2017/6/5

もう一つの日本文化(学習会「先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ」開催記録(その5))  文化・芸術
 木村さんが共同代表になっている【平取「アイヌ遺骨」を考える会】 の学習会 『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』 が3月18日、平取町・二風谷生活館で参加者110名と盛会裏に開催された。

 懇親会出席者は凡そ40名、反対意見をも自由に発言できる開かれた学習会だった。とても意義のある学習会だったといえる。

 学習会プログラム
 @開会のあいさつ 井澤敏郎(平取町町議会議員/平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)
 A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v
 B殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)「アイヌの遺骨はコタンの土へ」
 C小田博志さん(北海道大学教授)「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」
 D市川守弘さん(弁護士)「地元の土に遺骨を戻すには」
 E自由な意見交換
 F閉会のあいさつ 木村二三夫(平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)


 さて、【平取「アイヌ遺骨」を考える会】から開催記録(講演録)の提供があったので、引き続き(その5)をご紹介する。

 D市川守弘さん(弁護士、遺骨返還訴訟原告代理人)「地元の土に遺骨を戻すには」

 いちかわ・もりひろ 1954年生まれ。1988年、札幌弁護士会登録。アイヌ遺骨返還請求訴訟原告代理人。著書に『アイヌの遺骨はコタンの土へ』(共著、緑風出版)など。

『みなさん、こんにちは。
さきほど植木さんが、大学に集められたアイヌ遺骨が遺伝子研究の試料にされる、というお話をされました。これは、政府の文書にはっきりそう書いてあるんです。

 アイヌ政策推進会議というのが内閣府に設置され、そのトップは、テレビによく出てくる菅義偉(すが・よしひで)官房長官です。その内閣府の下に、アイヌ政策推進会議というのがあります。さらにその中に政策推進作業部会が構成されていて、北海道大学の常本照樹教授が部会長を務め、北海道アイヌ協会の理事長と副理事長、それから時々、事務局長も参加しているようです。

 この部会が象徴空間についてのまとめをしているんですね、「こういうものを建設します」と。その中に「(各大学に取り残されたままの)遺骨は(白老の象徴空間施設に)集約して研究することを可能とする」とあります。植木先生がさきほど映し出した言葉そのものが書かれています。

 でも(象徴空間施設が完成するとされる)2020年まで、研究はまだまだ先のことだろうと思っていたら、ついこの間、共同通信がスクープしました。札幌医科大学で(保管しているうち)100体前後のアイヌ遺骨から遺伝子が抽出──ようするに遺伝子研究に提供されていた、ということです。

 道内ではマスコミがあまり大きく取りあげなかったので目にしていない人も多いと思いますが、本州なんかでは大きく取りあげられて。『沖縄タイムス』は外交面で、トランプ米大統領の記事と、キム・ジョンナム殺害事件の記事の真ん中にその記事が掲載されていて、非常に目立っていました。

 札医大の遺伝子研究は、将来の(収集アイヌ遺骨を利用した研究の)布石になっているんですね。基本的には歯を粉砕して、中の髄(ずい)から遺伝子を採るのですが、今回は(保管中の頭骨から抜き取った)歯を上下半分に切ってその下半分を使ったらしいです。上部を元に戻して外見上分からないようにした、とそこまで言ってるんですよ。

 どこに言っているかというと、この札医大の研究については、篠田謙一さんという筑波の……国立科学博物館の人がわざわざ研究計画書を作って、この計画書に基づいてやっています。(計画書では)札医大の89体の遺骨からサンプルを採る、となっていますが、実際はもう少し採っていたのではないか、というのが共同通信の記事に出ていました。

■遺骨は「埋蔵文化財」か?
 なんでこんなことができたのか。2つあるんですね、こういう遺体が出てきた時に、それをどう扱うか。遺伝子研究の前に、そもそも遺体が出てきた時にそれをどう扱うか、(取り決めが)2つあるんですね。1つは埋蔵文化財(として扱う)。もうひとつは行き倒れ。これね、難しいんですよ、行旅死亡人取扱法ってのがあるんですよ。旅行をひっくり返してコウリョ。だから旅行死亡人でしょって思うんだけど行旅死亡人取扱法、これ行き倒れです。それともうひとつが文化財保護法に基づく文化財指定。

 やたら今回は文化財、文化財……。去年あたりからですね、この遺伝子研究をしていた山梨大(学医学部法医学講座教授)の安達(登)さんという先生が、(北海道)アイヌ協会主催のシンポジウムで、やたら文化財・文化財っていう言い方をしていたんですね。そこで、じゃあ文化財だったら研究できるのか、という話ですね、まずね、出発点は。

 みなさん、骨っていうのは文化財、というふうに思います? これ文化財保護法2条に定義があるんですけどね、骨、入ってないんですよ。そりゃそうですよね。文化財ってのは人が手をかけて何か文化を生み出して、その産物を文化財っていうんでしょ? 骨っていうのはただ生まれて死んで、残った遺骨ですから、これ文化財でも何でもないんです。だから本来、遺骨ってのは文化財には該当しない。

 だけどたとえばそれが、ナントカ遺跡から出てくると、ナントカ遺跡と一体となって文化財。あるいは、持っていたもの、あるいは服、そういうものと一体となって文化財、てことはあり得るんですね。だから、それには遺跡がそもそも文化財的価値がないとダメだし、持っていた、たとえば刀とか服とか、そういうものも文化財的価値がないと「一体となって」ていうことは言えないですね。

 札医大はその「一体となる」何かを持っているかというと、持っていないです。これは後で言いますが、北大も持っていません。ていうか、持っているんですが、遺骨とは全然別になって、たとえば「児玉コレクション」になっているとかね、なっているので。そもそも(アイヌ遺骨を)持っている人たちがね、北大にしろ札医大にしろ、文化財とは思っていないわけですよ。とにかく研究したいから理屈をつけているんじゃないか。

 で、またおもしろいのは、そういう理由で文化財になっていいような骨であっても、たとえば高松塚古墳。ありますね、奈良県に。あそこは文化財にしていないんですよ。そりゃなぜかというと、地域の人たち、住民の人たちがこれ、慰霊する、慰霊の対象にしている。つまり慰霊の対象になるとどうも文化財にはならない。古墳は文化財だけど、古墳から出てきても(発掘遺骨を)文化財とはしなかった、っていう例があるんですね。

 それから、天皇陵。ありますよね、いっぱい。立ち入り禁止になってますが、天皇陵から仮に骨があったとして、その骨を持ってきた。じゃあ文化財だろう。ふつう文化財ですよね? ナントカ前方後円墳とかいっぱい、そういう古墳ですから「一体となって」文化財だろう。でも、これもおそらく、天皇家が慰霊の対象にしているんだから文化財にはなりません、ていうふうになるはずなんです。

 そうなるとね、文化財(だから研究試料として活用できる)というのは理屈になっていないんですね。文化財だろうがなかろうが関係ない。というのがひとつ、あります。

 もうひとつは、文化財であっても、所有者の了解を得なければ勝手なことはできないですよ。単純に考えて下さい。法隆寺。重要文化財、国宝です。文化財だから(といって研究計画書を書きさえすれば)国が勝手に土台に穴あけていいか? それはムリですよね。それはお寺の承諾を得ない限り、手は出せない。そういう点から考えても、文化財だとしてもですよ、承諾をちゃんと得なければいけないんですよ、っていうのが結局、出てくるんですね。

■「古い遺骨」研究の承諾者はだれ?
 で、結局出てきて、じゃあだれが(収集されたアイヌ遺骨の)所有者なのか。先ほどからいろいろ話が出ています、「祭祀承継者」です。祭祀承継者というのは、ほとんど今、分かりません。遺骨に限らず、この中で、祭祀承継者だったいう人、います? 「自分は祭祀承継者だ」という方?(会場沈黙)

 戦前は戸主、長男が継いでいた。戦後は遺産分割協議をしないと決められないです、だれが祭祀承継者かは。でもそんなことやってないですから。ウチもやってません(笑)。だれが祭祀承継者かって。ウチの親の遺骨のね。決めてません。そんなもんなんですよ。だから祭祀承継者、祭祀承継者ってもったいぶって、国や北大は言うけれども、何てことはない。誰も分からないからいいでしょ、ということになっちゃうんですね。

 だからひどいのはね、先ほど言ったこの「研究計画書」によるとね、「本研究は100年以上前に亡くなった方の人骨を対象に行われるもので、直接の血縁者は存在していない」。結局は祭祀承継者としての前提としての血縁者すら分からないんですよ、って言ってんです。
 「したがってその家族・血縁者に対する人権および利益の保護を保障することはできない」
 もう誰だか分からないんだから、ねえ、人権なんか考慮する必要はないですよ、って言っています。

 問題なのは、「そこで関係団体である北海道ウタリ協会に研究計画を説明し、理事会の了解を得た」、つまり北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が了解してくれているから、(研究試料として利用して)いいんだ、という論理になっている。

 さきほど植木先生の話にもありましたね。(承諾を得る先が)北海道ウタリ協会(当時)でいいんですか? ていう問題です。──仮に文化財だとしても。
もしこれ、文化財じゃないよってことになって、さっき言った行き倒れ(とみなして遺体を取り扱う)みたいな法律で適用していくと、一番早いのは、何て言っているかというと、古い遺骨については、地元の教育委員会が「引取者」になる、遺骨の。

 そうすれば、その人(地元自治体教育委員会)の承諾を得て研究できるんですよ、ということになるんですね。だけど、引き取り者がいない、あるいはこういう古い遺骨……。いったいだれが承諾権を持つのか。あるいはだれが「おれたちの遺骨なんだ」と言えるのか。やっぱり大元はそこに行き着くんですよ。

 そこをしっかり考えていかないと、なんかね、札医大で遺伝子研究をやって、文化財だと言われたけど、そんなもんなの? という話になっちゃうけど、本当は違うんですよね。そもそもだれが権利を持ってんのか、遺骨に対して──という議論を考えていかなければいけない。

■コタンが有する遺骨管理権
 (ここまでの話は配付資料の見出しの)「本当にそうなのか」というところですね。

 で、1番はいいです、(本来なら副葬品と一体化させて文化財に指定すべきところ)タマサイなんかなくて遺骨だけだから、そもそも文化財ではあり得ません。札医大なんて、タマサイと一緒に保管してないし、北大もそうですよね。それから(遺骨の所有権者は)祭祀承継者って言われているけど、祭祀承継者っていうのはあくまで家制度の名残。和人の、封建的な家制度の下で……あのう、和人の考えを強制しているわけですね。ここでね。で、祭祀承継者を見つけてこいって話になるんです。これは現代における強力な同化政策なんですよ。和人の考えを(アイヌに)押しつける。それに従えっていう。

 で、私たち(遺骨返還請求訴訟原告弁護団)がずっと一貫して主張しているのは、アイヌの遺骨の場合は、管理していたのはコタンですよ、コタンに権限があるんですよ、ということ。ここでコタンというと、なかなかね、ただ「集落」をさしているんじゃないの? というふうに思いがちです。だけど違うんですね。今日も榎森進先生が会場にいらしてますが、榎森さんの著書なんかをちゃんと読むとね、明治になる直前まで、だから1867年まで、各地にコタンがいっぱいあったでしょ? 

 そのコタンは自分たち独自の、排他的・独占的狩猟権を持っていた。そこで自分たちのコタンのメンバーだけがサケを捕ったりシカを捕ったり、自然資源をとったりしていた。つまり支配権を持っていた。支配領域を持っていたということです。それから、これ知らない人が多いんですが、裁判制度も持っていたんですよ。刑事法もありました。民事法もありました。それに基づく手続き法もあった。これはね、大正時代くらいまで、道庁の記録に残ってるんですね。どこどこの地域ではまだやってる、と。という形で大正時代になるまで残っていた。すごいでしょ? 独自の裁判制度を持っていたんですよ? 

 それから、一番大きいのは、幕藩体制下において、幕府や松前藩は、アイヌの人たちに課税できなかった──しなかったことです。課税したら違法だった。松前藩が勝手にアイヌに課税したら、それを徳川幕府が知ったら御家取りつぶしです。改易。それだけ厳しい決まりの中で、絶対に課税されなかった。課税されないということは、何人ここにいるかとかね、調べる必要がないから、人別帳もなかった。「人別帳」というコトバは、幕末になるとそういう文書も作られてくるんですが、それは商人が勝手に労働力として、どこのコタンから何人徴用しようっていうんで作ってるだけで、本当の政府が作る人別帳はなかったんですね。

 人別帳がないってことは、無宿人もいなかったわけです。時代劇なんか見るとね、無宿人になって、無宿人狩りで捕まるでしょ? 江戸なんかに勝手に出てきて。捕まって人足寄せ場に送られて、腕に入れ墨されちゃうんですよ。でも(蝦夷地では)人別帳がないから無宿人ていないの。しかも、蝦夷地は和人地といちおう区別されていて、勝手に和人は入ることもできない。そういうコタンというのが、あっちこっちにあった。そういうコタンがひとつの独立した「国家」だったんですよ、明治になるまで。

 そういうコタンが、自分たちの支配領域内に墓地を持っていて、そこで、たとえば死者を埋葬したら「あそこに行っちゃいけないよ」というルールで拘束していた。強制力をもって。そういう管理をしていた。「行ってはいけない」という強力な管理をしていた。だからほんとにね、墓地に埋葬されている遺骨っていうのは、コタンが厳格に管理していたんです。それを和人が勝手に、「何だ、墓参りにも来ないんだ、だったら無縁仏だ」と、持って行っちゃう。でも「見つかったらやばい」ということは十分知っていたんです。それは、先ほどのおふたりの話にも出てきました。

■出身者で「コタン亡命政府」を作ったら……
 そういう意味では、コタンが遺骨管理権を持っていた──今でも持っている。でも、よく聞くのは、「今はコタンなんかないじゃない?」という声です。「コタンていう名前の喫茶店はあるかも知れないよ? だけどコタンなんてないでしょ?」というのが一般的な考えかも知れません。

 そんなことはないんです。みなさん、パレスチナを見てください。パレスチナは1945年まで、アラブのパレスチナの人たちがあそこに国を持っていました。戦後、イギリスの援助を受けて、世界中のユダヤ人があそこに入植してユダヤの国、イスラエルを作った。その結果、パレスチナの人たちは放浪の旅に出るわけです。エジプトに行ったり、シリアに行ったり、アフガニスタンに行ったり、アラブ諸国に行ったり、散らばっていった。だけどやっと、何十年前ですか? パレスチナ亡命政府のような、パレスチナ政府をちゃんと作れるわけです。それからチベットのダライ・ラマ。あの人もいまインドに亡命中ですね。亡命政権を作っています。

 みなさんも、何なにコタンの出身者であれば、何なにコタン亡命政府をつくればいい。そう思いません? そうすれば、俺たちの承諾がない限り遺伝子なんか使うなよ、遺骨は俺たちに返せ、そして自分たちはちゃんと元の土地に埋めるんだ、と。それを実行したのが、実行できたのが、杵臼であり、紋別であり、今日いらしています、浦幌なんですよ。

 道筋はできました。この道筋の則って、あとは声を上げるだけなんです。みなさん、声を上げてください。きょう「コタンの会」を静内でやりました。「静内の遺骨返還をやるぞ」「東幌別もうやるぞ」と決まりました。ぜひ平取も、きょうこの日、返還を求めるんだ、ということで頑張って欲しいと思います。以上です。(拍手)』
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