2017/10/12

丸木美術館、第29回谷本清平和賞受賞!  その他

本日午後、ヒロシマ・ピース・センターが、平和活動に貢献した個人や団体に贈る「第29回谷本清平和賞」に、丸木美術館を選出したと発表されました。

記者発表の様子は、NHK広島局のニュースで放送されたようです。
http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20171012/4702321.html

受賞理由は、次のような内容です。

 これまで絵画や展示施設の保守保全に大変ご苦労されながら、企画展・館外巡回展や平和教育などの事業活動を行いつつ、若き芸術家の育成にも注力され、半世紀にわたりヒロシマを原点とする世界に類を見ない美術館活動を続けています。また、毎年8月6日には、当地でひろしま忌として、広島の惨禍へ思いをはせ平和を欣求する集いを開催しています。近年では被爆70年となる2015年夏に、20年ぶりに米国ワシントン・ボストン・ニューヨークにおいて原爆の図の展覧会を開催し、「原爆とは何か」を米国民の視覚と心に訴えました。

10年前に「存続の危機」を迎えていたことを思いかえすと、開館50周年という節目の年に、このように活動を評価していただけたことは、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。

11月には広島で受賞式があるので、お世話になった方々と再会しながら、喜びを分かち合いたいと思っています。
丸木美術館を支えて下さった皆さま、本当にありがとうございます。
時代はますます不透明な、厳しい状況が続いていきますが、50年後、100年後に「原爆の図」を手渡していけるように、これからも丸木美術館の活動に取り組んでいきたいと思っています。
2

2017/10/8

富丘太美子展作家トーク  特別企画

午後から、富丘太美子展「鋳物工場」の作家トーク。聞き手はNHKラジオ深夜便ディレクターの齊藤佳奈さん。

クリックすると元のサイズで表示します

遠くは福岡からも来てくださった方がいて、ラジオ深夜便の影響力の大きさを思い知りました。会場いっぱいの来場者の中、とても和やかで楽しい雰囲気の会になりました。これも出演者ふたりの人柄のおかげでしょう。

トークでは、鋳物師たちの仕事に対する富丘さんの尊敬のまなざしが伝わってきて、絵は作者の身体と精神を通過して現れてくる表現なのだと、強く感じました。
最後に、「これからも自分のために描き続けたい」とおっしゃった富丘さんの言葉、心に残りました。気負わず、背負わず、いつまでも楽しく描き続けていただきたいと思います。
展覧会は11月18日まで。
0

2017/10/7

美術館ニュース第131号発送  美術館ニュース

丸木美術館ニュース第131号の発送作業。
今回も、とても大勢のボランティアが集まって下さり、無事に作業は終了しました。
皆さま、いつも本当にありがとうございます。

クリックすると元のサイズで表示します

表紙は、今年春に「発見」された丸木スマの《ピカドン》。

ニュースの内容は以下の通りです。

==========

丸木美術館ニュース第131号 (発行部数2,200部)

丸木美術館 開館50周年の集い …… p.2
原爆の図保存基金 応援メッセージ …… p.3
丸木美術館ひろしま忌 堀場清子さん講演抄録「わたしの原爆体験&「原爆の図」とのつながり」 …… p.4
境界線がひらくとき 「ジミー・ツトム・ミリキタニ展」を観て (金子 牧) …… p.5
一宮市三岸節子記念美術館「丸木スマ展」報告 スマおばあちゃんのこと (永井 明生) …… p.6
金子兜太さんが来館/高畑勲さんが来館 (岡村 幸宣)/リレーエッセイ第61回 (白崎 映美) …… p.7
丸木位里・丸木俊の時代〈第27回〉 歴程美術協会脱退/第一回位里個展と芳名録 (岡村 幸宣) …… p.8
東京で初公開された70年前の《牛乳を飲む女》 (藤川 泰志) /市内循環バスの路線が変わります …… p.10
丸木美術館情報ページ/美術館の書棚から (小寺美和) …… p.11
写真で見る 丸木美術館の日常風景 (山口 和彦) …… p.12

==========

ご執筆下さった皆さま、どうもありがとうございました。
0

2017/10/6

ICANノーベル平和賞受賞記念・川崎哲講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞のニュースに驚き、そして、とても嬉しく思いました。

クリックすると元のサイズで表示します

12月16日(土)午後2時から、丸木美術館で川崎哲さん(ICAN国際運営委員・ピースボート共同代表)の講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催いたします。

参加費1000円(入館料別途)。
お忙しくされている川崎さんが、無事に講演会に来てくださるのか、少し心配になってきましたが、どんなお話が聞けるか、楽しみです。
大勢の方の御来館を、心よりお待ちしています。
0

2017/10/4

「丸木美術館開館50周年の集い」のお知らせ  イベント

10月28日(土)、浦和の埼玉会館で丸木美術館開館50周年の集いを開催します。

クリックすると元のサイズで表示します

丸木美術館 開館50周年の集い

対談「戦争と表現をめぐって」高畑勲(アニメーション映画監督)×アーサー・ビナード(詩人)
平和を歌う!コンサート 岡原真弓(こんにゃく座歌役者)・太田まり(こんにゃく座歌役者)・湯田亜希(ピアノスト)
スペシャルトーク おしどり マコ&ケン(漫才師・記者)


日時:2017年10月28日(土)午後6時開場 午後6時半開演
場所:埼玉会館小ホール(JR浦和駅西口徒歩6分)
前売:一般2500円 18歳未満1500円(10/17まで)
当日:一般3000円 18歳未満2000円
予約受付中 郵便振替口座00150-3-84303 原爆の図丸木美術館

埼玉新聞や朝日新聞埼玉版にも、イベント情報が掲載されました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督ら対談 「原爆の図 丸木美術館」開館50周年、28日にさいたまで記念の集い
 ―2017年10月4日『埼玉新聞』
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/10/04/10_.html

丸木美術館の外へ出て、《原爆の図》を考えよう、そして知ってもらおうという試みです。
どうぞ皆さま、お誘いあわせの上、ご来場ください。
お待ちしています!!
1

2017/10/1

キャラバン・ラ・バルラッカ公演「沖縄・日本・アメリカ」  イベント

このところ、毎秋恒例のイベントとなりつつあるキャラバン・ラ・バルラッカの公演。
今年は「沖縄・日本・アメリカ」がテーマでした。

いつもの通り、バラエティに富んだ出演者たちのパフォーマンスは見応えがあります。

クリックすると元のサイズで表示します

実力派、ギター弾き語りの斉藤ひろさんの重厚な歌声。

クリックすると元のサイズで表示します

劇団もっきりやの杉浦久幸さんと門岡瞳さんは、山之口獏や小熊秀雄の詩を中心に力強い朗読。丸木夫妻の作品と響き合います。

クリックすると元のサイズで表示します

今回、初登場のジャン・ユンカーマン監督は、映画『日本国憲法』の一部を上映しながら、沖縄が強いられている矛盾について語りました。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、ゲルブ・アル・リシャット・アンサンブル(砂漠の音楽隊)。ヴォーカルの祥子さんのよく伸びる歌声を聴くのは、いつも楽しみです。

クリックすると元のサイズで表示します

二瓶さんのギター、田中さんのジャンベと歌声が溶け合い、哀しく切ない気持ちになります。

クリックすると元のサイズで表示します

そして最後は、ナチュラルライフを提唱する米国の作家でミュージシャンでもあるアリシア・ベイ=ローレルの弾き語り。

クリックすると元のサイズで表示します

♪昨日の夜 奇妙な夢を見た
 世界が戦争を止める夢
 大きな部屋で大勢が
 2度と戦わないとサインした
 何億のサインがコピーされ
 手をつなぎ頭をさげ祈り捧げた
 通りの人々は踊り出し
 銃と剣と軍服は捨てられた

とてもなめらかな日本語の歌声が、心に沁み込みました。

クリックすると元のサイズで表示します

アリシアさんは、最後に、この美術館に来て絵を観れば、人は誰も、それまでと同じ人ではいられなくなる、と感想を語って下さいました。

素晴らしい企画を作って下さった二瓶さんに感謝。
来年もまた、企画をしてくださる予定とのことですので、ぜひ、多くの方においでいただきたいですね。どうもありがとうございました。
0

2017/9/23

西岡洋さんトーク「わたしの原爆体験と原爆の図展」  イベント

長崎で被爆を体験された西岡洋さんをお迎えして、「わたしの被爆体験と原爆の図展」と題するトークを行いました。

クリックすると元のサイズで表示します

西岡さんは1945年、長崎中学の2年生で原爆を体験されました。
以下は、その日に西岡さんが話された被爆体験の要約です。

8月9日は爆心地から約3kmの中学校の教室にいて、急に飛行機の上昇音が聞こえたために窓に駆け寄ろうとした途端、桃色か橙色の光の海に埋まったような感覚がしたそうです。
とっさに爆弾が落ちたと思い、目と耳を押さえて口を開け、床に伏せましたが、何の音もしないまま数秒が経過。級友に臆病者と笑われるのではないかと覚悟して起き上がった瞬間に、爆風で棚や窓硝子が吹っ飛んできました。級友たちが覆いかぶさってきたため、西岡さんは無傷でしたが、級友たちは血だらけになりました。
腰に下げた手ぬぐいで傷を手当てし、扉のなくなった教室から逃げ出して、外へ出ましたが、興奮のせいか熱はあまり感じなかったそうです。
不思議に感じたのは、出会う人たちが皆、自分の近くに爆弾が落ちたと語っていたこと。
遠くを見ると、爆心地には大きな火柱が上がっていました。原子爆弾を知らない当時の少年にとって、わからないことだらけの状況でした。

血だらけの赤ちゃんを抱いて歩いてくる母親、顔が半分なくなっているような人、火傷した腕をだらんと垂らして歩いてくる人、川のように傷ついた人たちが道を歩く中、山の手の方へ遠回りをして家に帰ったそうです。空はキノコ雲に覆われて薄暗く、太陽を指して「爆弾だ、逃げろ!」と半狂乱になって叫ぶ人もいたとか。
そんな状況でも西岡さんは、翌日、学校に登校しました。当時、大きな名誉であった無欠席を通したかったのだそうです。「学校が出席をとらなかったことが、何より残念だった」という少年の思いと現実とのギャップに、妙なリアリティを感じました。

先生や生徒を助けるためにスコップを持って爆心地へ行くよう指令を受けましたが、実際に行ってみると、救助なんてできるわけがないほどの壊滅的な状況。それでも報道管制で情報がなかったから、みんな口をつぐんでいたそうです。
新聞に「長崎に新型爆弾投下、損害軽微」と載ったことにも驚いたそうです。これが「軽微」なら、これまで新聞に載っていた各地の空襲の被害も、たいへんなものだったのではないかと、ようやく気がついたとのこと。
たいへんな数の死傷者を見続けていると感覚は鈍るが、ただひとつ、三菱球場の金網のバックネットがくしゃくしゃにゆがんで縮まっているのを見て、「これで戦争に勝つのか」と絶望的な気分になった、とおっしゃっていました。

そして、水を求める人びとの手を払いのけて歩き続けたことは、今も忘れられず、後悔とともに思い出すそうです。
春になると、「草木も生えない」と言われた長崎に、緑が芽吹いてきて嬉しかった。無傷や軽傷の人がどんどん死んでいくのが怖かった。自分は歯ぐきから出血はあったが、原爆症かどうかはよくわからなかった。体に斑点ができる人、髪の毛が抜ける人、いくつか生死の分岐点があり、回復に向かう人もいれば、そのまま死んでいく人もいた……。

それでも西岡さんは生き残り、東京都立大学へと進学します。
そこで「原爆の図展」と出会って、首都圏を中心に展覧会に帯同しながら、みずからの被爆体験を語っていくことになるのです。

クリックすると元のサイズで表示します

西岡さんの「原爆の図展」についての回想は、2010年10月26日に聞き取りをしているので、そのときの日誌をご覧ください。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1494.html

被爆から10年もたたないうちに体験を語ることには、勇気がいったのではないか、ためらいはなかったのでしょうか、とお聞きしたところ、それはなかった、と力強く応えた西岡さん。
後にアメリカで被爆体験を語られるなどの精力的な活動をされた源には、その気丈さがあったのでしょう。
幸い、家族に深刻な被害がなかったことも、体験を語りやすかった理由ではないか、というのは、会場にご一緒してくださった西岡さんのお連れ合いからの補足でした。

貴重なお話を聞かせて下さって、どうもありがとうございます。
0

2017/9/22

立川市柴崎学習館連続講座第1回「原爆の図立川展と立川平和懇談会」  講演・発表

今月からはじまった立川市柴崎学習館の連続講座「原爆の図 丸木位里と俊」。
第1回の今日は、「原爆の図立川展と立川平和懇談会」。
これまで、1950年代の全国巡回展についての発表は何度もしているけれども、今回は初めて、その中のひとつの展覧会に焦点を絞って話す、という試みをしてみました。
もっとも、立川は学生時代に通い慣れた地元であり、展覧会についての資料も比較的見つかっているので、2時間の講座くらいは十分に話せる、という目算は立っていました。

クリックすると元のサイズで表示します

展覧会の中心人物である岸清次氏の回想録『小さなロウソクのように』(けやき出版、1984年)や、展覧会の記録として作られ、西東京市ひばりが丘図書館の「原爆小文庫」に所蔵されている『平和のために 原爆展感想文より』(立川平和懇談会、1952年)を読み、1953年公開の映画『原爆の図』(今井正、青山通春監督、新星映画社)に映っている展覧会の光景を紹介し、最後は展覧会の収益で製作したという神戸映画資料館蔵の幻灯『基地立川』(立川平和懇談会、日本幻灯文化株式会社、1953年)のデジタル画像上演も行いました。

クリックすると元のサイズで表示します

立川会場ということもあるのですが、当時の「原爆の図」展が、原爆の惨禍を伝えるだけでなく、朝鮮戦争や米軍基地問題を視野に入れていた雰囲気が、よく伝わったのではないかと思います。
また、会場の「南口公会堂」が、現在の柴中会公会堂の前身だと判明したことや、展覧会ポスターを手がけたという画家・佐藤多持の紹介もしました。
佐藤多持の屛風画《水芭蕉曼荼羅 白76》は立川市の所蔵で、女性総合センターアイムの5階に常設されています。

クリックすると元のサイズで表示します


こんなモダンな日本画を描く画家が、どんなポスターを作ったのか興味深いところですが、残念ながらポスターは見つかっていません。

今回の講座には、当時の展覧会を実際にご覧になった女性が来場され、「とにかくこわかった」という展覧会の印象や、「その後の砂川闘争は、地元農家は土地をめぐる問題だったが、都市部の住民にとっては原水爆基地を作らせないという問題意識が強くあったので、原爆の図展はその原点だと思う」という貴重な証言を聞かせてくださいました。
また、立川市史編纂委員会の副委員長も講座を聞いてくださり、「私たちもまったく知らない歴史を、よくここまで掘り起こしたものだと驚いた」と、思わぬ言葉をいただきました。

次回は10月20日、「1950年代の原爆の図全国巡回」というテーマでお話しします。
1

2017/9/17

広島市現代美術館「モナ・ハトゥム展」  調査・旅行・出張

台風の迫る中、朝イチで広島市現代美術館へ。
モナ・ハトゥムの「ヒロシマ賞」受賞記念展を観ました。

クリックすると元のサイズで表示します

モナ・ハトゥムは1952年にパレスチナ人の両親のもとレバノンのベイルートに生まれ、イギリス旅行中の1975年にレバノン内戦により帰国できなくなってロンドンに留まりました。以後、現代美術を学び、ジェンダーやマイノリティの問題を発表し続けています。

「自国第一主義やポピュリズムの進行が不安視される今の時代だからこそ、今回の受賞記念展を多くの方々に御覧いただきたい」と松井広島市長が挨拶文を寄せていますが、そうした問題は広島そのもの、あるいは私たち自身にも内包されているわけで、そこに「ヒロシマ賞」がどうつながっていくのか、朝鮮学校の無償化をめぐる裁判などを想起しながら、考えざるをえませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

布で覆われた電気ケーブルと電球、皮膚や爪や毛髪、鉄条網、おろし金、針、溶かしたガラス瓶などを用いた立体作品の数々は、人間の普遍的な痛みを喚起させる見応えのあるものでした。

とりわけ記憶に残ったのは、《距離の尺度》という1988年の映像作品。作者の母親がシャワーを浴びている(一見、それとわからない)粗い画像に、アラビア語の手紙の文字が二重写しとなり、音声もまた、母と娘のアラビア語の楽しげな会話と、母からの手紙を英訳して読む作者の声が重なるように流れます。
戦争によって引き離された母娘の悲しみ、それでも続く親愛の情に加えて、娘が妻の裸体を撮影することをよく思わない父親の様子が手紙の中で語られていて、多義的に受け止められる作品になっていました。

《その日の名残》と名づけられた、「ヒロシマ」をテーマにした新作は、椅子やテーブル、ベッドなどの家具を金網で覆い、燃やして炭化させた「幽霊のような残骸」。白い壁や床には見事に映える詩的な作品で、日本風ではない家具が、「その日」を「ヒロシマ」だけではない方向に開いています。

広島市現代美術館には、来秋、大きな企画でお世話になるので、展覧会を観た後で担当学芸員にご挨拶。
本当はその後、旧日銀ではじまった「広島・キューバ展」を観るつもりでいたのですが、台風で夕方の飛行機の欠航が決定したため、急きょ新幹線で帰ることにしました。「広島・キューバ展」が観られなかったのは残念ですが、本格的な暴風雨が到来する前に無事帰宅。
お世話になった皆さま、どうもありがとうございました。
0

2017/9/16

原爆文学研究会in広島大学  調査・旅行・出張

午後から広島大学東千田未来創生センターにて原爆文学研究会に参加。
念願の『〈原爆〉を読む文化事典』(青弓社)が刊行され、世話人代表の川口隆行さんも、本当に嬉しそうでした。

クリックすると元のサイズで表示します

この事典は、私も「「原爆の図」と全国巡回展」と「東日本大震災後のパフォーマンス・アート」の2項を担当しましたが、研究会結成以来17年目の大事業ですから、創立会員の方々の感慨は一入でしょう。
この事典は、丸木美術館でも取り扱いますので、ご興味のある方は「丸木スマ展」とあわせてぜひご覧になって下さい。

クリックすると元のサイズで表示します

今回の研究発表は、市田真理さんによる「第五福竜丸・久保山愛吉さんに寄せられた3000通の手紙」、宮川健郎さんによる「那須正幹と原爆―『〈原爆〉を読む文化事典』・「教育と原爆児童文学」補遺―」の2本。
そして「原爆文学」再読のテキストは林京子さんの『再びルイへ。』、発題者は島村輝さんと村上陽子さんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

この研究会の重要な特徴は、「文学」を限定的にとらえるのではなく、多様な分野の幅広い表現を取り上げていくこと。
そのため、ビキニ事件で被爆し、半年後に亡くなった久保山愛吉さんとその家族、他の乗組員たちに国内外から寄せられた手紙の数々も、立派な研究対象となります。

むしろ、今回の市田さんの発表は、手紙という表現が、いかに書き手の意図を超えて、社会的な問題を露わにしていくのかを考えさせる、とても興味深いものでした。
ビキニ事件は、戦後の日米関係や核の矛盾の象徴のような極めて政治的な事件ですが、発表後の討論では、激励であれ、補償金をめぐる中傷であれ、問題が久保山さん「個人」に矮小化されてしまう点においては、実はそれほど違わないのではないかという指摘もありました。
こうした構造は、たとえば福島原発事故や沖縄基地問題など、現在の状況にも共通しているのかもしれません。
3000通という膨大な量の手紙を、市田さんが今後、どのように読み解き、まとめていくのか、楽しみに待ちたいと思います。

宮川さんの発表は、児童文学における「理想主義」というパターン化された枠組みを、いかに「多声化」していくかという内容で、個人には《原爆の図》の読み解きにもつながる問題として聞きました。
那須正幹さんは、子どもの頃に『ズッコケ三人組』シリーズでたいへんお世話になり、『絵で読む広島の原爆』も読んでいたのですが、宮川さんが「子どもをめぐる問題は、子どもの力によって必ず乗り越えられるかどうかわからないという考え直し」をした画期的な作品と評価する『ぼくらは海へ』は未読だったので、さっそく読んでみようと思います。

そして、林京子さんの『再びルイへ。』は、個人的にはちょっと難しいところもありましたが、村上さんの緻密な分析、そして晩年の林さんと近しい距離にあった島村さんの読解などを聞いて、あらためて読み返したいと思いました。。

   *   *   *

研究会の後は、近くの居酒屋で恒例の懇親会、場所を移して2次会。原文研の方々は相変わらず賑やかでしたが、カープの地元優勝の可能性が遠のいた広島の街は、心なしか静かでした。
台風の近づく夜は更け、さらに3次会へと向かうコアなメンバーと別れて、ホテルに戻ったのは日付の変わる直前でした。
2

2017/9/16

『中國新聞』コラムに「丸木スマ展」  掲載雑誌・新聞

丸木スマの「小宇宙」
 ―2017年9月16日付『中國新聞』「潮流」欄

クリックすると元のサイズで表示します

広島のホテルで、朝、部屋に新聞を届けてくれるサービスがあったので中國新聞をお願いしたら、ちょうど、今日の「潮流」欄に、論説委員の森田裕美さんが丸木スマのことを書いて下さっていました。
つい先日、開幕直後の「丸木スマ展」を見に丸木美術館まで来て下さったばかり。
原爆文学研究会の日に掲載を合わせて下さったのでしょうか。
どうもありがとうございます。
0

2017/9/15

井原市田中美術館「安藤榮作展」  他館企画など

明日の原爆文学研究会に備えて、広島に前泊。
途中、岡山でディーゼル機関車単線1両編成の井原鉄道に乗り、井原市立田中美術館へ。
安藤榮作さんの平櫛田中賞受賞記念展のオープニングに駆けつけました。

クリックすると元のサイズで表示します

《Being》や《光のさなぎ》、《鳳凰》、《ヒトガタ》、そして「狛ちゃんシリーズ」などのユーモラスな近作まで。これまで見続けてきて、それでも場所が変わるとまったく違うように見える作品群が、震災後の安藤さんの歩みをしっかりと伝えるように展示されていました。

クリックすると元のサイズで表示します

津波で作品が流されてしまったために、現存する震災前の作品は少ないのですが、それでも今回の展覧会には、福島県立美術館から1点、個人コレクションから4点ほど90年代の作品が出品されています。その個人コレクションの所蔵者が、大学時代の恩師である岡村多佳夫先生というのも不思議な縁です。

クリックすると元のサイズで表示します

オープニングトークには、たくさんの人たちが安藤さんの話を聞きに集まっていました。
なぜ斧を使うのか、という観客からの質問に対し、鑿よりも斧の方が不自由で自分に合っていた、それに斧は人間が最初に手にした道具で、スマホが発達した現代になっても使われ続けているのが好きだ、という安藤さんの答えが、とても良かったです。

会場には奥田元宋・小由女美術館のN学芸員も来ていました。
そのNさんにご紹介いただいた田中美術館のA学芸員からは、平櫛田中が丸木スマの彫刻を作る構想もあったという驚きの事実を教えて頂きました。田中もスマも同じ院展に出品していたので、もしかすると、スマがもう少し長く生きていたら、実現していたのかもしれません。
安藤さんと初めて出会ったのが埼玉県立近代美術館での「丸木スマ展」だったことを思うと、これもまた、不思議な縁のひとつでしょうか。

彫り跡の生々しい安藤さんの木彫と、その対極のように滑らかに形作られた平櫛田中の彫刻コレクションを続けて見た後は、井原駅で第五福竜丸展示館のI学芸員と地元名物という「ごんぼうバーガー」をほおばりました。
台風が近づいているので、無事に帰れるかどうか、ちょっと心配です。
0

2017/9/13

『埼玉新聞』に「丸木スマ展」紹介  掲載雑誌・新聞

無垢な心で色鮮やかに「丸木スマ展 おばあちゃん画家の夢」
 ―2017年9月13日『埼玉新聞』埼玉ミュージアム欄

クリックすると元のサイズで表示します

さっそく、埼玉新聞が特集を組んでくださいました。
小出菜津子記者、どうもありがとうございます。
「丸木スマ展 おばあちゃん画家の夢」開催中です。
0

2017/9/12

高畑勲さん来館  来客・取材

午後、アニメーション映画監督の高畑勲さんが来館され、館内をご案内しました。

中学生のとき、1953年の岡山天満屋での「原爆の図展」をご覧になっていたという高畑さん。それ以来《原爆の図》を避けていたそうですが、「もう《原爆の図》を観ても動じないだろう、という予感があった」とのことで、足を運んで下さったのです。

《原爆の図》は、芸術的な野心を持った絵だから、体験を伝える絵とは違う。「この絵はちいと違う」と言った大道あやさんの言葉に共感する、とお話しされながらも、長い時間をかけて丁寧に絵を観て下さいました。
被爆体験の継承という目的が先に来ると、どうしても無理が生じる。それより、絵画としてどういう時代に描かれ、それがどんな意味を持ったのかを考えることが、これからは重要なのではないか、という貴重なご意見も頂きました。

高畑さんは、10月28日(土)に埼玉会館で開催する「丸木美術館 開館50周年の集い」で、アーサー・ビナードさんと「戦争と表現をめぐって」と題し、対談して下さる予定になっています(近日詳報)。
今日はその打ち合わせも行い、戦争画のこと、《原爆の図》のこと、丸木スマや大道あやの絵のことについても話したい、とのお気持ちを聞かせて下さいました。
理論家の高畑さんと詩人のアーサーさんの掛け合いが、どのような方向に向かうのか。私は進行役を務めるので、うまく舵取りできるかどうか、ちょっとドキドキしつつ、でも非常に楽しみです。

クリックすると元のサイズで表示します

企画展の「丸木スマ展」は、《原爆の図》以上にじっくり時間をかけて、とても楽しそうにご覧になっていました。
写真はスマの代表作《簪》の前で。「こんなふうに観ているところはどうでしょう」と、わざわざポーズをとって下さいました。
そんなわけで、ちょっと「やらせ風」の写真になってしまいましたが、ユーモアのあるサービス精神が嬉しかったです。
0

2017/9/9

「丸木スマ展」「富丘太美子展」開幕!  企画展

2011年度以来、久しぶりの丸木美術館「丸木スマ展」。
一宮市三岸節子記念美術館から作品が運ばれてきて、無事に開幕することができました。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2017/suma.htm

ご協力下さった皆様、本当にありがとうございます。

クリックすると元のサイズで表示します

やはりスマさんの展示は、空間がぱっと明るくなるようで、いいですね。
たくさん絵を見てもらいたくて、ちょっと展示数が多くなりましたが、それでも楽しい展示になりました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

注目は、今年3月に広島市三滝町の親族宅で見つかった《ピカドン》。
丸木美術館で展示するなら、こうしなければ・・・と思っていたプランを実現してみました。

クリックすると元のサイズで表示します

左右のデッサンのイメージが、中央の《ピカドン》に描きこまれているので、ご注目ください。
左のデッサンは、ずっと横向きだと思われていて(1984年小学館画集にも横向きで収録)、縦に展示するのは今展が初めてです。

9月13日(水)午後6時には、NHKさいたま局のFMラジオ番組「日刊!さいたま〜ず」に生出演して「丸木スマ展」についてお話しします。
お相手くださる斉藤翠キャスターは、広島大学出身、前任地もNHK広島局とのことで、今日は打ち合わせを兼ねて来館、熱心に「丸木スマ展」をご覧になっていました。
ラジオ放送は埼玉県内のみの放送となりますが、県内の方はどうぞお聴きください。

クリックすると元のサイズで表示します

2階のアートスペースでは、富丘太美子展「鋳物工場」がはじまりました。
今日は富丘さんも、美大出身という息子さんご夫婦に連れられて会場に来てくださいました。
60歳を過ぎて、地元・川口の鋳物工場を描きはじめた富丘さん。表現の方法はスマさんとは違いますが、夫の死後に描きはじめたことや、丹念に労働の風景を描いているという共通点はあります。
ぜひ、こちらの展示もお見逃しなく。
「丸木スマ展」「富丘太美子展」ともに、11月18日(土)まで開催しています。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ