2016/9/15

もう一つの日本文化(上貫気別におけるシンヌラッパ、「カムイ達15」)   文化・芸術
 エッセイ・カムイ達シリーズの作者、木村二三夫さんとの付き合いも1年になる。

 2015/11/11のブログで、木村さんから「「新冠御料牧場におけるアイヌ強制移住」」についての調べものを依頼されたことを紹介したが、8月28日(日)、この移住先である平取町上貫気別(現在の地名では[旭地区])でシンヌラッパが開催された。

 *「先祖供養」のアイヌ語は、標準語では「イチャルパ」だが、木村さんの地域では「シンヌラッパ」と呼ばれる。

 今回の「上貫気別におけるシンヌラッパ」開催要領での趣旨は、次のとおりである。

 明治大正の馬耕時代及び軍用馬生産のため新冠牧場は拡大され御料牧場へと変遷し、1915年(大正4年)姉去コタンを追われ上貫気別へ強制移住させられた人々の悲しみには、凄絶なものがありました。

 この郷土に開拓の心血を注いだ先駆者の事績を後世に伝え、鎮魂の誠をささげるとともに、強制移住から100年が経ち、この歴史的事実を風化させないためにも本事業を実施するものであります。

 クリックすると元のサイズで表示します

 また、前日(8月27日)の北海道新聞(朝刊)には、次の記事が掲載された。

 『100年前コタンから強制移住 苦難の先祖あす供養 平取アイヌ協会 08/27

 【写真】シンヌラッパを行う旧上貫気別墓地の記念碑前で「歴史を正しく語り継ぎたい」と話す木村二三夫さん

 【平取】1916年(大正5年)、当時の新冠御料牧場(日高管内新冠町、新ひだか町)内にあった「姉去(あねさる)コタン」(新冠町大富)に住むアイヌ民族の人々が、50キロほど離れた上貫気別(ぬきべつ)(同管内平取町旭)への移住を強いられてから、今年で100年。

 平取アイヌ協会は28日、平取町内で節目として先祖供養の儀式「シンヌラッパ」を開く。政府がアイヌ民族の生活・教育支援を目的とした新法を検討していることを踏まえ、同協会は「国民に広く史実を知ってもらいたい」と話す。

 「日高國 新冠御料牧場史」(85年)を著した元高校教諭の郷土史家、山本融定(ゆうじょう)さん(78)=苫小牧市=によると、姉去コタンでは70戸、300人ほどが貸与地で農耕と牧場をしていた。

 しかし、14年に突然、上貫気別への移住を迫られた。牧場を所管する宮内省の担当者が、この土地を馬の飼料を作る穀物畑にしようとしたためだった。

 上貫気別は当時、未開の地で、16年までに上貫気別に移住したのは20戸程度だったとされる。移住者は炭焼きなどで現金を得ながら、山林を開墾する労苦を味わった。開墾や営農を断念し、去る世帯も多かった。

 住民が25年、当時の新冠村長に宛てた嘆願書では「やうやく生き残って食ふや食はずの生活」だと訴え、御料牧場に戻れるように支援を求めている。現在、平取町旭に残るのは数世帯という。

 榎森進・東北学院大名誉教授(アイヌ民族史)によると、「明治以降の強制移住は主なもので20件ほどあるが、姉去コタンからの移住は規模も大きく、宮内省管轄の牧場で強制力が大きかった」と説明する。

 シンヌラッパは、町が90年に建立した強制移住の歴史を伝える「旧上貫気別墓地」の記念碑前で行う。平取アイヌ協会、新冠アイヌ協会の会員ら計30人が、カムイノミ(神への祈り)などで上貫気別の地に眠る先人を慰霊する。

 企画した平取アイヌ協会の木村二三夫(ふみお)さん(67)は「先人の慰霊に加え、歴史を語り継ぐ取り組みとして、今後も何らかの形で続けていきたい」と話す。

 新冠御料牧場 1872年(明治5年)、開拓使長官黒田清隆が現在の日高管内新冠町、新ひだか町の約7万ヘクタールに野馬を集めて創設。84年に宮内省に移管され、その後、新冠御料牧場と改称された。

 面積は増減を繰り返し、戦時中の1942年(昭和17年)で約1万7千ヘクタールだった。戦後の47年に農林省所管となり、新冠種畜牧場と改称。緊急開拓地として1万ヘクタール以上を解放した。

 49年に乳用牛の育種改良事業を始め、2001年には 独立行政法人 家畜改良センター新冠牧場に改組した。現在は約2千ヘクタールに900頭を超える乳用牛を飼育している。』

 新聞記事にもあるように、アイヌへの強制移住の歴史事実は、この上貫気別だけではないが、【国家(政府・権力)による人権侵害】を二度と再発させないためにも、このような行事は有効だと思う。

 さて、話は変わる。
 私は、浦川太八さん、川上哲さん、貝澤徹さん、木村二三夫さんなどと交流が進むに連れて影響を受けたことがある。

 それは、自分の拠り所となる文化を大切にしようとする心だ。

 私は日本人の一人として、普通に暮らしているが、たまたま縁のあった(日本文化の)伝統行事等には参加することが多くなった。

 今月(9月)3日に札幌の慧林寺で開催された「札幌 お香とお茶の会」もその一つとして参加した。

 志野流の香席に2席、表千家と裏千家のそれぞれの薄茶席に参加したが、興味深く感じることがあった。

 それは、表千家の薄茶席でのことだ。
 席に入ったところ、床の軸(床の間の掛け軸)に「山是山 水是水」と書いてある。

 禅語である。
 言葉どおりの意味は、山は山、水は水。

 この趣旨は、山を山と感じ、水を水と感じる。こういう当たり前の事の中に人の幸せはある、ということだという。

 この軸をみて思い出したのが、木村氏の【カムイ達14−タンネカムイ(へび)】だ。
 こう書いてある。

 「…しかし暑い。そんな午後、高山特有の気まぐれ雨がザァーと叩きつける様に降り、暑さで火照った体と疲れを流してくれる。

 フッと一息つく瞬間だ。今日も楽しく仕事が終了。
 俺はいつもイコロイサンペ(金がない)が、金では買えないもの、それは自然の美しさ、カムイ達との関わりで癒しをもらって帰れる。

 そんなスバラシイ環境で仕事のできる俺。なんと幸福者か。
 さて、今日も暑いのでビールでカムイ達に乾杯だ。…」

 木村氏は、山での営林労働、周囲の森林、カムイ達(動物達)などにこの世界の美しさ、自己の幸福を感じている。この心境は、一瞬かもしれないが、無我の境地だ。

 禅の高僧(仏教・禅文化)も木村氏(アイヌ文化)も、その方法は異なるが、同じ境地に達している事実は同じだ。

 多様な文化が、人類に単一でない複数の選択肢を与えてくれる一例だと思う。
 真に文化に高低はないと思う。

 さて、木村氏の【カムイ達15「生か死か」】をご紹介する。

 赤トンボが舞い、殿様バッタがバタバタと大きな羽音で飛び回る。

 カムイチェプ(秋鮭)の(走り)先発隊が我が町の堤防に到着したと、仕事仲間が話をしているのを聞くと、秋も、そう遠くない所に来ているなーと感じる。

 一ヶ月一年の過ぎる速さに、寂しさを憶える。
 そんな年頃になって来たのか。八月に入ってから日差しは強いが、朝夕、チョット涼しく成って来た。

 そろそろ薪ストーブの出番が少しずつ増えてくる。
 そんな季節が来た。

 出勤前いつもの様にチカップ(鳥)、チカッポウタラ(小鳥)達の見送りが今日は無い。

 霧雨のせいかと思いながら、現場へと向かう。
 ヌプリ(森)も霧に覆われていたが、現場に着くと一瞬霧が消え雲の隙間から太陽が覗く。

 山々の緑が霧雨に濡れ一層深みを増しなんとも神秘的な空間だ。
 そこに緑のヌプリをバックに、ポツリポツリと月見草が黄色い花を、山ユリが赤い花を開いている。

 里山近くでは、オオユバユリが黄緑色の大きな花をなんとも美しい。
 オオウバユリの根はでんぷん質が多く昔はアイヌ民族にとっては穀物の次に大事な食料の一つだった。

 収穫は花が咲き終わり翌年の5月頃だったと記録している。
 俺の母がでん粉の取り出し手順を地元の若者達に何度か指導していた。

 さて、話を現場に戻そう。
 そして又再び山全体霧に覆われていく。

 チカッポウタラ(小鳥)達の声は聞こえないがチカップ(鳥)青バトが、ワーオリーワオ ワーオリと、クスイエプ(山鳩)がホーホーとこの2羽の声だけが山々に響き一層の神秘さを増す。

 そこへ藪から数頭の子連れのユク(エゾ鹿)がいきなり俺達の直ぐ近くに飛び出して来て、ピーッピーッと異常な程の警戒音を発する。

 明らかに見慣れている俺たちにではなく違う物体に、察するところキムンカムイ(ヒ熊)だろう?

 我々に助けを求めてきたかのように近くで警戒音を発していたが、そのうち危険物体が遠のいたのか、少しの間近くで草をついばみ向いのヌプリの方、霧の彼方に消えて行った。

 ヌプリに住むカムイ達に、人間が立ち入れない領域の現実を感じた。
 一日中強い霧雨に体がビショ濡れになりながら仕事が終わる。

 帰り際、タモ木茸を見つけ皆で分け合う。ヌプリのカムイよイヤイヤイケレ(ありがとう)
 明日又同じ現場 今日はカムイからの頂き物タモ木茸を魚に、熱かんでカムイ達に乾杯。カムイ達よ スイウヌカラアンロー(明日又会おう)

 明くる日
 朝から騒々しい女房がベランダーから外の様子を見ている。

 我が家のチャベ(黒猫母さん)と子供5〜6ぱ引き連れている高麗キジとのバトルが。
 キジは子供達を守るため必死に立ち向かう、黒猫母さんも小さい体で頑張る。

 1分程のバトルが続いたか、子供達が草むらに隠れたのを確認したかの様に重い体を宙に浮かせ飛び去った本当に母さんは強し、そんなバトルを尻目に現場へ向かう。

 今日は昨日とは違い好天に。現場に着くと昨日とは、うって変わっての出迎えをうけるチカッポうウタラ達も霧雨で行動できなかった昨日のウップンを晴らすかの様に大声で、騒いでいる。

 仲間に入って話したくなる様な、そんな賑やかなふんいきに、誘われるようにユク(エゾ鹿)6頭が1頭のポンユク(小鹿)を連れて現れた。昨日のファミリィーなのか?
  
 その中の1頭の若い牝ユクの様子が、おかしい病気なのか怪我なのか。
 きのうの騒ぎの元は、おそらくこの若いユクだったのだろう、獣達(カムイ)は、こういった弱く傷ついた物を嗅ぎ分ける能力はすごいと聞く。

 今後どう成る事やら、そんな思いで仕事が始まる。
 この時期、高山から吹き下ろす風は少々冷たく食は車の中、これまでは暑いので全てのドアーをオープンにしていたが今は閉め切っての食事を、そんな山奥の高所の現場なのだ。

 今日も無事仕事を終える。
 明日からはもっと山奥へ、幌尻岳の真下に現場変わりになる。

 又カムイ達に遭遇出来る事を。
 カムイ達よ、いつも イヤイヤイケレ(ありがとう)
1


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ