2016/8/7 NHKラジオ深夜便 「小さな美術館発・平和への願い」

2017/2/19

山内若菜《牧場》展示/風間サチコ公開制作  他館企画など

名古屋出張の帰りに、藤沢市民ギャラリーへ、最終日を迎えた山内若菜さんの《牧場》の展示を観に立ち寄りました。

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藤沢市民ギャラリーに来たのは、ちょうど10年前、2007年の今の時期に開催された「藤沢市30日美術館 藤沢と丸木位里・俊展」以来。とても懐かしく感じられました。

山内若菜さんの《牧場》は、昨年3月に丸木美術館に展示した後、岡山の中学校で展示する機会があり、生徒たちの感想を受けて大幅に加筆したそうです。
会場に入った途端、色彩が増えて画面が明るくなり、牛や馬の姿が墨の中から浮かび上がってくることに驚きました。

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丸木美術館で展示をしたときには、「福島の牧場をテーマにしているというけど、真っ黒で何が描いてあるかわからない」という感想も少なからずありました。けれども今回は、絵を観る人のイメージをふくらませるための手がかりが、かなり明確になってきたように感じます。
「わかりやすさ」ばかりが良い訳ではないけれど、彼女の内にある濃厚な物語を観る人が共有できることも、大切な意味を持つ作品なのだと思います。

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土の色、星の光、貼り重ねた和紙の上に流された墨の中から浮かび上がる人や生きものたちの姿を見ているうちに、この絵が小さな宇宙空間のようにも見えてきました。
3.11後の私たちが生きる世界、そして3.11よりずっと前から受け継がれてきた宇宙が、彼女の身体を通って、目の前に現れてきたような感覚です。

丸木美術館での作家トークの際、「私には絵しかない、絵を描くことしかできない」と、質問の答えから遠ざかりつつ、何度も繰り返していた彼女の姿を思い出しました。
客足の途絶えた夕暮れの美術館で、《原爆の図》の前に勝手に和紙を広げて、憑かれたように模写に没頭していた後ろ姿も。

ときに危うくも感じられるその一途さで、彼女がこれからどこまで内なる宇宙を拡げていくのか、じっくり観続けていきたいと、あらためて思う良い展示でした。

   *   *   *

次に府中市美術館へ移動して、風間サチコ公開制作「たゆまぬぼくら」のアーティストトークへ。対談相手は話題の2020年東京オリンピックのエンブレムを制作した野老朝雄さん。

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……と書くと、とても「健全」なイベントのようですが、一筋縄ではいかない風間さんが公開制作した木版作品は、《人間富嶽》と《決闘!硫黄島(近代五種麿参上)》。

戦前の幻の東京オリンピック(皇紀2600年=1940年)に焦点を当てながら、「ディスリンピック(ディストピアとオリンピックをあわせた風間さんの造語)」をテーマにしています。

《人間富嶽》は、富士演習場を舞台に、鍛錬や努力、目標達成の象徴としての「人間ピラミッド」や、第2次世界大戦中に日本軍が計画した、B-29の1.5倍という超大型爆撃機「富嶽」などがアルミ箔製の銀屏風に刷られた作品。

そして《決闘!硫黄島(近代五種麿参上)》は、戦前のオリンピックの英雄で、硫黄島で戦死した「バロン西」(1932年ロス五輪金メダリストの西竹一男爵)をモチーフにしたキャラクター「近代五種麿」が登場します。

こうした「健全」な「鍛錬」から生み出される英雄礼讃と表裏一体になって、不健康な国民を排除して「健康優良」な民族を生産する「国民優生法」が制定されたのも1940年。ナチスの思想を導入したこの法律は、戦後も優生保護法に継承されて、ハンセン病患者の強制隔離や先天性障害児の中絶の法的根拠となっていくのです。

「健全」を目ざして「たゆまぬぼくら」が生み出す歪んだ世界。
風間さんが焦点を当てようとしているのはまさにそうした問題で、野老さんがトークで語っていたのも、多様性が失われつつある現在の社会に対する違和感でした。

今回の風間さんの公開制作は、「ディスリンピック」という壮大なテーマの序章に過ぎません。
この後に本格的な大作を制作し、2018年4月に丸木美術館で展覧会を開催する予定です。

先日、第8回「創造する伝統賞」を受賞されたばかりの風間さんは「制作技術ではなく、反逆精神こそが伝統だと思っている」と語っていましたが、トーク後の打ち合わせでも、「私は、このディスリンピック展に賭けているんです」と熱い思いを、しかし飄々と打ち明けてくれました。

果たしてどんな展覧会になっていくのか、とても期待しています。
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2017/2/18

ピースあいちにて原爆の図ギャラリートーク  講演・発表

午後1時半から、戦争と平和の資料館ピースあいちで原爆の図ギャラリートーク。

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現在、ピースあいちでは、開館10周年記念企画として、原爆の図第1部《幽霊》を展示中です。
広島平和記念資料館所蔵の「市民が描いた原爆の絵」(複製)も同じ会場で展示しているため、四國五郎や(今年生誕100周年の)峠三吉とのかかわりも話してほしい、「原爆の図のためのデッサン」も展示しているので、いわさきちひろや早朝デッサン会の話もしてほしい、ミュンヘンの展覧会の話もしてほしい、と事前にスタッフの方々から多くのリクエストを頂いていたので、あっという間の1時間でした。

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ピースあいちは大勢のボランティアが企画にかかわり、勉強会を開きながら展示を作り上げていくという特徴を持った施設です。
「市民が描いた原爆の絵」も、絵の舞台となった場所が広島のどこだったかを地図に落とし込み、実際に訪れ、現在の風景写真を撮ってきて、絵とともに展示していました。
そのため、個別具体的な体験の表象である「原爆の絵」と、多数の記憶の集積を芸術として再構成した《原爆の図》との対比が、いっそう浮かび上がる空間になっていました。

トークの後には映画『ひろしま』の上映もあり、会場がいっぱいになるほど大勢の方が来て下さいました。いつも温かく迎えて下さる名古屋の皆さんに感謝。本当にありがとうございます。
展覧会は3月25日まで。お近くの方は、ぜひこの機会にピースあいちへお運び下さい。
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2017/2/17

『琉球新報』に「美しければ美しいほど」展紹介  掲載雑誌・新聞

沖縄戦継ぐ映像上映 県出身2作家ら企画展
 ―2017年2月17日付『琉球新報』

現在開催中の企画展「美しければ美しいほど」が、『琉球新報』に紹介されました。
以下は、記事からの一部抜粋です。

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企画した座間味村出身の居原田遥さん(26)は「沖縄戦の継承にどう取り組めるのか、沖縄の状況をどう受容できるか、美術や表現活動の可能性を考えたい」と企画意図を話した。

 同館に展示されている「原爆の図」の作者、丸木位里・俊夫妻には「沖縄戦の図」(佐喜眞美術館所蔵)の作品がある。丸木美術館は近年、社会的なテーマに取り組む若手アーティストらの企画展に取り組んできた。今回は、沖縄戦や基地問題にアートはどう向き合うかを題材にした。

 展示は、佐喜眞美術館の佐喜眞道夫館長の沖縄戦を説明する音声から始まる。居原田さんは「死者の声に耳を傾けることから、伝えることにつながる」と説明した。
豊見城市出身の嘉手苅志朗さん(31)の映像「インターリュード」は、戦後活躍したジャズシンガー、与世山澄子さんが歌う作品。戦争の痛みを抱えながら、米軍を引き受け生き抜いてきた戦後沖縄の一側面を象徴する。サンゴを死者の魂に見立て、死についてコミカルに表現した「彼らの声」も上映している。

 埼玉県出身の川田淳さん(33)は沖縄戦を経験した元日本兵の証言や、現在の遺骨収集を収めた映像で、沖縄戦の意味を問う。


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2017/2/15

田口弘さんの葬儀  その他

今日もまた、美術館でお世話になった方を見送りました。
元東松山市教育長の田口弘さん。70年代から90年代にかけて、市と丸木美術館の橋渡しのような役割を果たして下さった方です。

田口さんの残した仕事は、2009年度朝日スポーツ賞受賞の理由となった日本スリーデーマーチの創設がもっとも知られているでしょう。
近年では、東武東上線高坂駅前の高田博厚の彫刻通りも地元で再評価されつつあります。
けれども丸木美術館にとっては、やはり東松山市中央公民館(現松山市民活動センター)大ホールの「平和のやまんば」の緞帳や、東松山市立青鳥小学校校舎の「平和の青い鳥」の壁画制作を実現させたことが忘れがたいものです。
丸木夫妻の絵を地元に残したのは、田口さんにしか成し得ない大仕事でした。

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松山市民活動センターの「平和のやまんば」緞帳

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東松山市立青鳥小学校の壁画

水上勉を丸木美術館に連れてきて丸木スマの絵を見せ、のちに文章を書いてもらうきっかけを作ったのも田口さんだったと聞いていますし、市の主催のバスツアーを組んで松本の神宮寺で丸木夫妻の襖絵を見る企画の案内人を務めたこともありました。

1944年に海軍所属の日本語教員として向かったフィリピン沖で米軍に船を撃沈され漂流、インドネシアで捕虜生活を送っていたことや、1936年夏の甲子園予選で旧制松山中学の控え捕手として0-72で大敗、60年以上続いた最多得点差の全国記録の経験者であったことは、ずいぶん後になってから知りました。

高村光太郎をこよなく愛し(実際に交流があり)、「ピカソ以後は芸術ではない」と頑固に言い張っていたので、企画委員会では意見を違えることも多かったのですが、それでも私は、田口さんの話を聞くのが嫌いではありませんでした。

94歳の大往生。冬とは思えぬ暖かな陽射しは、いかにも田口さんらしいと思います。
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2017/2/13

『The Huffington Post』に「美しければ美しいほど」展紹介  掲載雑誌・新聞

重なり合う「声」から、沖縄を想う展覧会
 ―2017年2月13日『The Huffington Post』

http://www.huffingtonpost.jp/nao-kimura/battle-of-okinawa-maruki-gallery_b_14705750.html?utm_hp_ref=japan

現在開催中の企画展「美しければ美しいほど」の紹介を、展覧会にも協力してくれている木村奈緒さんが書いて下さいました。
沖縄をめぐって重なり合う複数の「声」に耳を傾ける展覧会。ぜひ、多くの方にご来場いただきたいと思います。
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2017/2/11

『東京新聞』に石川翠美術評「足尾鉱毒の図」掲載  掲載雑誌・新聞

2017年2月11日付『東京新聞』文化欄に、芸術評論家の石川翠さんによる《足尾鉱毒の図》の美術評が掲載されました。

2015年5月に開館した足尾鉱毒展示資料室(群馬県太田市)に4ヵ月交代で2部ずつ公開されている《足尾鉱毒の図》。
そのきっかけは、1974年に栃木県岩舟町(現栃木市)に開館した丸木美術館栃木館(山中鹿之助館長)にあります。石川さんは、そうした歴史性に触れながら、《足尾鉱毒の図》の意味を探ります。
以下、記事からの抜粋です。

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 館の囲炉裏端で夜を徹して語り合う友愛の中から八六年には田中正造大学が発足。同じ年、栃木館の開館十二周年祭の席で、丸木夫妻は足尾鉱毒事件と田中正造を主題とする連作に意欲を見せた。
 以後、夫妻は関係各地に取材しつつ、友の会の人々らをモデルに制作を進め、翌年の《足尾銅山》を皮切りに、八九年までに《渡良瀬の洪水》《直訴と女押し出し》《谷中村野焼き》を描き上げ、間をおいて九二年、六作目《谷中村強制破壊》で図は完成をみた。
 その後、二十数年にわたる活動をへて栃木館が閉じられる際、県内に引き取り手のなかった図は県境を越えて太田市に永久貸与されることになった。仲介役をつとめたのが、山中と旧知の渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会の板橋明治だった。
 栃木、群馬の両毛の人々に導かれて夫妻は鉱毒過という〈歴史〉に目覚め、制作を通し、近代国家創成期に早くも現れた〈毒〉の胞子に気づいたようだ。作品を見ているとそう感じる。〈毒〉とはもちろん、その後の侵略戦争と原爆過、沖縄の基地化、高度経済成長期の公害病、原発事故を呼び寄せた、国家の繁栄のためには弱者の犠牲をいとわない権力の論理にほかならない。
 六月まで公開される《谷中村野焼き》は、歴史画である「足尾鉱毒の図」の中で唯一、戦後を描いた変わり種だが、権力の論理をめぐる夫妻の透徹したヴィジョンがひそかに埋めこまれていると私は思う。


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写真は、2009年に丸木美術館で展示した際の《谷中村野焼き》です。
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2017/2/10

唐子小学校総合学習「からこじまん」  講演・発表

午前中に美術館の地元にある唐子小学校へ行き、3年生の総合学習「からこじまん」の授業をしました。

「かざってある作品はだれが作ったものですか」
「美術館ではたらく人の仕事はどんなことですか」
「一日に何人くらいの人が、見に来ますか」
といった子どもたちの質問を受けつつ、こちらからも、
「どうして丸木夫妻は、ここに美術館を作ったと思う?」
「どうしてみんなは原爆の絵を見たり、戦争のお話を読んだりするんだろう?」
と逆質問をしたりして、楽しい時間を過ごしました。

『ひろしまのピカ』の絵本を読んだことがある、という子はいたけれど、《原爆の図》を見たことがある子はいなかったので、そのうちに丸木美術館にも来てくれるといいな、と思います。
まあ、なかなか校外学習をするのは難しい時代のようですが。

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写真は校庭にある珍しい彩色された二宮金次郎像。
特に二宮金次郎に思い入れはないですが、この金次郎くんは土人形のように素朴な味わいがあるので、ちょっと気に入っています。
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2017/2/9

横湯久美展/Ring-Bong第7回公演/ミリキタニ展  他館企画など

昨日は氷雨の中、まず銀座の奥野ビル5階ギャラリーナユタではじまった横湯久美展「爆弾か 黒雪ダルマ 雪ダルマ/There Ones Was」へ行きました。

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昨年の丸木美術館での「Post 3.11」展に出品して下さった、お祖母さんとの会話や日記をもとにした年表と写真の展示。
戦争による抑圧の記憶を抱えながら、美術の役割について語るお祖母さんの言葉は、今の時代の道しるべのようにも感じられます。
静謐な、しかし決して穏やかでなく厳しい世界が、小さな空間に広がっていました。

   *   *   *

続いては、下北沢のシアター711へ、Ring-Bong第7回公演「逢坂 〜めぐりのめあて〜」を観に行きました。

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三人の幼馴染が、それぞれ第五福竜丸の被爆後の署名運動、原子力発電の導入、プロ野球選手と道を分かちながらも、複雑な運命でつながっていく物語。
その運命のもとには、「日本プロ野球の父」「テレビ放送の父」「原子力発電の父」と言われた一人の男、正力松太郎(劇中名は松田)がいた訳です。

山谷典子さんの脚本は、いつものように多くの資料をもとに練られたものですが、これまでのRing-Bong作品に比べると時間の交錯が少なく、とりわけ「現代」の場面がまったく登場しないのは初めてではないでしょうか。
とはいえ、もちろん、その問題意識は現代につながります。むしろ現代に続く問題が生まれる重要な転換点を描こうとしている作品だと思います。

第五福竜丸の保存運動のきっかけとなる新聞投書が、効果的に登場するのも良かったです。
物語の重要な場面に常に寄り添い、黙ってメモを取り続けるジャーナリストの姿は、かつて新聞記者を志していたという山谷さん自身の投影かもしれません。

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パンフレットには資料提供として私の名が記されていましたが、それは戦前・戦後の野球関係資料を提供していたためです。

個人的には、クライマックスの一つというべきシベリア帰りの元野球選手の独白が、宮澤賢治の農民芸術概論を想起させ、「星めぐりの歌」とシンクロしていく場面に意表を突かれました。
宮澤賢治と野球には、一見、接点がないようですが、詩集『春と修羅』には教え子がキャッチボールに興じている光景を想起させる「草原」という短い詩が収められています。
『日本の名随筆』シリーズの野球編(平出隆編、作品社、1997年)は、その宮澤賢治の詩から始まっているのです。
久しぶりにそんなことを思い起こしつつ、投球シーンに始まり投球シーンに終わる(親から子へ野球が受け継がれることが一筋の希望となる)舞台を楽しませてもらいました。

   *   *   *

そして最後は、新宿のスペース・ゼロにて「ジミー・ミリキタニ絵画&写真展」を観ました。

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彼もまた、戦争の抑圧の記憶を抱えて、ニューヨークの路上に生きた画家。
2013年に立命館大学国際平和ミュージアムで見た展覧会は、とても印象に残っています。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/2164.html

今回は45点の絵画に加え、佐藤哲郎さんの撮影したミリキタニのポートレートも数多く展示されています。
また、ポレポレ東中野では2月17日まで映画『ミリキタニの猫』特別篇も上映中です。
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2017/2/7

「美しければ美しいほど The more beautiful it becomes」開幕  企画展

いよいよ、若手キュレーターと作家たちの企画「美しければ美しいほど The more beautiful it becomes」がはじまりました。
初日は、キュレーターの居原田遥さん、出品作家の川田淳さん、嘉手苅志朗さん、資料展示に関わった木村奈緒さんの4人が来館し、メディア向けの説明を行いました。

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今回は映像4作品をメインとしているのですが、「声」を聴く展覧会だということがわかってきました。
まず最初の部屋では、《沖縄戦の図》の前で佐喜眞美術館の佐喜眞道夫館長が解説をする音声が流れています。もちろん《沖縄戦の図》はここにはありません。しかし、それでも引き込まれる力を持った解説です。

次の部屋には、嘉手苅志朗さんの映像《interlude》が大画面に流れ、モニタで《彼らの声》も上映しています。

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《interlude》はジャズシンガーの与世山澄子さんが沖縄返還以前に歌っていた那覇の米空軍基地(現在は航空自衛隊の那覇駐屯地)の周辺を車で走りながらジューン・クリスティの「interlude」を歌う作品。

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《彼らの声》は崎山多美の小説の中のマブイたちの会話を引用に、珊瑚のかけらをマブイに見立てて人形劇のように演じるちょっとユーモアのある作品。どちらも10分程度の短い映像ですが、見応えがあります。

従来は企画展示室として使っている大部屋は、今回、休憩やイベントのためのスペースとなり、居原田さんと木村さんがリサーチした「沖縄の情報は本当に伝えられていないのか」という資料展示が壁にぐるりと並んでいます。

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辺野古や高江といった現在進行形の問題がどのように伝えられているのか、あるいはいないのか、彼女たちの視点から考えるという展示です。

新館では、川田淳さんが《終わらない過去》(71分)、《生き残る》(45分)という長編の映像作品を上映します。
この展示は開始時間が決まっていますので、注意が必要です。長時間の視聴となりますが、この部屋だけは暖房が効いているのでご安心下さい。

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《終わらない過去》は、沖縄戦で置き去りになったままの品を、ヤマトゥの元兵士の家族のもとへ返そうとする川田さんの電話による交渉の経過をたどるドキュメント。

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そして《生き残る》は、中国に出征した際の重苦しい体験を語る元兵士のインタビューをもとにした映像作品。どちらも、美しい映像とは裏腹に、複雑な余韻が残ります。

というわけで、展示のすべてを見ると3時間を超えてしまいますが、しかし、すべてを見て頂きたい展覧会です。
お勧めは、上映開始時間が決まっている川田さんの作品を11時もしくは12時20分から見始めるコース。それから3時間程度を見越して頂ければ、全体の予定も立てられると思います。

参考までに、川田作品の上映開始時間は次の通り。
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09:40-10:55 「終わらない過去」
11:00-12:15 「終わらない過去」
12:20-13:05 「生き残る」
13:10-14:25 「終わらない過去」
14:30-15:45 「終わらない過去」
15:50-16:35 「生き残る」

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寒い季節ではありますが、ぜひ丸木美術館で記憶の「声」の渦に巻き込まれて下さい。
企画展は4月9日まで開催しています。
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2017/2/5

国立民族学博物館共同研究会に参加  調査・旅行・出張

京都、神戸、大阪をめぐる出張「三都物語」最終日は、万博記念公園の国立民族学博物館にて共同研究会「放射線影響における「当事者性」に関する学際的研究」2日目に参加。

関礼子さん(立教大学)、根本雅也さん(一橋大学)による原爆や水俣病を例にした「当事者」と「当事者性」の鮮やかな問題整理、そして福島という「当事者」の現場にいる島明美さん(ふくみみラボ)の報告によって、ようやくこの研究会における自分の問題意識が見えてきた・・・ような気がします。

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昼食は、毎回楽しみにしているレストラン「みんぱく」の特別メニュー。
今日はフィリピンのお母さんの味「アドボ」でした。
ニンニクと香辛料をベースにした素朴な煮込み料理です。

博物館の企画展は「津波を越えて生きる―大槌町の奮闘の記録」
再生に向かう大槌町の人びとの姿に感銘を受けると同時に、午前中に島さんが報告されていた、福島県内の複雑さを思い起こさずにはいられませんでした。

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この日の関西地方は冷たい雨でしたが……雨が降っても「太陽の塔」。
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2017/2/4

「田中直子展」/神戸「非核芸術へのお誘い」  講演・発表

午前中に京都府立植物園会館ではじまった「樹木の生命を描く−田中直子作品展−」へ。

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田中直子さんは、ギャラリーヒルゲートにも出品されている作家で、一昨日のトークにも来て下さいました。
油彩による植物画の大作や銅版画を制作されていて、一見、植物園に相応しい題材なのですが、石牟礼道子『常世の樹』に取り上げられた樹や、空襲をくぐり抜けた樹、井上ひさしの『木の上の軍隊』のモチーフになった樹などを取材されていて、その土地に根を下ろした樹の姿を通じて歴史や社会との関係性を見つめているとのこと。

2.27cm×3.64cmの大画面の《名護のピンプンガジマル》、《那覇のガジマル(崇元寺跡)》、《金武町伊芸のフンシガジマル》の沖縄ガジマル三部作はとても迫力がありました。

名護市の入口に立つピンプンガジマルは、樹の下に「むやみに地形を変えると、一つの連なりであった琉球の地は分断され、気脈を失い、国の隆盛にかかわる」という内容の1750年頃の琉球王国の宰相蔡温の言葉が刻まれた「三府龍脈碑」がかつてあり、2014年1月の名護市長選の際に稲嶺進市長が当選の挨拶で「私がヒンプンガジュマルとなって名護を守る」と言及した名護のシンボルだそうです。
田中さんは辺野古への思いも込めて《名護のピンプンガジマル》を描き、すでに名護市への寄贈も決まって、そのための輸送費をクラウドファンディングで募集する予定とのことでした。

会場写真は手前から、名護、那覇、奥に見えるのが伊芸のガジマルの大作。
展覧会は2月12日まで。朝早くから丁寧に案内して下さった田中さん、どうもありがとうございました。

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京都から神戸に移動して、午後からは非核の政府を求める兵庫の会の講演会「非核芸術へのお誘い」。会場は、元町の兵庫県保険医協会でした。

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中華街のすぐ近くだったので、春節祭が終わったばかりで大勢の人で賑わう広場の店でランチを食べました。

講演は、「空想非核芸術美術館」とサブタイトルをつけ、展覧会の目録のような68点の作品を記した資料を作り、スライドと映像を使って、ちょうど2時間。
トランクに詰め込んだ書籍もかなり売れて、帰りは荷物が軽くなりました。

今回の講演を企画して下さったのは、神戸YWCAの方々でした。
10年前、丸木美術館の外に出て初めて講演をしたのが神戸YWCAだったのです。
以来、親戚のようにおつきあいが続いていたことも、感慨深く思い起こしました。
お世話になった皆さま、そしてご来場下さった皆さま、本当にありがとうございました。

さっそく、市民社会フォーラムのサイトに講演の記録動画がアップされているので、ご紹介いたします。2時間を超える長い動画ですが。
http://shiminshakai.net/post/1944

そして次回、4月15日の非核の政府を求める兵庫の会の講演会のゲストは、同じ原爆文学研究会の仲間の山本昭宏さんだそうです。
http://shiminshakai.net/post/2163

非核芸術は「炭鉱のカナリア」のような存在ですが、山本さんの関心領域であるポピュラーカルチャーは、核をめぐる戦後の大衆意識が見えてくるので、興味深い内容となることでしょう。
お近くの方は、ぜひ次回もご参加下さい。
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2017/2/3

ギャラリーヒルゲートにて「開館50年 丸木美術館を語る」  講演・発表

昨日は京都のギャラリーヒルゲートで「開館50年 丸木美術館を語る」と題し、小寺理事長と対談を行いました。

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京都と《原爆の図》はいろいろと縁があって、昨年のトークでは1951年の「綜合原爆展」を子どもの頃にご覧になった方が来場されたのですが、今回は1986年の実行委員会形式による京都市美術館「原爆の図展」を事務局として担った方が来てくださいました。
せっかくなので当時の思い出を語って頂き、同じ時期に東京の中学校教師として生徒を広島に修学旅行で連れて行く運動をしていた小寺理事長にも80年代のことを話してもらいました。

私はもっぱら、90年代以後に遅ればせながら美術的な評価がはじまった《原爆の図》の今日的な状況についての報告をしました。
理事長との「対談」は初めてで、多少の不安がありましたが、二人の視点がずいぶん違っていたこともあって、案外うまくいったように思います。

個人的には京都のトークは3回目となります。
対談の後の書籍販売、打ち上げ会も含めて、これまで何度も来て下さっている方、そして新しく出会った方と、楽しい濃密な時間を過ごすことができました。
これも毎回、丁寧に人をつなげて下さるギャラリーヒルゲートの人見さんのおかげです。
本当に、どうもありがとうございました。
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2017/2/2

読売新聞夕刊「タイムトラベル」に丸木美術館紹介  掲載雑誌・新聞

故郷の惨状 屏風絵で伝え
 ―2017年2月2日付『読売新聞』夕刊

読売新聞夕刊のコラム「タイムトラベル」に、丸木美術館の紹介記事が掲載されました。
短い記事でしたが、取材して下さった村上達也記者、八木沼卓カメラマンに感謝です。

以下は、記事から一部抜粋して紹介。

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 1950年に第1部「幽霊」を発表し、32年かけて全15部を完成。反響は大きく、巡回展が全国や海外20か国以上で開かれた。2人は95年にノーベル平和賞候補となるなど、作品は反戦思想ばかりが強調されてきたが、近年は和と洋が融合した芸術としての評価も高まっている。

 「『原爆の図』を一人でも多くの人に見てもらいたい」との願いを込めた美術館は、人が人を傷つけ、破壊することの愚かしさを訴え続ける。原爆投下の8月6日には毎年、平和の集い「ひろしま忌」を開催、川に灯籠を流し、人々は『あの時の広島』に思いをはせる。


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2017/1/28

「日本におけるキュビスム」展/新井卓写真展  他館企画など

埼玉県立近代美術館の「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」展へ。

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1910年代に日本に紹介されたキュビスムは、大きな反響を呼ぶものの、束の間の流行で日本には根付かなかった・・・ように見えたのですが、1950年代に突如リヴァイバルを迎えます。
この展覧会は、その二度にわたる日本の受容を二部構成で検証するという試みでした。

展覧会を観ていくうちに、会場にないはずの《原爆の図》が、次第にすぐ近くに存在するような感覚にとらわれていきました。
それはどうやら、1950年代のキュビスム受容が、ピカソの《ゲルニカ》の影響を強く受けながら、戦後、そして占領下・朝鮮戦争下における画家たちの間に広がっていたためです。
山本敬輔の《ヒロシマ》や鶴岡政男の《夜の群像》、さらに池田龍雄、尾藤豊らのルポルタージュ絵画、そして原爆の図立川展のポスターを描いたという佐藤多持の《水芭蕉曼荼羅》・・・。

展示を見終えた後、図録に目を通すと、尾崎信一郎さんの論考「1950年代のキュビスム」が、「当時の記念碑的な作品」として《原爆の図》の「群像表現」、「隠喩的な構造」について、図版入りで触れて下さっていたので驚き、嬉しく思いました。
当時、丸木夫妻は直接キュビスムを取り入れたわけではありませんが、もちろん《ゲルニカ》をはじめピカソの影響は強く受けていたはずです。

丁寧な調査と考察を重ねて、キュビスムという視点から1950年代美術を掘り下げた企画展。
閉幕直前に駆け込んだ甲斐のある、興味深い内容でした。

   *   *   *   *   *

キュビスム展の図録を読みふけりながら、続いて横浜市民ギャラリーあざみ野ではじまった「あざみ野フォト・アニュアル 新井卓 Bright was the Morning−ある明るい朝に」展へ。

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第五福竜丸、福島、広島、長崎、トリニティ・サイト、パンプキン爆弾、若者たちの肖像・・・3.11後の新井さんの仕事を総覧する(たぶん、過去最大規模の)充実した個展。

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2階の会場では写真の歴史やダゲレオタイプの機材、撮影工程も丁寧に紹介しているので、初めて彼の作品を観る方にもお勧めの展覧会です。

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レセプションでは、馴染みの方、初めてお会いする方、いつもながら多くの方とお話することができて、すっかり気分が良くなったので、彼が表紙の写真と連載を担当している『現代詩手帖』(ボブ・ディラン特集でした)を購入して帰宅しました。
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2017/1/25

『中国新聞』 峠三吉「辻詩」についてのインタビュー  掲載雑誌・新聞

詩のゆくえ 第1部 峠三吉の遺産<中>
絵と一体の辻詩 言論統制下で抵抗の表現活動

 ―2017年1月25日付『中国新聞』

以下のサイトで全文を読むことができます。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=68782

今年は生誕100年ということで、『中国新聞』の峠三吉特集。
森田裕美記者らしい、とても丁寧な記事を書いて頂きました。
少しでも、生誕100年を盛り上げる呼び水になればと思います。
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