本橋さんの一連の写真や映像作品は、センチメンタルなノスタルジーと紙一重かもしれませんが、社会から虐げられ、あるいは少数派の立場として、忘れ去られそうになりながら肩を寄せ合って生きる人たちにも「幸福な物語」が確かにあるのだと伝え、記憶するという点で、重要な意味を持つように思います。

今回、沖縄から来られた研究者のMさんが、「ベラルーシ再訪映像の中で、『あなたの送ってくれた写真集を何度も見ている』とナージャのお母さんが語る場面があった。村が失われていく中で、本橋さんの仕事は、現地の人たちの心の支えになっていたのではないか」と最後に話していたことが、心に強く残りました。
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2017/5/19

『週刊金曜日』小室等さんコラムに《原爆の図》紹介  掲載雑誌・新聞

『週刊金曜日』2017年5月19日(1136号)の小室等さんのコラム「なまくらのれん」のテーマは「「原爆の図」と僕」でした。

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5月5日の開館記念日に丸木美術館を訪れたことを書いて下さっています。

以下は、一部の抜粋です。

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・・・おふたりが描かれた目をそむけたくなる光景の、久しぶりの「原爆の図」は、同時にすごく美しくもあった。愛などという言葉を安直に使うことを避けたいと思っているけれど、おふたりの描かれた「原爆の図」は愛に溢れていた。

 あの日、広島、長崎で起きたことを持ち運ぶことはできないけれど、「原爆の図」は持ち運びが、たやすいことではないが可能だ。持ち運び可能な広島、長崎をおふたりは芸術作品として残してくださった。完成される新館で大切に収蔵していただき、ときどき、日本の優れた運搬技術で世界へも訪れ、その悲惨と美と愛を、とくに子どもたちに見てもらえたらどんなにいいだろう。そして、世界の要人たちにも見せたい。駆け付け警護より、百万倍も平和のためになる。


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小室さん、どうもありがとうございました。
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