2017/12/16

ノーベル平和賞受賞記念川崎哲さん講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員の川崎哲(あきら)さんをお迎えして、ノーベル平和賞受賞記念講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催しました。

ノーベル平和賞授賞式から前日に帰国したばかりという川崎さん。
講演を依頼したのはノーベル平和賞発表前の9月だったので、その後激変した状況の中で、本当に来られるのかという不安もあったのですが、約束通り、帰国後最初の講演に駆けつけて下さいました。

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会場には大勢の方が集まり、盛大な拍手で川崎さんを迎えました。

川崎さんは、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式の様子を詳しく報告した後、核兵器禁止条約の意義とICANの果たした役割について、論理的かつ明快に話して下さいました。

以下に、核兵器禁止条約の話を中心にした川崎さんの講演の抄録をまとめます。

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ノーベル平和賞受賞は、広島・長崎の記憶を伝えてきた市民の取り組みが受賞の土台になった。受賞最初の講演をこの場所でできることは光栄だ。

ICANは、国家間の情報収集や交渉の調整・提案を行い、核兵器禁止条約の締結を実現させた。
7月に締結された条約には、国連加盟190ヵ国の2/3に近い122ヵ国が賛成した。
世界では、圧倒的多数の国が核兵器は未来永劫不要だと思っている。
核保有国は9ヵ国、米国と同盟関係にあるのが約30ヵ国、合わせても約40ヵ国。
日本政府の立場は少数派だ。

オランダは唯一の反対投票をしたが、参加した点は評価できる。
オランダはICANの活動が活発で、議会を動かした。
最終的にNATOとの関係から反対票を投じたが、日本政府は参加すらしない。

条約成立のとき、サーロー節子さんは「これは核兵器の終わりのはじまりである」と述べた。
前文には、核実験被害者、先住民族、女性の存在を踏まえ、「いかなる核兵器の使用も国際人道法違反である」と明言されている。自衛などの例外はない。

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条約は、核兵器の製造、保有、持ち込みを禁じている。日本政府が非核三原則を守るなら障害はない。使わない、威嚇しないという条項もクリアできる。
問題は、援助・奨励・勧誘しないという条項だろう。米国の核の傘の下に守られているというのは、核使用作戦に参画しているということ。

「核保有国」という言い方をするが、使うために保有しているのだから「核武装国」だ。
世界には9つの核武装国があり、30の核武装協力国がある。
日本は北朝鮮の核武装には反対だが、米国の核武装に賛成という立場でいいのか。
米国の核武装に協力しないと言いきれるかどうかが問題だ。

条約は、核保有国が核を廃棄し、条約に入るまでの道も示している。
南アフリカは、かつて核兵器を保有していたが、90年代に廃棄し、国際機関の検証を受けて、その後は核廃絶を推進している。
私は北朝鮮がそうなれないかと考えている。北朝鮮の核問題があるから条約は意味がないと言う人もいるが、北朝鮮を核兵器廃棄の条約に参加させることこそ重要だ。

締約国は被害について医療的・社会的・経済的援助を行い、実験等によって汚染された環境を回復する義務もある。
日本には広島長崎の被爆者援護、福島の除染活動の歴史があるから、役割を果たすべき。

条約は50ヵ国が批准して発効する。
今は56ヵ国が署名し、3ヵ国が批准、4ヵ国目も国内承認まで進んでいる。
ICANの目標は、なるべく早く50ヵ国の批准を達成すること。
日本は核武装協力という基本姿勢が妨げになっているが、政府は直截に言わず、核保有国と非保有国の対立を助長するからダメだと言っている。
私は日本政府が核武装側に立って対立を助長させていると考える。
市民運動では、ヒバクシャ国際署名が515万ほど集まっている。

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今後は条約を周知させていくことが必要だ。
ノーベル平和賞の報道で注目されている今はチャンス。国会でも議論してほしい。
北朝鮮の加入を進めるためにも、専門家の知見を借りながら、条約の検証制度を強めていきたい。
金融機関・企業への働きかけも必要。核兵器製造に協力している企業や銀行は社会的な倫理違反であると呼びかけていく。かつてノーベル財団は核兵器製造企業に出資していたが、倫理規定を作って解消した。こういう動きが増えれば核兵器の資金調達が難しくなる。

北朝鮮が核兵器を持てば、日本にも核兵器は必要なのか。
それで北朝鮮は抑えられるのか。
「核には核」をという議論では、世界が核だらけになる。
それが安全だという考え方は、どうかしている。

米国は個人の権利として銃の保持を認めている。日本は銃を全面禁止している。
どちらが安全な社会か。米国が銃規制できないのは利権があるから。核兵器も同じ。

核兵器の物語には終わりがある。どのような物語かは私たち次第。
ICANのベアトリクス・フィン事務局長は「核兵器の終わりか、私たちの終わりか」と述べた。
サーロー節子さんは、広島で被爆し、奇跡的に助かった体験をもとに、「光が見えるだろう、そこに向かって這っていけ」と語った。
私たち自らが行動しなければ、状況を変えられない。

ノーベル平和センターでは、授賞式の翌日から、ICANの展示「BAN THE BOM(核兵器を禁止せよ)」がはじまった。
オスロの街にはその垂れ幕があふれている。
ノルウェー政府は条約に反対だが、ノーベル委員会は忖度しない。
ノルウェーでは条約に参加した場合どうなるかの論点整理を議会で行うことになったが、日本ではまともな議論の動きがない。その異常さをメディアも指摘して欲しい。

ICANは核兵器禁止条約という重要なツールを作り出した。日本は、被爆者や市民団体が運動をしてきた長い歴史があるが、自国の政府さえ動かせない。

奴隷制度も、女性の参政権も、最初から当たり前だったわけではない。
これは許されないと少数の人が言いはじめて、社会を変えた。
核兵器があれば、いつか使われる。使われれば人類が終わる。それが分かっていながら、仕方ないで片付けられる。
それはおかしいと声をあげて、行動しなければいけない。


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講演の後には、花束の贈呈も行われました。

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また、川崎さんのご著書である岩波ブックレット『核兵器を禁止する』の販売とサイン会も開催され、大勢の方が川崎さんにお祝いの言葉を伝えていました。

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お疲れの中、丸木美術館においで下さった川崎さんには、心から御礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
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2017/12/13

『中國新聞』に寄稿「丸木美術館開館50年」  執筆原稿

寄稿 丸木美術館開館50年 「原爆の図」から命を思う
 ―2017年12月12日『中國新聞』朝刊

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以下のWEBサイトで全文を読むことができます。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=79377

谷本清平和賞の授賞式スピーチをもとに、新聞掲載用に短くまとめました。
一年の締めくくりとして、良い機会を頂きました。
お世話になった文化部のDさん、どうもありがとうございました。
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2017/12/12

『朝日新聞』に川崎哲さん講演会紹介  掲載雑誌・新聞

ICAN川崎さんが16日に講演
 ―2017年12月12日付『朝日新聞』朝刊埼玉版
 http://www.asahi.com/articles/ASKD74GVQKD7UTNB00J.html

以下は、記事からの一部抜粋です。

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 今年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)で国際運営委員を務める川崎哲(あきら)さんの講演会が16日、東松山市の原爆の図丸木美術館である。ノルウェー・オスロで10日にあった授賞式から帰国後初の講演となり、受賞の意義などについても語る。

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実は講演を依頼したのは3か月前だったのですが、ノーベル平和賞受賞、しかも帰国後初講演という絶妙なタイミングになりました。授賞式の報告もして下さるとのこと。
12月16日は、ぜひ皆さまいっしょに川崎さんをお迎えしてお祝いしましょう。
お待ちしています。
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2017/12/5

五ノ神まいまいず井戸と玉川上水取水堰  調査・旅行・出張

先日、足利市立美術館で「涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ )詩人 吉増剛造展」を観ました。
吉増剛造さんは啓明学園、立川高校の先輩に当たり、だからといって特に接点があるわけではないのですが、彼の作品に登場する場所には、自分の幼い頃の記憶も共振します。

今日は、青梅の吉川英治記念館で丸木スマの《カニの図》を返却した帰りに、羽村駅で途中下車して、久しぶりに五ノ神まいまいず井戸へ行きました。

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「まいまいず」とはかたつむりのことで、武蔵野台地特有の砂礫層に掘った井戸へ向かう通路が鮮やかな螺旋を描いていることから、その名で呼ばれます。

地表面の直径約16m、深さ約4.3mの擂鉢状の窪地を降りていくと、直径約5mの底面に、屋根のついた小さな井戸があります。
鎌倉時代に掘られたと推定されるそうですが、保存・管理状態は極めて良好です。

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駅前の片隅に、ぽっかりと現れる異空間。
子どもの頃、週末によく家族でサイクリングをして、この井戸は定番のコースになっていました。小走りに渦巻きながら地の底へ降りていく感覚が、懐かしく思い出されます。

吉増さんの映像作品「gozoCiné」の冒頭に、この五ノ神まいまいず井戸が登場します。
多摩の土地性をよく表し、どこか魔術的な匂いのする古井戸を、吉増さんはお気に入りのようです。

昔のように駆け下りたい衝動に突かれましたが、母の手を引きながら降りていく少年がいたので、遠慮して道を譲りました。

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ちょうど紅葉が見頃で、地の底から空を見上げると、異界的な強度が増していました。

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せっかく羽村駅で途中下車したので、その後は、やはり子どもの頃のサイクリングコースの定番だった玉川上水取水堰にも行ってみました。

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江戸の爆発的な人口増加を支えた上水開削計画。
武蔵野台地は掘削に不向きな砂礫層なので、工事は困難を極めたそうです。

幕府から支給された資金が途中で底をつき、最後は家屋敷を売り払って工事を完成させたという玉川庄右衛門・清右衛門兄弟は“郷土の偉人”として小学校で教わります。
図書室で伝記も読みましたし、取水堰の近くには銅像も立っています。

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二人はその功績で玉川姓を名乗ることを許されたそうですが、経費はちゃんと幕府に請求できたのでしょうか、気になるところです。

工事の総奉行が“知恵伊豆”と呼ばれた川越藩主の松平信綱だったということも、川越に住むようになってから、あらためて知りました。

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ともあれ、玉川上水はここからはじまります。
四谷大木戸まで約43km、すべて露天掘りの上水道です。
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2017/12/4

小沢節子「『原爆の図』に寄せて−丸木美術館50年目の年に」  作品・資料

丸木美術館50周年の記念誌に、近現代史研究者・小沢節子さんにご執筆頂いた文章「『原爆の図』に寄せて―丸木美術館50年目の年に」が、「公共空間 X」というWEBサイトに紹介されました(一部加筆)。
「原爆の図」をめぐる現状、そして未来を示唆する重要な論考です。
http://pubspace-x.net/pubspace/archives/4575
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2017/12/3

狭山市立中央図書館平和祈念講演会  講演・発表

午後から、狭山市立中央図書館にて平和祈念講演会「伝え続ける−丸木夫妻が残したもの」に登壇。
狭山市主催の企画で、朗読グループ「あ・うん」によるアーサー・ビナードさんの写真絵本『さがしています』の朗読も行われました。

地元・埼玉県内での一般向けの講演依頼は珍しいのですが、会場には大勢の方が来て下さいました。
「丸木美術館に来たことのある方は・・・」と聞いてみると、ほとんどの方が手を挙げて下さって、ひと安心。「いやあ、これが都内の大学だと、誰も手を挙げないこともあるので・・・」と苦笑すると、会場の皆さん笑っていましたが。

政策企画課の職員も聴講して下さって、市内の公立小中学校の児童・生徒を対象に出張授業などで連携していきたいというお話も頂きました。今後につながればありがたいです。

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写真は、しばらく下車しないうちに様変わりした狭山市駅前の広場から見た中央図書館。
手前のミニオンは「奥富かかし祭り」の出品作とのことです。
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2017/11/28

太田市民会館「足尾鉱毒の図」特別公開  館外展・関連企画

太田市民会館で開催中の「足尾鉱毒の図」特別公開を見てきました。
全6点がそろって公開されるのは、すべて屏風になってからは初めてです。

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初めて「足尾鉱毒の図」を太田市から借りて、丸木美術館で展示をしたのは2008年なので、もう10年近く前のことになります。その頃に比べれば、作品を取り巻く人間関係も、作品の保存・公開の状態も、少しずつではあるけれど、問題を乗り越えながら前進してきました。

今も作品は環境政策課の管轄なので、つまり「美術品」としての扱いはされてないのですが(今回の展示も決して良好な環境とは言えないのですが)、今年から太田市美術館も開館して、学芸員も気にかけて下さっているので、きっとこれからも、少しずつ整備されていくことでしょう。

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「美術」や「環境」といった枠組みを超えて、地域に根付いて親しまれる作品に育って欲しいと願いつつ、久しぶりにじっくりと全作品を見せてもらいました。

ご案内くださった太田市美術館のK学芸員、同行のGさん、栃木県立美術館のS学芸員、どうもありがとうございました。
特別公開は11月30日まで。

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2017/11/26

石橋湛山平和賞に村山祐太くん  ボランティア

第6回石橋湛山平和賞の一般の部最優秀賞に、丸木美術館の若手評議員の村山祐太くんが選ばれました。論文のタイトルは、「ミレーから探る“小農”と“自治”の『反戦抵抗勢力』」

2017年11月25日の『毎日新聞』山梨版に、受賞が報じられていました。

https://mainichi.jp/articles/20171125/ddl/k19/040/068000c

村山くんは新潟県十日町市で里山支援の活動をしながら、丸木美術館の活動にも、たびたびボランティアで参加してくれています。
嬉しいニュース、おめでとうございます!!
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2017/11/25

木下直之さん講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」  他館企画など

鎌倉商工会議所会館へ、木下直之さんの講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」を聞きに行きました。

鎌倉国宝館、神奈川県立近代美術館などの建築物を、建築様式ではなく、「震災」や「敗戦」からの「復興」における意味という文脈で、鎌倉時代まで時間の枠を広げながら考える興味深い内容。
木下さんは、以前に著作の中で「原爆の図」の裸体表現についてもユニークな考察をされているので、講演の後に少しだけご挨拶をさせていただきました。

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写真は、鎌倉市役所から見た商工会議所会館。手前の銀杏の木は、1949年5月3日に「全国に先駆けて開かれた」鎌倉平和集会を記念して、仏文学者の小牧近江らが鎌倉駅前に植えた「平和の木」。
フランス革命の「自由の木」にちなみ、二度と戦争を繰り返さないという誓いをこめて命名されたそうです(1971年に現在の場所に移植)。
若き日のヨシダ・ヨシエさんが小牧近江に紹介されて、片瀬に住んでいた丸木夫妻のもとを訪れたのも、その年の暮れのことでした。

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帰りに、木下さんが講演の際に触れていた、鎌倉駅前にあるラングドン・ウォーナー博士の記念碑も見てきました。
ウォーナーは日本文化の研究者で、「文化は戦争に優先する」との言葉を残し、大平洋戦争の際には「三古都」(京都・奈良・鎌倉)に戦禍が及ばぬよう訴えた、という逸話も残っています。実際には文化財保護のためのリストを制作したものの、その有効性について諸説あるそうですが、空爆を受けなかった鎌倉では、とても大切にされている様子が感じられました。
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2017/11/24

青山学院女子短大「女性・環境・平和」特別講義  講演・発表

午前中、青山学院女子短大にて「女性・環境・平和」の特別講義。

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「原爆の図」と絵本『ひろしまのピカ』を比較し、丸木スマの存在にも触れながら、記憶を伝える絵について話しました。子ども学科の学生が多いことを意識して、『ひろしまのピカ』は土本典昭監督のビデオ絵本(25分)も上映しました。

「多数の記憶の集合体」と「母娘の物語」の構造の対比や、「占領下・朝鮮戦争下の抵抗」と「次世代への継承」といった動機の違いを軸にしつつ、では今の時代を生きる私たちはこれらの絵から何を受けとるか、という問題につながるように話してみましたが、さて、若い学生たちの反応はどうでしょうか。いまどきは手書きよりスマホで送信してもらった方が、生徒が感想を詳しく書くそうで、後日感想をまとめて送ってもらうことになっています。

毎年楽しみにしているこの講義も、残念ながら青短そのものの学生募集停止が決まったため、今年で最後になるかもしれません。キャンパスは黄葉がきれいでした。
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2017/11/23

「今日の反核反戦展2017」オープニングイベント  企画展

「今日の反核反戦展2017」オープニング・レセプション。
実行委員の皆さんが運営をがんばっているので、私ははじめの挨拶をするだけです。

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今年の2階アートスペースの特別展示は、東京・横浜・京都・広島の朝鮮学校の高校美術部による特別ユニット「境界族」。「境界」に生きる彼らの世界が、決して広くないスペースに凝縮されて、いつもと違う空気感を生み出しています。

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床の上には、シュレッダーで刻んだ紙で「境界」が作られていて、「境界」をまたぐ来場者の足が無意識に触れるたびに、少しずつ壊されていくという仕掛け。
とはいえ、初日から早くも途切れつつあるので、後から来るお客さんにコンセプトが伝わるように少しは修正した方がいいのか、悩んでいます。まさか自分が「境界」を作る役回りになろうとは。こないだ「線を引かない」とか言ってたばかりなのに。

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オープニング・イベントでは、朝鮮学校舞踏部がゲスト出演。華やかな舞踏を見せてくれて、会場は拍手喝采でした。
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2017/11/22

【広島出張2日目】広島市現代美術館「藤森照信展」など  調査・旅行・出張

午前中は広島県立美術館と丸木家親族のお宅に丸木スマ作品を返却。
あいにくの雨でしたが、無事に返却作業を終えて、ひと安心です。

親族のOさんのお宅では、ちょうど昨夜浜田に海釣りに行ってきたとのことで、運送業者さんといっしょにイカの刺身やカツオのたたきをご馳走になることに。まったく予想していない事態でしたが、図々しくも美味しくいただきました。

その後はOさんといっしょに広島市現代美術館「藤森照信展」へ。一級建築士のOさんは、藤森建築もいくつか見て歩いているそうで、ユニークな建築素材について解説して頂きながら、楽しくまわりました。

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そして、夜遅くに帰宅したところ、上野朱さんから福岡市文学館「上野英信展」図録が届いていました。行きたいと思いながらも日程的に難しかったので、ありがたくいただきました。

しかも、某放送局のディレクターとして展覧会の取材に来られたのが、丸木家の親族Oさんの息子さんだったとのこと。そのOさんのお宅でご馳走になったばかりだったので、偶然のつながりに驚きました。

図録(といってもテキスト中心)は読み応えのある力作なので、保存版として大切にします。
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2017/11/21

【広島出張初日】岡部昌生展  調査・旅行・出張

丸木スマ展作品返却のため、トラックで2日がかりで広島へ来ました。
夕方、吉島の日通倉庫に丸木スマ作品を預けてから、ギャラリー交差611とGALLERY NODEをまわって岡部昌生・港千尋「わたしたちの過去に、未来はあるのか」展を観ました。
本当はもう会期が終わっていたのに、展示を残して下さっていたのです。ご案内いただいたギャラリーGの木村さんに感謝。

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GALLERY NODEは初めて訪れたのですが、とても良い空間で、岡部さんがパリの版画工房idemの床を擦りとったフロッタージュ作品が、夜の街にぽっかり浮かび上がっていました。

その後、岡部さんやギャラリーの方々と、広島駅近くの店で遅くまで牡蠣鍋。
10年ほど前にひょんなことから岡部さんの宇品のプラットフォームのフロッタージュ作品を入手したものの、ご本人にお会いするのは初めてだったので、貴重なお話を聞かせて頂けたのは嬉しかったです。
岡部さんの大学時代の恩師が、旭川高女で赤松俊子を教えていた戸坂太郎だったと、初めて知りました。人はいろいろな縁でつながっているようです。
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2017/11/19

展示替え/「原爆の図」全点展示  企画展

丸木スマ展が終わり、展示替え作業日。
お手伝いいただいたボランティアの皆さま、ありがとうございます。

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午後、富山県美術館から第8部《救出》が戻ってきて、半年ぶりに丸木美術館に「原爆の図」14点が揃いました。来年も3月以降は貸出が続くので、冬のあいだは全点をまとめて観るチャンスです。

企画展として、11月23日から1月13日は「今日の反核反戦展2017」、2月10日から3月4日は「石川真生展 大琉球写真絵巻」(会期のはじめが変更になりました)も開催します。
どうぞお見逃しなく!
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2017/11/18

白崎映美&東北6県ろ〜るショー  他館企画など

「丸木スマ展」「富丘太美子展」の最終日で盛況の美術館を夕方に抜け出して、新宿全労済ホール スペース・ゼロの「白崎映美&東北6県ろ〜るショー」に駆けつけました。

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8月6日の丸木美術館には小編成でご出演頂きましたが、今回は本格編成のスペクタクル版。獅子舞、鬼剣舞、盆踊、達磨娘、チンドン屋、上々颱風の元メンバーも登場して、2時間たっぷり楽しませて頂きました。
あらためて、50周年のひろしま忌で歌っていただいたことを、嬉しく、ありがたく思い出しました。

まっすぐな思いと力強い歌声に打たれて、もう一年の締めくくりの歌合戦を聞いてしまったような気分です。
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