2017/6/19

もう一つの日本文化(北海道新聞2017年06月07日<水曜討論>アイヌ遺骨研究 是非は。ほか)  文化・芸術
 国(文部科学省)への問合せ・第2弾の提出期限は6月15日(木)であったが、本日(6/19)に至るも回答の到着がない。今後の行動としては、まずは督促をする。それで対応がなければ、次の段階の行為を行っていくということだ。

 木村さんと私が日本国民である以上、国民に行政行為を行う日本政府(文部科学省)に回答を求める行為は当然の権利だ。文部科学省は行政行為を行っている以上、回答する義務がある。回答を行わない権利はない。

 また、「前回(問合せ第1弾)は回答できる内容だったので回答した」、「今回は回答しづらい内容なので回答しない」などという状況によって対応を変える権利はない。

 そのための行動は順次実施していくとして、6月7日、北海道新聞朝刊<水曜討論・アイヌ遺骨研究 是非は>として【苫小牧駒澤大学教授の植木哲也氏】と【国立科学博物館副館長の篠田謙一氏】お二人の主張が掲載された。

 植木哲也氏の主張は素晴しい。全体的な趣旨は、3月18日の説明会とほぼ同じだが、この文字数の少ない紙面において完璧な論理が展開されている。

 一方の篠田氏だが、専門は分子人類学であることを割り引いても論理的には穴だらけの主張だ。だが、アイヌ遺骨問題についての全体状況を知らない新聞読者には、それなりに正当性を感じてしまうような無知に基づくごまかしが随所に散りばめられている。

 「ウソも100回言えば真実になる」とは、昔、ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスの言葉だといわれている。

 例え間違った内容のことでも、同じことを何度も耳にするうちに、人はやがてそのことが本当であると信じるようになる、また、信じたくなる現象があるということを悪用したものだ。

 この方法は、国民啓蒙・宣伝の有効手段らしく、安倍政権においても多用されている。

 ということから、篠田氏の無知に基づく主張を放って置く事は適切ではないということになった。3月18日の勉強会等の考え方を中心とする検証を行った。

 *篠田氏の主張部分を全て引用・掲載しました。その上で疑義部分を示し、→印以下の斜字部分で3月18日の勉強会等の考え方を記述しました。

 『□民族の位置付け明確に 国立科学博物館副館長・篠田謙一さん

 アイヌ民族の遺骨を DNA 分析する研究に2010年から取り組んでいます。

◆疑義1
 アイヌ民族の起源や成立を解き明かすことは、アイデンティティーの基盤となり、先住民族としての位置付けをより明確にすることにもつながります。


→「先住民族」の定義を知らない発言です。
 3/18の学習会【A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v】をご紹介します。

 ■「起源」と「先住性」は無関係
 …基本的に、先住民族という時の「先住」は、国連に出された報告書に、「先住の共同体、人々、民族とは、侵略とか植民地化を受ける以前にそこに住んでいた」ことだ、と書いてあります。何も民族の起源を2000年、3000年さかのぼって、あるいは1万年前まで確かめなくちゃいけない、という話ではない。

 起源はどうあれ、北海道の場合だったら、日本政府が北海道を支配し始めた時に、すでにそこに住んでいた人びとイコール先住民族、ということです。「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書」(2009年)でも同じように、(先住民族とは)歴史的に国家の統治が及ぶ以前からそこに暮らしていた人たちのこと」というふうに書かれています。ですから、民族の起源になんてさかのぼる必要はないのです。


 先住民族とは、植民地化の時点で先住していた人たちのことです。北海道の場合、江戸幕府が東蝦夷地を直轄し始めたのが1799年、本格的に支配し始めたのは明治になって開拓使が設置された1869年ですから、18世紀末、あるいは19世紀後半の時点で住んでいたということで十分に先住性が示されています。

 民族の起源なんて関係ありません。先住性を明らかにするために民族の起源をさかのぼる必要はありません。先住民族とは、「北海道に最初に住みついた人」という意味ではないのです。

 先住性と起源を混同してしまうと、「北海道に最初にアイヌが住みついたのかどうかなんて分からないじゃないか」「だから先住民族ではない」というようなわけの分からない誤解が生み出されて、むしろ混乱の元になるだけです。


◆疑義2
 人類学の研究のために収集されてきた遺骨には、当事者であるアイヌの人たちの意向を無視し、墓地から持ち去られたものもあります。われわれがDNA分析の研究を行うに当たっては、最大限の配慮をしました。


→以降の記述を読む限り、篠田氏の発言は「アイヌ遺骨を研究材料としてしか考えない」学者の考えそのものであり、どの行動を持って「最大限の配慮をした」というのか不思議です。

 今後、篠田氏がアイヌを聴衆に話しをする機会があるのならば、具体的にどの行動で「最大限の配慮」を実行したのかを説明していただきたい。説明できない場合は、この不適切な発言はアイヌをバカにしたものであり謝罪すべきです。


◆疑義3
 研究対象とした遺骨は、札幌医大と伊達市噴火湾文化研究所が収蔵する約100体。道路工事などに伴う発掘調査で出土し、埋蔵文化財に指定されたものが多く、盗掘された遺骨ではないと考えています。


→「埋蔵文化財」の定義を知らない発言です。また、「埋蔵文化財に指定されたもの」、「盗掘された遺骨ではない」については、この事実の有無と「研究対象として良い」理由(根拠)とは別の問題です。

 なぜなら、篠田氏は「研究対象とした遺骨」を研究して良い権利を有していないからです。
 3/18の学習会【D市川守弘さん(弁護士、遺骨返還訴訟原告代理人)「地元の土に遺骨を戻すには」】をご紹介します。


 ■遺骨は「埋蔵文化財」か?
 …やたら今回は文化財、文化財……。去年あたりからですね、この遺伝子研究をしていた山梨大(学医学部法医学講座教授)の安達(登)さんという先生が、(北海道)アイヌ協会主催のシンポジウムで、やたら文化財・文化財っていう言い方をしていたんですね。そこで、じゃあ文化財だったら研究できるのか、という話ですね、まずね、出発点は。

 みなさん、骨っていうのは文化財、というふうに思います? これ文化財保護法2条に定義があるんですけどね、骨、入ってないんですよ。そりゃそうですよね。文化財ってのは人が手をかけて何か文化を生み出して、その産物を文化財っていうんでしょ? 骨っていうのはただ生まれて死んで、残った遺骨ですから、これ文化財でも何でもないんです。だから本来、遺骨ってのは文化財には該当しない。

 だけどたとえばそれが、ナントカ遺跡から出てくると、ナントカ遺跡と一体となって文化財。あるいは、持っていたもの、あるいは服、そういうものと一体となって文化財、てことはあり得るんですね。
 だから、それには遺跡がそもそも文化財的価値がないとダメだし、持っていた、たとえば刀とか服とか、そういうものも文化財的価値がないと「一体となって」ていうことは言えないですね。

 札医大はその「一体となる」何かを持っているかというと、持っていないです。これは後で言いますが、北大も持っていません。
 ていうか、持っているんですが、遺骨とは全然別になって、たとえば「児玉コレクション」になっているとかね、なっているので。そもそも(アイヌ遺骨を)持っている人たちがね、北大にしろ札医大にしろ、文化財とは思っていないわけですよ。とにかく研究したいから理屈をつけているんじゃないか。

 で、またおもしろいのは、そういう理由で文化財になっていいような骨であっても、たとえば高松塚古墳。ありますね、奈良県に。あそこは文化財にしていないんですよ。そりゃなぜかというと、地域の人たち、住民の人たちがこれ、慰霊する、慰霊の対象にしている。つまり慰霊の対象になるとどうも文化財にはならない。古墳は文化財だけど、古墳から出てきても(発掘遺骨を)文化財とはしなかった、っていう例があるんですね。

 それから、天皇陵。ありますよね、いっぱい。立ち入り禁止になってますが、天皇陵から仮に骨があったとして、その骨を持ってきた。じゃあ文化財だろう。ふつう文化財ですよね? ナントカ前方後円墳とかいっぱい、そういう古墳ですから「一体となって」文化財だろう。でも、これもおそらく、天皇家が慰霊の対象にしているんだから文化財にはなりません、ていうふうになるはずなんです。


 そうなるとね、文化財(だから研究試料として活用できる)というのは理屈になっていないんですね。文化財だろうがなかろうが関係ない。というのがひとつ、あります。

 もうひとつは、文化財であっても、所有者の了解を得なければ勝手なことはできないですよ。
 単純に考えて下さい。法隆寺。重要文化財、国宝です。文化財だから(といって研究計画書を書きさえすれば)国が勝手に土台に穴あけていいか? それはムリですよね。それはお寺の承諾を得ない限り、手は出せない。そういう点から考えても、文化財だとしてもですよ、承諾をちゃんと得なければいけないんですよ、っていうのが結局、出てくるんですね。


◆疑義4
 これらは江戸時代以前に埋葬された遺骨で、直接の子孫が見つかる状況ではないと判断しました。


→「江戸時代以前に埋葬された遺骨」、「直接の子孫が見つかる状況ではない」について、篠田氏または篠田氏を含む何らかの審議会等は、何の法律に基づいて、どのような権利(権限、根拠)をもって判断したのでしょうか?法的な権利(権限、根拠)がない限り、「判断」は無効です。

 今後、篠田氏がアイヌを聴衆に話しをする機会があるのならば、具体的にどのような権利(権限、根拠)をもって判断したのかを説明していただきたい。説明できない場合は、この不適切な発言について謝罪すべきです。


◆疑義5
 研究利用について、過去の反省を踏まえ、北海道アイヌ協会にも事前に計画を説明して同意を得ました。


→「北海道アイヌ協会」に同意を与える権利はありません。
 3/18の学習会【A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v】をご紹介します。

 ■「正しい研究」は可能だろうか
 …北海道アイヌ協会が認めてくれたから(研究して)いいのだ、と一部の研究者たちは言っています。

 けれど、政府は「遺骨は祭祀承継者にしか返さない」と言っているのだから、「(研究する場合も)祭祀承継者の承諾を得なければならない」とだって言えると思います。
 そうなると、研究はほとんど不可能です。少なくとも遺族の方、あるいはアイヌの伝統的な死者供養の様式に従えばコタンの承諾を得ることが、明らかに必要だろうと考えられます。

 (しかし現実には)大学に保管されている遺骨は、本人ないしそれに代わる人の承諾を得るという手続きをまったく踏まえていないわけです。
 これをそのまま研究に使ってしまうことは、現代の研究倫理に基づけば不可能です。現代の研究倫理の元では、大学にある遺骨は研究できないはずです。


 研究の結果、分かってきたのが、北海道を中心とした独自の集団が成立した歴史でした。
 日本人の集団の成り立ちを説明するときに、根強い理論として「二重構造説」があります。縄文人社会に大陸から渡来人がやって来て混血を繰り返しながら全国に広がることで本州、四国、九州の本土日本人が形成され、北海道や沖縄では混血の影響が少なく縄文人の直系の子孫が残ったという考えです。

 しかし、DNA分析により近世のアイヌ民族が、ロシア沿海地方にルーツを持つ オホーツク文化 人から影響を受け、シベリアの先住民族とも遺伝的な関係があることが分かりました。今後、より多くの遺骨の分析ができれば、アイヌ集団の地域性なども明らかにできるでしょう。

◆疑義6
 研究を止めることは、長期的に見て、アイヌ民族にとっても利益にはならないと確信します。


→篠田氏がどのような考えを持つかは篠田氏個人の権利として自由ですが、「アイヌ民族にとっての利益」の判断はアイヌが行うべきであり、篠田氏が行うものではありません。

 篠田氏の考えは「アイヌ遺骨を研究材料としてしか考えない」学者の考えそのものであり、アイヌへの「最大限の配慮」が求められます。


◆疑義7
 日本列島の中でアイヌについてだけ成立の経緯が分からない事態が予想され、先住民族への否定論さえ出かねません。


→疑義1で説明したとおり、これは「先住民族」の定義を知らない篠田氏の無知から出た発言です。※疑義1の説明を確認願います。

◆疑義8
大学などに保管されている遺骨は、頭蓋骨と手足の骨を別々に扱うなど管理状態が良くありません。


→これは「アイヌ遺骨を研究材料としてしか考えない」学者の考えそのものです。
 現在、問題となっているのは、大学などでのアイヌ遺骨の管理が人間としての尊厳が失われた状況となっていることです。篠田氏へは、アイヌ遺骨の尊厳に対する「最大限の配慮」が求められます。

 アイヌ及びアイヌを友人に持つ日本人の多くは、篠田氏が研究を進めることは、長期的に見て、日本にとって利益にはならないと確信しています。

◆疑義9
 政府が胆振管内白老町に整備する「 民族共生象徴空間 」の慰霊施設に集約した後、人類学者の役割として遺骨を整理し、適切に保管することが大事だと考えています。


→「管理」に対する篠田氏の認識「頭蓋骨と手足の骨を別々に扱うなど管理状態が良くありません」から推測すれば、この文章における「適切に保管することが大事」とは、研究材料としての適切な管理が重要という事なのでしょう。

 現在、問題となっているのは、大学などでのアイヌ遺骨の管理が人間としての尊厳が失われた状況となっていることです。篠田氏へは、アイヌ遺骨の尊厳に対する「最大限の配慮」が求められます。


◆疑義10
 その上で、アイヌ民族の方々も入った倫理委員会で研究の価値が認められれば、研究を進めてもよいでしょう。

→アイヌ遺骨を用いた研究を進めて良いかどうかは、アイヌ遺骨に係る権利を有するアイヌしか決めることが出来ないものです。

 現在の研究者(学者)の意見を考慮するとしても、決定権は権利を有する関係アイヌが持っているものです。

 最も望ましいのは、将来において、アイヌの学者による研究が進められることです。それを待たずに急ぐ理由があるのでしょうか?篠田氏へは、アイヌの未来に対する「最大限の配慮」が求められます。


◆疑義11
 DNA解析の技術の進歩で、遺骨から新たな情報を得ることが可能になりつつあり、研究上の遺骨の重要性は増しています。

→これは「アイヌ遺骨を研究材料としてしか考えない」学者の考えそのものです。この文章(考え)によって、アイヌ遺骨に係る権利を有するアイヌの権利が失われるものではありません。

 篠田氏へは、アイヌ遺骨の尊厳及びアイヌの未来に対する「最大限の配慮」が求められます。


◆疑義12
 これからは研究成果の還元などで、アイヌ民族側と研究者との信頼関係を築いていくことが必要です。

→「研究成果の還元」から話が始まっていますが、研究開始以前にアイヌと研究者との信頼関係を築かれていることが必要です。

 篠田氏へは、研究の開始前の段階で、アイヌに対する「最大限の配慮」を行い、アイヌから信頼を得た上で研究を開始する事が求められます。
 』


 さて、これらをアップしようとしていたところに木村さんからのFAXが届いた。FMピパウシの「木村ニ三夫の言いたい放題」の草稿だ。ご紹介する。
 *草稿段階のものですので、若干変更となる可能性があります。

 『世界には、なんと愚かな人間がいるものだろう。それがアメリカのトップの座にいるトランプだ。

 FMピパウシ・リスナーの皆さん、イランカラプテ!木村ニ三夫の言いたい放題の時間です。

 今、地球人として真っ先に取り組まなくてはならない地球温暖化対策問題に、我がま身勝手で「パリ協定からの離脱」という信じられない決断を下したのが、このトランプだ。この愚か者を選んだ責任はアメリカ国民にある。

 地球を守る為には、今からでも遅くはない。国民自ら一日も早くこ引き摺り下ろしてもらいたい。アメリカ国民の一人が、こんな重たいことを言っていた。「私達はアメリカだけではなく地球に住んでいるのだ」と。

 そして、こうも付け加えた「ライフスタイルを変えてでも、この地球の温暖化を阻止しなければ」。

 この言葉が耳に残っている。私たち日本国民も真剣に考える時期が来たのではないだろうか。

 さて、我が日本でも愚か者が多い。
 4月21日、アイヌ政策推進会議・作業部会が東京で開催され、アイヌ民族遺骨研究の適否を判断する協議が行われた。

 「社会的利益とアイヌ民族の思いを、いかに調和させるかが今後の課題となる」と道新の記事にあったが。

 日本人類学会、日本考古学協会、国、大学側が考える研究の社会的利益のあり方とは、「アイヌモシリを奪い、アイヌ文化、言語、人権、尊厳、そして遺骨をも奪って、さんざん踏みつけた上、なおも社会的利益の為としてアイヌ遺骨を利用し研究しようとする小金井、児玉の意思を受け継いでいる」。

 この学者たちの神経は一体どうなっているのだろうか。「倫理を逸脱した考え方をするこの馬鹿者達の遺骨こそが、DNA研究に値するのでは」と考えたくなる。

 アイヌ遺骨からのDNAサンプル採取については、「北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た」とあるが、こんな重要なことを簡単に同意するこの者達は真のアイヌではないのだ。

 悪賢い一部の日本人に魂を売渡し、その日本人と同じ皮を着ている「人でなし」なのだ。

 お願いがある。心ある学者達には、歴史認識、虐げられてきた人々への想像力を働かせて、「人である人」として、過去の責任に誠意を持って対処していただきたい。

 木村二三夫の言いたい放題でした。イヤイライケレ 』

 さて最後にお知らせがある。
 来る6月26日(月)、平取町に国立科学博物館副館長/日本人類学会会長の【篠田謙一氏】が来町し講演を行う。どなたでも、平取町外の方でも聴講自由だ。興味のある方は参加されたい。詳しくはこちらへ。

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2017/6/5

もう一つの日本文化(学習会「先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ」開催記録(その5))  文化・芸術
 木村さんが共同代表になっている【平取「アイヌ遺骨」を考える会】 の学習会 『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』 が3月18日、平取町・二風谷生活館で参加者110名と盛会裏に開催された。

 懇親会出席者は凡そ40名、反対意見をも自由に発言できる開かれた学習会だった。とても意義のある学習会だったといえる。

 学習会プログラム
 @開会のあいさつ 井澤敏郎(平取町町議会議員/平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)
 A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v
 B殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)「アイヌの遺骨はコタンの土へ」
 C小田博志さん(北海道大学教授)「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」
 D市川守弘さん(弁護士)「地元の土に遺骨を戻すには」
 E自由な意見交換
 F閉会のあいさつ 木村二三夫(平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)


 さて、【平取「アイヌ遺骨」を考える会】から開催記録(講演録)の提供があったので、引き続き(その5)をご紹介する。

 D市川守弘さん(弁護士、遺骨返還訴訟原告代理人)「地元の土に遺骨を戻すには」

 いちかわ・もりひろ 1954年生まれ。1988年、札幌弁護士会登録。アイヌ遺骨返還請求訴訟原告代理人。著書に『アイヌの遺骨はコタンの土へ』(共著、緑風出版)など。

『みなさん、こんにちは。
さきほど植木さんが、大学に集められたアイヌ遺骨が遺伝子研究の試料にされる、というお話をされました。これは、政府の文書にはっきりそう書いてあるんです。

 アイヌ政策推進会議というのが内閣府に設置され、そのトップは、テレビによく出てくる菅義偉(すが・よしひで)官房長官です。その内閣府の下に、アイヌ政策推進会議というのがあります。さらにその中に政策推進作業部会が構成されていて、北海道大学の常本照樹教授が部会長を務め、北海道アイヌ協会の理事長と副理事長、それから時々、事務局長も参加しているようです。

 この部会が象徴空間についてのまとめをしているんですね、「こういうものを建設します」と。その中に「(各大学に取り残されたままの)遺骨は(白老の象徴空間施設に)集約して研究することを可能とする」とあります。植木先生がさきほど映し出した言葉そのものが書かれています。

 でも(象徴空間施設が完成するとされる)2020年まで、研究はまだまだ先のことだろうと思っていたら、ついこの間、共同通信がスクープしました。札幌医科大学で(保管しているうち)100体前後のアイヌ遺骨から遺伝子が抽出──ようするに遺伝子研究に提供されていた、ということです。

 道内ではマスコミがあまり大きく取りあげなかったので目にしていない人も多いと思いますが、本州なんかでは大きく取りあげられて。『沖縄タイムス』は外交面で、トランプ米大統領の記事と、キム・ジョンナム殺害事件の記事の真ん中にその記事が掲載されていて、非常に目立っていました。

 札医大の遺伝子研究は、将来の(収集アイヌ遺骨を利用した研究の)布石になっているんですね。基本的には歯を粉砕して、中の髄(ずい)から遺伝子を採るのですが、今回は(保管中の頭骨から抜き取った)歯を上下半分に切ってその下半分を使ったらしいです。上部を元に戻して外見上分からないようにした、とそこまで言ってるんですよ。

 どこに言っているかというと、この札医大の研究については、篠田謙一さんという筑波の……国立科学博物館の人がわざわざ研究計画書を作って、この計画書に基づいてやっています。(計画書では)札医大の89体の遺骨からサンプルを採る、となっていますが、実際はもう少し採っていたのではないか、というのが共同通信の記事に出ていました。

■遺骨は「埋蔵文化財」か?
 なんでこんなことができたのか。2つあるんですね、こういう遺体が出てきた時に、それをどう扱うか。遺伝子研究の前に、そもそも遺体が出てきた時にそれをどう扱うか、(取り決めが)2つあるんですね。1つは埋蔵文化財(として扱う)。もうひとつは行き倒れ。これね、難しいんですよ、行旅死亡人取扱法ってのがあるんですよ。旅行をひっくり返してコウリョ。だから旅行死亡人でしょって思うんだけど行旅死亡人取扱法、これ行き倒れです。それともうひとつが文化財保護法に基づく文化財指定。

 やたら今回は文化財、文化財……。去年あたりからですね、この遺伝子研究をしていた山梨大(学医学部法医学講座教授)の安達(登)さんという先生が、(北海道)アイヌ協会主催のシンポジウムで、やたら文化財・文化財っていう言い方をしていたんですね。そこで、じゃあ文化財だったら研究できるのか、という話ですね、まずね、出発点は。

 みなさん、骨っていうのは文化財、というふうに思います? これ文化財保護法2条に定義があるんですけどね、骨、入ってないんですよ。そりゃそうですよね。文化財ってのは人が手をかけて何か文化を生み出して、その産物を文化財っていうんでしょ? 骨っていうのはただ生まれて死んで、残った遺骨ですから、これ文化財でも何でもないんです。だから本来、遺骨ってのは文化財には該当しない。

 だけどたとえばそれが、ナントカ遺跡から出てくると、ナントカ遺跡と一体となって文化財。あるいは、持っていたもの、あるいは服、そういうものと一体となって文化財、てことはあり得るんですね。だから、それには遺跡がそもそも文化財的価値がないとダメだし、持っていた、たとえば刀とか服とか、そういうものも文化財的価値がないと「一体となって」ていうことは言えないですね。

 札医大はその「一体となる」何かを持っているかというと、持っていないです。これは後で言いますが、北大も持っていません。ていうか、持っているんですが、遺骨とは全然別になって、たとえば「児玉コレクション」になっているとかね、なっているので。そもそも(アイヌ遺骨を)持っている人たちがね、北大にしろ札医大にしろ、文化財とは思っていないわけですよ。とにかく研究したいから理屈をつけているんじゃないか。

 で、またおもしろいのは、そういう理由で文化財になっていいような骨であっても、たとえば高松塚古墳。ありますね、奈良県に。あそこは文化財にしていないんですよ。そりゃなぜかというと、地域の人たち、住民の人たちがこれ、慰霊する、慰霊の対象にしている。つまり慰霊の対象になるとどうも文化財にはならない。古墳は文化財だけど、古墳から出てきても(発掘遺骨を)文化財とはしなかった、っていう例があるんですね。

 それから、天皇陵。ありますよね、いっぱい。立ち入り禁止になってますが、天皇陵から仮に骨があったとして、その骨を持ってきた。じゃあ文化財だろう。ふつう文化財ですよね? ナントカ前方後円墳とかいっぱい、そういう古墳ですから「一体となって」文化財だろう。でも、これもおそらく、天皇家が慰霊の対象にしているんだから文化財にはなりません、ていうふうになるはずなんです。

 そうなるとね、文化財(だから研究試料として活用できる)というのは理屈になっていないんですね。文化財だろうがなかろうが関係ない。というのがひとつ、あります。

 もうひとつは、文化財であっても、所有者の了解を得なければ勝手なことはできないですよ。単純に考えて下さい。法隆寺。重要文化財、国宝です。文化財だから(といって研究計画書を書きさえすれば)国が勝手に土台に穴あけていいか? それはムリですよね。それはお寺の承諾を得ない限り、手は出せない。そういう点から考えても、文化財だとしてもですよ、承諾をちゃんと得なければいけないんですよ、っていうのが結局、出てくるんですね。

■「古い遺骨」研究の承諾者はだれ?
 で、結局出てきて、じゃあだれが(収集されたアイヌ遺骨の)所有者なのか。先ほどからいろいろ話が出ています、「祭祀承継者」です。祭祀承継者というのは、ほとんど今、分かりません。遺骨に限らず、この中で、祭祀承継者だったいう人、います? 「自分は祭祀承継者だ」という方?(会場沈黙)

 戦前は戸主、長男が継いでいた。戦後は遺産分割協議をしないと決められないです、だれが祭祀承継者かは。でもそんなことやってないですから。ウチもやってません(笑)。だれが祭祀承継者かって。ウチの親の遺骨のね。決めてません。そんなもんなんですよ。だから祭祀承継者、祭祀承継者ってもったいぶって、国や北大は言うけれども、何てことはない。誰も分からないからいいでしょ、ということになっちゃうんですね。

 だからひどいのはね、先ほど言ったこの「研究計画書」によるとね、「本研究は100年以上前に亡くなった方の人骨を対象に行われるもので、直接の血縁者は存在していない」。結局は祭祀承継者としての前提としての血縁者すら分からないんですよ、って言ってんです。
 「したがってその家族・血縁者に対する人権および利益の保護を保障することはできない」
 もう誰だか分からないんだから、ねえ、人権なんか考慮する必要はないですよ、って言っています。

 問題なのは、「そこで関係団体である北海道ウタリ協会に研究計画を説明し、理事会の了解を得た」、つまり北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が了解してくれているから、(研究試料として利用して)いいんだ、という論理になっている。

 さきほど植木先生の話にもありましたね。(承諾を得る先が)北海道ウタリ協会(当時)でいいんですか? ていう問題です。──仮に文化財だとしても。
もしこれ、文化財じゃないよってことになって、さっき言った行き倒れ(とみなして遺体を取り扱う)みたいな法律で適用していくと、一番早いのは、何て言っているかというと、古い遺骨については、地元の教育委員会が「引取者」になる、遺骨の。

 そうすれば、その人(地元自治体教育委員会)の承諾を得て研究できるんですよ、ということになるんですね。だけど、引き取り者がいない、あるいはこういう古い遺骨……。いったいだれが承諾権を持つのか。あるいはだれが「おれたちの遺骨なんだ」と言えるのか。やっぱり大元はそこに行き着くんですよ。

 そこをしっかり考えていかないと、なんかね、札医大で遺伝子研究をやって、文化財だと言われたけど、そんなもんなの? という話になっちゃうけど、本当は違うんですよね。そもそもだれが権利を持ってんのか、遺骨に対して──という議論を考えていかなければいけない。

■コタンが有する遺骨管理権
 (ここまでの話は配付資料の見出しの)「本当にそうなのか」というところですね。

 で、1番はいいです、(本来なら副葬品と一体化させて文化財に指定すべきところ)タマサイなんかなくて遺骨だけだから、そもそも文化財ではあり得ません。札医大なんて、タマサイと一緒に保管してないし、北大もそうですよね。それから(遺骨の所有権者は)祭祀承継者って言われているけど、祭祀承継者っていうのはあくまで家制度の名残。和人の、封建的な家制度の下で……あのう、和人の考えを強制しているわけですね。ここでね。で、祭祀承継者を見つけてこいって話になるんです。これは現代における強力な同化政策なんですよ。和人の考えを(アイヌに)押しつける。それに従えっていう。

 で、私たち(遺骨返還請求訴訟原告弁護団)がずっと一貫して主張しているのは、アイヌの遺骨の場合は、管理していたのはコタンですよ、コタンに権限があるんですよ、ということ。ここでコタンというと、なかなかね、ただ「集落」をさしているんじゃないの? というふうに思いがちです。だけど違うんですね。今日も榎森進先生が会場にいらしてますが、榎森さんの著書なんかをちゃんと読むとね、明治になる直前まで、だから1867年まで、各地にコタンがいっぱいあったでしょ? 

 そのコタンは自分たち独自の、排他的・独占的狩猟権を持っていた。そこで自分たちのコタンのメンバーだけがサケを捕ったりシカを捕ったり、自然資源をとったりしていた。つまり支配権を持っていた。支配領域を持っていたということです。それから、これ知らない人が多いんですが、裁判制度も持っていたんですよ。刑事法もありました。民事法もありました。それに基づく手続き法もあった。これはね、大正時代くらいまで、道庁の記録に残ってるんですね。どこどこの地域ではまだやってる、と。という形で大正時代になるまで残っていた。すごいでしょ? 独自の裁判制度を持っていたんですよ? 

 それから、一番大きいのは、幕藩体制下において、幕府や松前藩は、アイヌの人たちに課税できなかった──しなかったことです。課税したら違法だった。松前藩が勝手にアイヌに課税したら、それを徳川幕府が知ったら御家取りつぶしです。改易。それだけ厳しい決まりの中で、絶対に課税されなかった。課税されないということは、何人ここにいるかとかね、調べる必要がないから、人別帳もなかった。「人別帳」というコトバは、幕末になるとそういう文書も作られてくるんですが、それは商人が勝手に労働力として、どこのコタンから何人徴用しようっていうんで作ってるだけで、本当の政府が作る人別帳はなかったんですね。

 人別帳がないってことは、無宿人もいなかったわけです。時代劇なんか見るとね、無宿人になって、無宿人狩りで捕まるでしょ? 江戸なんかに勝手に出てきて。捕まって人足寄せ場に送られて、腕に入れ墨されちゃうんですよ。でも(蝦夷地では)人別帳がないから無宿人ていないの。しかも、蝦夷地は和人地といちおう区別されていて、勝手に和人は入ることもできない。そういうコタンというのが、あっちこっちにあった。そういうコタンがひとつの独立した「国家」だったんですよ、明治になるまで。

 そういうコタンが、自分たちの支配領域内に墓地を持っていて、そこで、たとえば死者を埋葬したら「あそこに行っちゃいけないよ」というルールで拘束していた。強制力をもって。そういう管理をしていた。「行ってはいけない」という強力な管理をしていた。だからほんとにね、墓地に埋葬されている遺骨っていうのは、コタンが厳格に管理していたんです。それを和人が勝手に、「何だ、墓参りにも来ないんだ、だったら無縁仏だ」と、持って行っちゃう。でも「見つかったらやばい」ということは十分知っていたんです。それは、先ほどのおふたりの話にも出てきました。

■出身者で「コタン亡命政府」を作ったら……
 そういう意味では、コタンが遺骨管理権を持っていた──今でも持っている。でも、よく聞くのは、「今はコタンなんかないじゃない?」という声です。「コタンていう名前の喫茶店はあるかも知れないよ? だけどコタンなんてないでしょ?」というのが一般的な考えかも知れません。

 そんなことはないんです。みなさん、パレスチナを見てください。パレスチナは1945年まで、アラブのパレスチナの人たちがあそこに国を持っていました。戦後、イギリスの援助を受けて、世界中のユダヤ人があそこに入植してユダヤの国、イスラエルを作った。その結果、パレスチナの人たちは放浪の旅に出るわけです。エジプトに行ったり、シリアに行ったり、アフガニスタンに行ったり、アラブ諸国に行ったり、散らばっていった。だけどやっと、何十年前ですか? パレスチナ亡命政府のような、パレスチナ政府をちゃんと作れるわけです。それからチベットのダライ・ラマ。あの人もいまインドに亡命中ですね。亡命政権を作っています。

 みなさんも、何なにコタンの出身者であれば、何なにコタン亡命政府をつくればいい。そう思いません? そうすれば、俺たちの承諾がない限り遺伝子なんか使うなよ、遺骨は俺たちに返せ、そして自分たちはちゃんと元の土地に埋めるんだ、と。それを実行したのが、実行できたのが、杵臼であり、紋別であり、今日いらしています、浦幌なんですよ。

 道筋はできました。この道筋の則って、あとは声を上げるだけなんです。みなさん、声を上げてください。きょう「コタンの会」を静内でやりました。「静内の遺骨返還をやるぞ」「東幌別もうやるぞ」と決まりました。ぜひ平取も、きょうこの日、返還を求めるんだ、ということで頑張って欲しいと思います。以上です。(拍手)』
2

2017/5/11

もう一つの日本文化(「文部科学省に関する問合せについて・第2弾」)  
 本日(5/11)、木村さん・私(連名)の国への問合せ・第2弾が文部科学省に到着した(日本郵便からの配達完了メール通知があった)。提出に至った経緯は次のとおりである。

 ここ数回、このブログで開催記録(講演録)を紹介しているが、木村二三夫さんと平取町議会議員の井澤敏郎さんお二人が共同代表である[平取「アイヌ遺骨」を考える会]の学習会【先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ】が3月18日、平取町で開催された。

 その中の植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)のお話に、次の部分がある。

 『…いずれにせよ、遺骨について研究するには、正しい研究がされなければならないのですが、現在、「正しい研究」はどのようにしなければいけないのか。もしも遺骨を研究利用するならば、当然、最新の研究倫理に従わなければなりません。

 遺骨もDNAも人の体から採取された研究用試料です。これらのことを「人体由来試料」と呼ぶわけですが、現在は、人体由来試料を研究に使う場合、必ず本人の承諾を得なければならない、というルールが設けられています。いわゆるインフォームド・コンセント(十分な説明を尽くした上で同意を得ること)ですね。

 本人が死亡している場合は代りになれる人(代諾者)の承諾をきちんと得ることが条件です。その文書記録が残っていなければなりません。これが現在のルールです。こうしたことが、文部科学省と厚生労働省が2014年に出した「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」に書かれています。

 したがって、(アイヌ)遺骨の研究をするとしても、当然この指針に従わなければいけない。問題は、だれが(すでに死亡している)本人に代わって承諾するのか、という点です。…』

 勉強会からかなりの日数が過ぎた頃、木村さん他との打合せの際、この部分が話題になった。ああでないか、こうでないかという解釈・推測はできるが、実際のところはよくわからない。

 木村さんが言った「作った人に聞いてみるべ!」で結論は出た。「作った人=文部科学省」へ質問状を出すこととなった。
 質問項目の検討では、当該倫理指針以外にも若干広がったが、最終的な項目は木村さんが仕切った。

 問合せ文書は次のとおり。前回同様、文部科学省の誠意ある回答を期待したい。

<文書1>

                                           平成29年5月9日


 文部科学省大臣 松 野 博 一 様
 
                     北海道沙流郡平取町●●●●●●●●●●●
                       木 村 二 三 夫
                     北海道札幌市中央区●●●●●●●●●●●
                       ● 馬 ● 晶
 
     人を対象とする医学系研究に関する倫理指針(平成26年文部科学省・厚生労働省
     告示第3号)他に関する問合せについて

 平素より科学技術・学術研究の振興等行政に誠意取組まれていることに感謝申し上げます。
 昨年12月27日に問合せしました案件では丁寧かつ誠意あるご回答(平成29年2月22日付け28受振学機第3号)をいただきありがとうございました。
 さて、政府(内閣官房)からの正式発表は未だ無い様ですが、3月末から4月上旬にかけて複数の新聞で「政府のアイヌ遺骨返還方針の見直し」が報じられるなど、アイヌ遺骨をめぐり様々な動きが出てきております。
 先の問合せの際も申し上げましたが、私、木村二三夫は、北海道平取町に住むアイヌであり、先祖は100年前の1916年、当時の新冠御料牧場内にあった「姉去(アネサル)コタン」(日高管内新冠町)から50kmほど離れた上貫気別(カミヌキベツ)(日高管内平取町)への強制移住を強いられました。
 更に、その地で埋葬されたアイヌは、北大による違法な発掘により遺骨6体が収奪されたまま現在に至っております。
 新聞報道によれば、貴省調査で全国の大学で保管しているアイヌ遺骨は1676体との事でありますが、今後も研究に用される可能性があることに、私は仲間のアイヌとともに心を痛めております。
 また、国内外の博物館等保管を含めるとさらに多数のアイヌ遺骨が人としての尊厳が失われた状態にあると言われておりますが、私は理解ある日本人達の協力を得ながら、「アイヌ遺骨を人として再埋葬する事が、先人達へのせめてもの供養、償いである」と考えております。
 ふとした事から、貴省が作成した標記指針を知りました。その前文では、人間の尊厳及び人権が守られなければならないことが記されており、私はとても共感を憶えました。
 ついては、貴重HPに掲載されている標記指針等の実施時の取扱いについて確認いたしたく、よろしくお取り計らい願います。

                      記
1 質問
(1) 人を対象とする医学系研究に関する倫理指針について
 研究者等がアイヌ遺骨を用いた医学系研究を実施するときは、この指針に基づいたインフォームド・コンセントを受けなければならないと考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。

(2) (1)の研究を実施しようとするときにインフォームド・コンセントを与えることができる代諾者等は、当該遺骨が発掘されたコタンの子孫と考えますが、この考えの適否。また、否の場合は誰が代諾者等になるべきか、その考えをお伺いします。

(3) 指針第5章ー第12ー1ー(2)ーアについて
 自らの研究機関において保有している人体から取得された試料が、その保有の過程において、例えば入手方法等に違法の可能性があるとき、また、入手時記録が不完全でその保有(入手)過程における合法性が担保できないもの等は、この規定の対象外になると考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。

(4) 「人を対象とする医学系研究に関する指針」は、医学系研究における遵守事項を定めたものであり、その前文で、人を対象とする医学系研究は、様々な倫理的、法的又は社会的問題を招く可能性があること、また、人間の尊厳及び人権が守られなければならないことが記述されていますが、これらは医学系研究に限らず、人を対象とする全ての研究分野(貴省所管分野の研究分野に限る。)にも該当するものと考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。

(5) 人を対象とする医学系研究以外の研究分野(貴省所管分野の研究分野に限る。)における「人体から取得された試料」に係る取扱指針が策定されていない現時点において、当該研究を実施するに当たってのインフォームド・コンセントの実施は、「人を対象とする医学系研究に関する指針」に規定する手続きを準用すべきと考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。

(6) 個体特定(遺骨の一体化)に係る基本的な考え方(平成29年3月23日 大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続き等に関する検討会)について
 先の問合せに対する貴省からの回答(平成29年2月22日付け28受振学機第3号)では、「…文部科学省で検討を行っているのは、現在大学が保管しているご遺骨について、尊厳ある慰霊の実現を希求する観点から、一体として特定されていないアイヌ遺骨の特定にDNA鑑定技術を活用する場合であり、…一体として特定する作業へのDNA鑑定技術の活用は、ご遺骨の尊厳の回復を希求することが大前提であることから、アイヌの方々の心情を考慮することが重要であり、一体として特定する作業を行うに際しては、記録による確認等できうる限り遺骨を損なわない方法での作業を行った上で、それでも難しいものについて必要最低限の範囲においてDNA鑑定技術を用いるかどうかを含めて検討することを考えています。また、用いるかどうか検討する際には、あらかじめアイヌの方々に対し、十分に説明し、その理解を得ることが必要だと考えています。」とされていますが、当該【基本的な考え方】においては、ご回答いただいた趣旨が一言も記述されておりません。これについて、その理由をお伺いします。
 また、当該【基本的な考え方】の公表後、先述のとおり複数の新聞で「政府のアイヌ遺骨返還方針の見直し」が報じられております。【政府のアイヌ遺骨返還方針の見直し】が決定した場合には、当該【基本的な考え方】も改正する必要があると考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。
 加えて、その改正の際は、平成29年2月22日付け28受振学機第3号の内容が盛り込まれるものと考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。
 なお、当該【個体特定(遺骨の一体化)】は、尊厳ある慰霊の実現を希求する観点から、DNA鑑定技術を活用するものとされております。このことからは、その鑑定結果情報(データ)の目的外使用はないものと考えますが、この考えの適否。また、否の場合はその理由をお伺いします。

(7) 研究者が一般的に人類史等の解明のために研究を行う際にアイヌ遺骨を用いたDNA分析技術を利用することについて、貴省管轄の団体である「日本人類学会」及び「日本考古学協会」他がその研究の在り方検討を進めておりますが、貴省は監督官庁として、今後、どのような指導(関与)を行っていくお考えかお伺いします。

2 提出期限
  平成29年6月15日(木)必着
  *貴省の当該事務の標準処理期間は承知しておりませんが、おおよそ1ヶ月と推定いたしました。
  *質問項目が多岐にわたっております。一部項目の回答が提出期限を超える場合は、提出期限までに提出される回答文書に、遅延する項目、項目毎の遅延の理由及び提出予定期日を付してご提出ください。

3 提出先
  北海道札幌市中央区●●●●●●●●●●●
  ● 馬 ● 晶

4 参考
(1)人を対象とする医学系研究に関する倫理指針(平成26年文部科学省・厚生労働省告示
   第3号)のアドレス
   http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10600000-Daijinkanboukouseikagakuka/0000153339.pdf
(2)個体特定(遺骨の一体化)に係る基本的な考え方のアドレス
   http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/043/gaiyou/1383614.htm

                                                以上


<文書2>

                                            平成29年5月9日


文部科学省 大臣官房総務課広報室庶務・企画係 ご担当者 様


                     北海道沙流郡平取町●●●●●●●●●●●
                       木 村 二 三 夫
                     北海道札幌市中央区●●●●●●●●●●●
                       ● 馬 ● 晶


   文部科学省に関する問合せについて

 平素より科学技術・学術研究の振興等行政の広報・普及促進に誠意取組まれていることに敬意を表しますとともに、昨年12月27日の問合せ案件では、丁寧かつ誠意あるご回答をいただきありがとうございました。
 先の問合せの際も申し上げましたが、私、木村ニ三夫は、北海道平取町に住むアイヌであり、インターネット環境にないため、今回の問合せについても前回同様、紙ベース(文書)によるものになる事をご容赦願います。
 さて、新聞報道によれば、貴省調査で全国の大学で保管しているアイヌ遺骨は1676体との事でありますが、今後も研究に用される可能性があることに、私は仲間のアイヌとともに心を痛めております。
 また、国内外の博物館等保管を含めるとさらに多数のアイヌ遺骨が人としての尊厳が失われた状態にあると言われておりますが、私は理解ある日本人達の協力を得ながら、「アイヌ遺骨を人として再埋葬する事が、先人達へのせめてもの供養、償いである」と考えております。
 ふとした事から、貴省が作成した「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」を知りました。その前文では、人間の尊厳及び人権が守られなければならないことが記されており、私はとても共感を憶えました。
 ついては、別紙のとおり「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針(平成26年文部科学省・厚生労働省告示第3号)他に関する問合せについて」文書を送付いたしますので、管轄部署への回付についてよろしくお願いします。
 *なお、質問事項が多岐に渡り、管轄部署が不明だったため、大臣宛てといたしましたが、他意はございません。
                                                  以上
3

2017/4/13

もう一つの日本文化(学習会「先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ」開催記録(その4))  
 木村さんが共同代表になっている【平取「アイヌ遺骨」を考える会】 の学習会 『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』 が先月(3月)18日、平取町・二風谷生活館で参加者110名と盛会裏に開催された。

 懇親会出席者は凡そ40名、反対意見をも自由に発言できる開かれた学習会だった。とても意義のある学習会だったといえる。

 学習会プログラム
 @開会のあいさつ 井澤敏郎(平取町町議会議員/平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)
 A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v
 B殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)「アイヌの遺骨はコタンの土へ」
 C小田博志さん(北海道大学教授)「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」
 D市川守弘さん(弁護士)「地元の土に遺骨を戻すには」
 E自由な意見交換
 F閉会のあいさつ 木村二三夫(平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)


 さて、【平取「アイヌ遺骨」を考える会】から開催記録(講演録)の提供があったので、引き続き(その4)をご紹介する。

 C小田博志さん(北海道大学教授)「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」

 おだ・ひろし 専門は人類学・平和研究など。著書に『エスノグラフィー入門  <現場>を質的研究する』(春秋社)、『平和の人類学』(共著、法律文化社)など。

 『みなさん、こんばんは。小田博志と申します。きょうこの大切な機会にお招きいただき、「考える会」共同代表の木村さんと井澤さんにお礼を申し上げます。ありがとうございます。本来でしたら、こういう高いところからお話する立場にはないというのはわきまえておりますが、ここでお話しさせていただきます。

 私からみなさんにお伝えしたいことは「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」というタイトルに表されておりますが、その前に、今日のこの(学習会の)機会のもとになっているアイヌ遺骨の問題を作り出してしまった、そして過去に作っただけではなく、現在も不透明で、誠実さに欠けると受けとめられるような対応を続けている、その大学の一員としてお詫び申し上げます。申し訳ございません。(北海道大学)内部にいる者として、人のいのちと尊厳に関わるこのことに、もっと人間的で誠実な対応ができる、そういう組織にしていくために、ささやかながら働きかけていきたいと思っています。

■消し去られた個人の尊厳
 今日のみなさんへのお話は、平取からではなくて、札幌から持って行かれた遺骨についてです。北大に、ではなくて、遠いドイツのベルリンです。いまこのことについて調べており、なおかつ、みなさんにもご協力いただきたいことがありますので、この1体のお骨のことについて、お話ししたいと思います。

 かつて人類学者は、人を人と思わないというのか……。それが「誰か」ということに関心を持たずに、「人種」とか「民族」といった大きいくくりで遺骨を捉えていたんですね。それを研究すると何かが分かる、と。その時に消し去られたのが個人の尊厳です。一人ひとり、かけがえのない存在の尊厳です。きょうは、1体の遺骨についてお話しするのですが、その一人を大切にするという姿勢によって、数字にして統計処理する、というような学問のあり方とは違う方向性を示すことになるのではないか、という思いもあります。

 その遺骨には番号が振られています。「R.V.33.」。どういう意味合いなのかは後ほどお話ししますが、先月、ドイツのベルリン自由大学の研究室でこの頭骨と対面しました。額にマジックで書き付けてあるんです、「R.V.33.」と。(顔の)左側にも「Aino Yezo R.V.33.」と書き付けてありました。(遺骨に文字を)書き付けること自体が、何というのか、冒涜的なことだと思いますけれども、さらには(この遺骨が)誰なのかは分からない、ということでした。

 では、その遺骨はどのようなものであったのか。お手元に「骨から人へ」というタイトルで始まる資料をお配りしています。これはベルリンに行って帰ってきた時に報告のつもりで書いたものです。きょうのお話はこの内容とかぶるんですけど、この通りには進まないので、お持ち帰りになって、ゆっくりお読みいただければと思います。それとは別にドイツ語の資料と日本語の新聞記事がウラオモテに印刷されているプリントが、私のお話に関する資料です。

 これがどういうものだったのか、そもそもなぜドイツ・ベルリンにあるのか、ということなのですが。調べていきますと140年近く前にさかのぼります。明治の初期ですね。あるドイツ人旅行者が札幌に訪ねてきます。その時、このような経緯でこのアイヌの遺骨を持って行ったんだ、ということを文字にして報告しています。お手元の資料の「骨から人へ」の真ん中あたりに、1880年に発行されたドイツ語の雑誌の記事から引用しています。ちょっと読ませていただきます。

 みなさんの前にあるアイヌの頭骨は昨年、1879年、明治12年6月に、札幌の近くで[小田:「札幌の近く」というのは「札幌本府」、今の道庁にあたるところです]札幌に住むドイツ人ベーマー氏と一緒に私が発掘しました。発掘地は札幌から約10分のところにあり、現在日本政府の農業試験場の中に位置しています。そこには約15年前にはまだ大きいアイヌの村がありました。

 その墓地はまだ、札幌に住むアイヌによってアイヌ墓地として知られ、また外から見ても、地面に立てられた5フィート(約150センチ)の高さの木製の槍によってアイヌ墓地だと分かります。その槍の上部は羽根の形に削られ、何本かの細い布もしくは樹皮のヒモで巻き付けられていました。その墓は、資料によれば、男性と女性各一人の共同の墓のようでした。地表から約1.5フィート(45センチ)下に、われわれは骨の集まりを見つけましたが、それは2体の遺体であることを示していました。[小田:で、ここからが問題なのです]冒瀆的なことをしていると思われる危険から、夜の闇に紛れて、慌てて掘り起こしたので、われわれには一つの頭骨を持ち帰るのがやっとでした。

■倫理なき当時の人類学
 よくもまあこんなことを言えるなあと思います。つまり、墓を暴いて盗掘したっていうことを公言しているんですね。しかもそれが文字になって今でも読める。これはシュレイジンガーという人ですけれども、彼はある研究会の席上でこういう報告をしたわけですが、それに対して、この団体の代表であるルドルフ・ヴィルヒョウという人は、普通だと「そういうことはしてはいけない」と叱って「元に戻しなさい」と言うと思うのですが、逆に感謝しています、「日本から貴重な骨を持ってきてくれてありがとう」と。さらに「このシュレイジンガーさんに続く人が現れることを、日本にいるドイツ人に呼びかけます」とさえ言っているんです。

 このことが示しているのは、当時の人骨収集が、その目的を達するためであれば、盗掘をすることも辞さない、まったく倫理観が欠けたところで行なわれていた、ということです。
これは1870年代から1880年代の話です。北大でアイヌ遺骨の「収集」が始まったのは1930年代からですから、それより前の時代です。

 ベルリンは、人骨の研究で非常に重要な場所でした。中心になった一人がルドルフ・ヴィルヒョウです。この人は(現代の)医学の教科書に名前が載っているくらいの有名人で、病理学の分野の人です。加えて彼には形質人類学者の顔もあって、植木先生のお話の中にありましたように、「頭の骨の形状を測定すると人種のタイプが特定できる」という、今になってみるとまったく間違った前提に立った研究を進めていたのです。

 彼はそういう研究──まがい──のために、アイヌだけではなく世界中から人骨を集めました。今、ベルリンにはこの「ルドルフ・ヴィルヒョウ・コレクション」をはじめ合わせて3つの巨大な人骨コレクションがあって、数千から1万を超える人骨があると言われています。ドイツはその後、第1次・第2次世界大戦をくぐり抜けることになったので、資料が散逸したり、遺骨の保管場所も二転三転したりして、失われたり、(多くは)当時の由来がはっきりしない状態になっています。

 この「R.V.33.」と私は対面して──。この遺骨は、コタンの墓地に埋葬されて平和な眠りに就いていたわけですよね、それがある日突然、何の断りもなく土から引き離されて、全然知らないところに連れて行かれて、公衆の面前にさらされて、勝手に測定されました。測定人類学の研究対象にされたのです。しかし、頭骨を測定してみると、ある集団の中の個体間の差の方が、集団間の差よりも大きいらしいということがわかってきて、人骨測定による人種研究は20世紀初頭にはヨーロッパでは下火になります。

 その後、血液型によって人種が分かるかも知れない、といったようなことに関心が移っていきました。その当時です。血液型と性格は対応しているかも知れないという考え方が出てきたのは。みなさん、血液型で性格が分かるなんていうのは、レイシズム(人種主義)ですから、決して真に受けないようにしてください。

■ふるさとへの帰還を望む
 さて、(集められた遺骨は)その後、ほぼ放置の状態で、返されることもなく140年近く経って現在に至っています。私が対面した遺骨は、紙袋に入っていました。人間としての尊厳がまったく奪われているというふうに思いました。

 ではその奪われた尊厳をどういうふうに回復できるだろうか。遅すぎるのかも知れませんけれども。そういうことをぜひみなさん、一緒に考えていただきたいと思います。

 やはり重要なのは、ふるさとの元の土にお戻しすることではないでしょうか。ふるさとに戻る。そういったことを考えたときに、「返還」という言葉と「帰還」という言葉の違いを意識するようになりました。「返還」というのは「集めた側が返す」ということですけど、「帰還」となると、その遺骨が人として「帰る」、お骨に主体性を見出す、そういうニュアンスが入る言葉だと思います。

 その遺骨が人としての尊厳をもってふるさとに帰還することが、まず望まれることだと考えます。そのために必要なのは、どこがふるさとだったのかを特定することです。1880年の雑誌の記事だけでは、どこだったのかが分からなかったのですが、ベルリンで文献を調べていくうちに、それを特定できる文書が見つかりました。みなさんのお手元にある北海道新聞の記事をご覧ください。

 「カイラクエン[偕楽園]から持ってきた」ということが1882年の雑誌に掲載されていました。偕楽園というのは──JR札幌駅西口にヨドバシカメラがありますよね、そこから西のほうに歩いて行くと突き当たりに窪んだような地形の場所があります。現在そこは偕楽園緑地と呼ばれています。そこにかつて池がありました。そこと、その南側にある、現在は伊藤組の社長さんの敷地内にあるメム(湧水)から流れ出た水がサクシュコトニ川となって流れていました。

 広大な農業試験場も設けられた、都市公園である偕楽園が作られたのです。その農業試験場は「偕楽園試験場」とも呼ばれたそうです。その土地の歴史をたどると、そこにサクシュコトニ・コタンというアイヌ・コタンがあったのです。そのコタンで生活していた人が、「R.V.33.」となってドイツに運んでいかれたということが分かりました。

■当事者の声を聞く枠組み
 サクシュコトニ・コタンは、ある意味で、北海道の開拓、あるいは植民地化の最初の犠牲になったコタンの一つではないかと思います。明治初期にサクシュコトニ川のサケ漁が禁止されて、そのコタンの人たちはサケが捕れないので生活していくのが困難になったこともあり、よそへと移住せざるを得なくなったのでしょう。

 そうやって人が住まなくさせられた所で盗掘が可能になった、ということのようです。なお、シュレイジンガーをアイヌ墓地に案内したベーマーとは、「お雇い外国人」のルイス・ベーマーだと考えられます。彼は札幌官園に従事して、北海道にホップ栽培を普及させた功績で知られている人でもあります。

 その官営の農業試験場を引き継いだのが札幌農学校、現在の北海道大学です。そのことを思うと、その大学で働いている者として、また非常に複雑な思いがいたします。

 このサクシュコトニのコタンの歴史をもう一度掘り起こして、いったいどんなところだったのか、どんな暮らしがあったのか、ということを思い描けるようにすることも、「R.V.33.」と番号を付けられた遺骨が尊厳ある形で帰還できるようにするために大切なことだと思っています。

 ところでこの「R.V.」というのは、ルドルフ・ヴィルヒョウ(Rudolf Virchow)の略です。ですからこれはこの遺骨の人物の名前ではないんです。人骨を集めて研究した人の頭文字がつけられている。このことも屈辱的なことではないかと思います。

 大切なのは、今では解体されてしまっていますが、そのコタンの子孫の人たちの声をまず聞くことのはずです。何よりの当事者は、その遺骨のふるさとであるコタンの構成員の子孫だからです。しかしこれまでの遺骨返還の協議のあり方を見ていると、当事者の声をちゃんと聞いて、その意思を反映させる枠組みがなかったと思います。

 これは大きい問題です。日本政府、北海道大学、北海道アイヌ協会などの限られた人たちが意志決定して、それを当事者の頭越しに下ろしてくる。だから対立が生まれるのです。そうではなくて、まずもっと幅広く当事者の声を聴くべきです。対話の場を設けるべきです。そしてその声に対応できる仕組みをボトムアップに作り上げていくことが望まれます。

 いま子孫の方々を捜して、聞き取りもさせていただいているところです。石狩アイヌというところまで範囲を広げて、ゆかりの人たちと連絡を取って、サクシュコトニ・コタンのこと、祖先がそこの出だとおっしゃっていた豊川重雄さん(1931-2015)のこと、そしてこの遺骨について調べていっています。それがドイツ・ベルリンにある遺骨を迎えいれる動きにつながっていくことでしょう。「(ゆかりのある)こういう方がいるよ」というのをご存知でしたらぜひご紹介ください。

■「人間らしさ」の回復に向けて
 本当に尊厳ある帰還のためにさらに大事なこと、それは、この遺骨をふたたび「研究対象」にさせないということです。白老の慰霊施設に送られると、そうなる可能性があります。それでいいのでしょうか。

 かつて盗掘され、何の許可もなく研究対象にされたのが「R.V.33.」です。それをまた研究対象にするということは、不当な行為の繰り返しであり、倫理的に許されないことです。

 遺骨の問題は、単なる遺骨の問題にとどまらないと思います。現在の遺骨協議のあり方も一方的だと思いますが、1869年に開拓使が設置され、「北海道」という名前が一方的に付けられて、アイヌモシリが日本の領土に組み入れられます。こうした流れは全て「一方的」に進められたわけです。

 その中で、サクシュコトニ・コタンもそうなんですけど、土地が奪われ、サケやシカを捕る権利が奪われ、どんどん奪われていったのがアイヌのみなさんだと思います。その「奪われる」歴史の中で、遺骨=からだまで奪われてきた。このことにどれだけ、歴史を直視して、人間らしい対応できるのか、いま生きている私たち、特に北大の責任が問われていると思っています。

 人種主義の研究は、盗掘も辞さなかったわけですから、相手を人間と見なさない行為です。そのことによって、研究者もまた人間らしさを失ったのだと思います。相手を人間として(尊重し)尊厳ある形で対応していくことによって、人間らしさを失った研究者と大学組織も、ふたたび人間らしくなっていくんだと思います。遺骨の尊厳ある帰還とは、そういう歴史の流れの中で、人間らしさの回復にもつながっていくのとても重要なことがらではないでしょうか。

 私にできることはささやかですが、こういうお話をさせていただく機会があればまた参りたいと思っています。きょうは聞いていただいてありがとうございました。(拍手)』
3

2017/4/13

もう一つの日本文化(学習会「先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ」開催記録(その3))  
 木村さんが共同代表になっている【平取「アイヌ遺骨」を考える会】 の学習会 『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』 が先月(3月)18日、平取町・二風谷生活館で参加者110名と盛会裏に開催された。

 懇親会出席者は凡そ40名、反対意見をも自由に発言できる開かれた学習会だった。とても意義のある学習会だったといえる。

 学習会プログラム
 @開会のあいさつ 井澤敏郎(平取町町議会議員/平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)
 A植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)「アイヌの遺骨がこうむった学問の暴力=v
 B殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)「アイヌの遺骨はコタンの土へ」
 C小田博志さん(北海道大学教授)「骨から人へ―尊厳ある遺骨の帰還のために」
 D市川守弘さん(弁護士)「地元の土に遺骨を戻すには」
 E自由な意見交換
 F閉会のあいさつ 木村二三夫(平取「アイヌ遺骨」を考える会共同代表)


 さて、【平取「アイヌ遺骨」を考える会】から開催記録(講演録)の提供があったので、引き続き(その3)をご紹介する。

 B殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)「アイヌの遺骨はコタンの土へ」

 とのひら・よしひこ 1945年、深川市生まれ。浄土真宗本願寺派一乗寺住職。空知民衆史講座代表、NPO法人東アジア市民ネットワーク代表。著書に『遺骨 語りかける命の痕跡』(かもがわ出版)など。

 『みなさん、こんばんは。(壇上の)えらい高いところからで、ちょっと恥ずかしいんですが、ここからお話をさせていただきます。

 私は、浄土真宗という仏教の僧侶でございまして、深川市からやって参りました。ここでお話しする人間としてふさわしいかどうか、ちょっと不安なんですけど、植木先生が遺骨問題の基本的な経緯をお話し下さいましたので、私は、自分のプライベートなレベルのことも兼ねながら、思いをお伝えできればなと思っています。

 みなさんのお手元に配られているのが私の発表原稿であります。半分これを読みながらですけれども、お聞きいただければありがたいなと思う次第です。

■浦河町のMさんの証言
 私がこのアイヌ遺骨問題に出会いましたのは1986年ですから、もう30年以上前のことになります。(当時録音した)テープをとってありましたので、それをひもといて分かったのですけれど、その年の4月22日、浦河町のMさんをお訪ねしたのです。その時の証言を聞いてください。

 「昭和3(1928)年、私が17歳の時に、北大の教授が(アイヌ墓地を発掘して遺骨を)持っていった。それ以前にも発掘に来たが、遺骨が古すぎて研究材料にならない、ということで、2回目に来た。その時の遺骨は、死亡して3年〜6年足らずの新しいものだった。

 キナ(遺体を包むゴザ)もしっかりしていて、肉も付いたまま、ブリキの缶に入れて、ハンダでしっかり封をした。(学者たちは)1体に30円払って買っていったようなものだ。僕のところには、北大の先生が3人泊まっていて、墓の発掘を了解したが、Aさんのところは了解を取らないで発掘したものもあった。北大でちゃんとお祀(まつ)りするから、ということだった」

 私はこの話を聞いたとき、本当に驚愕しました。盗掘があったことがきっちり証言されています。お金を払ったからよい、ということではもちろんないでしょう。むしろ、もっと罪が深いかも知れない。

 肉の付いた骨をブリキ缶に入れて持って帰るというのも、まことに異常な行為だと言わなければなりません。その相手が人間の遺体だという認識に立つならばとてもできるようなことではない「墓暴き」だった。

 しかも、その時(研究者は)「ちゃんとお祀りをします」と言っているんですね。それすらも果たされていないでしょう。まったく研究材料にされたわけです。

 私は当時、この話を聞いて、まわりの人々に一所懸命、この話をしましたけれど、とてもそれ以上、広がるものでもありません。時間だけが過ぎていきました。

■頑(かたく)なだった北海道大学
 改めて私がアイヌ遺骨問題に出会うのは2008年です。小川隆吉エカシが、情報公開法に基づいて、北大にアイヌ遺骨に関する情報公開を求めて、活動を始めました。それを手伝え、というわけです。

 私は、小川さんと一緒に北大に出掛けました。小川さんはそれまで、たびたび北大医学部のアイヌ納骨堂と称する「北大医学部標本庫」の前に立って、その中の遺骨を取り戻したいんだと言い続けてきたわけです。

 情報公開法に基づいて公開を迫りましたけれども、北大は最初、渋っていました。なかなか出さない。小川さんは、市川利美さんの支援を受けながら、さまざまな形で情報の公開を迫り、やがて北大から文書が公開されるようになります。出てきた文書はかなりの量でした。それを解読するため、さまざまな人たちが集まって、北大開示文書研究会をつくって、文書の解読を始めるわけです。

 それでもこの当時、この遺骨の問題を多くの人に知ってもらうのは至難の業だと感じたのを覚えています。たとえば新聞記者にこの話をしても、「よく分からない」と言ってなかなか記事にしてくれないという状況でした。

 開示された文書を読む中で、小川隆吉さん、城野口(じょうのぐち)ユリさんのご親族、先祖のお骨を(北海道大学の研究者たちに)持って行かれていたことが分かります。おふたりは、北海道大学に交渉して、「遺骨を返してもらいたい」と申し出るわけです。でもね、当時の北大の態度はきわめて頑(かたく)ななものでした。

 北大は、「遺骨問題などの交渉はすべて北海道アイヌ協会に一本化している」というわけです。「協会以外の人には一切会わない」「もし北大と話がしたいんだったら、北海道アイヌ協会に相談して、アイヌ協会から話してもらうようにしてください」というのが、私たちに対する北大側の回答です。

■アイヌの先住権としての遺骨再埋葬が実現
 でもこれはまったくおかしな話ですね。遺骨を持って行かれたアイヌにさえ会わない、というわけですから。小川さんと城野口さんはそれでもめげずに、北大総長に会いたいという手紙を出しました。

 私たちは「これから会いに行きます」という文書を出して、2012年2月17日、北大に出掛けるわけです。雪の降る午後でした。しかしその日、北大はなんと、ガードマンを雇ってね、建物の中におふたりを入れないわけです。そして玄関口で追い返してしまいました。

 その時の城野口さんの怒りを込めた言葉が今も私の耳に残っています。
 「覚えておきなさい。これがシャモのやり口さ」
 
 そしてふたりはその年の9月14日、札幌地裁に遺骨返還を求めて提訴するわけです。
 裁判が始まりました。こうなるとさすがの北大も応じないわけにはいきません。口頭弁論で、遺骨を持って行かれた非道を訴えた城野口さんでしたが、もともと城野口さんは病気がちだったのです。北大病院に入院しなければならなくなります。

 原告の高齢化を気遣った裁判官が、和解の提案をしてきました。市川弁護士たちがユリさんの意向を聞きに病院に行ったとき、私も研究会の代表として立ち会いを求められました。

 病床のユリさんは、「遺骨が帰ってくるなら」と慰謝料の請求を取り下げる和解案を了承します。「生きているうちに必ず先祖の遺骨を取り戻したい」という一心だったと思います。「遺骨を取り戻さなければ死んでも死にきれない」と語っていた城野口さんは、2015年3月27日に亡くなります。

 和解が成立したのは、翌年2016年3月25日でした。そしてその年の7月17日、ついに再埋葬が実現するわけです。杵臼(きねうす)のコタンに12人の遺骨が帰ってきました。

 感動的な再埋葬であり、先住民族アイヌの先住権の行使として、歴史的な再埋葬になったと思います。あの時の朗々とした葛野(次雄・コタンの会副代表)さんのカムイノミの声が、私の心にも深く残っています。

 北大は「遺骨は祭祀承継者(さいししょうけいしゃ)に返す」と主張していたのでしたけれども、遺骨を受け取る「コタンの会」は、コタンから持って行った遺骨だからコタンに返してほしいという主張をしました。

 北大は、杵臼コタンに返して欲しいという「コタンの会」の主張をのまざるを得ませんでした。
 ここに、先住民族としての、アイヌの先住権としての遺骨再埋葬が実現したのです。

■無視されたままの遺骨は死に切れない
 私は1970年代から、戦争と植民地支配によって、日本に強制連行された朝鮮人やタコ部屋労働者の遺骨の発掘と遺族への返還の運動に携わってきました。アジア・太平洋戦争の時代に、日本に強制的に連行された朝鮮人は70万人といわれ、中国人は4万人に達します。

 たくさんの犠牲者が強制労働の中で死んでいくのですけれども、戦後の日本政府は遺骨の返還に努力しようとはしていません。今も日本国内に残された東アジア出身者の遺骨は、日本と東アジアの国々の人々との間に突き刺さった棘(とげ)となって、解決されずにおります。

 残されたままの犠牲者の遺骨について、政府も企業も責任を果たさないまま、70年が経ったということです。

 私は、北海道の犠牲者の埋葬地を探し、遺骨の発掘を行ない、市民の手で遺骨を故郷に帰す努力を続けてきました。そして2015年、つまり一昨年の9月、115体の遺骨を携えて韓国にお返しする旅を実現しました。

 他郷で死を強いられ、故郷に帰られず、無視されたままの遺骨は、いまも死に切れていないのではないか、と私は思っています。人は、悲しまれ、惜しまれて、親族や友人から見送られて、初めて死を迎える。そして死んでいくことができるのではないでしょうか。

 どんな社会であれ、どんな宗教であれ、死者をモノのごとく扱い、捨てておくということは、死者を冒涜するだけではなくて、いま生きている私たち自身をも冒涜し、否定し去ることになると思います。

 発掘され、持ち去られ、大学で研究材料にされたアイヌの遺骨。そのアイヌの人々は死に切れていないのではないか。私はいま、そう思っています。

■先住権の確立のための一歩をともに歩みたい
 いまも自然人類学の研究者たちの中には、何としてもアイヌ人骨の研究を続けたいと思っている人たちがいます。私も何度もその人たちの話を聞きました。しかし、命の意味を無視し、死者を冒涜(ぼうとく)してまで続けられる研究とは、いったいどんな研究なんでしょう? 

 1600体あまりのアイヌ人骨を所有する北大をはじめとした12の大学と、人類学者たちは、自分たちの過去を率直に顧(かえり)みて、アイヌに心からの謝罪を伝えるべきだと思います。そして、明治以来、一方的な同化政策を続け、アイヌの先住権を奪い続けてきた日本政府も、アイヌに深く謝罪すべきです。

 そのことをしないで、おカネを注ぎ込むだけで、(2020年東京)オリンピックまでに象徴空間をつくって、そこにお骨を集めてアイヌ文化を宣伝して、100万人の観光客を動員しようとする政府の方針に対しては、私は憤りすら覚えずにいられません。

 私も責任ある和人のひとりとして、遺骨を取り戻すアイヌの闘いに参加し、先住権の確立のための一歩をともに歩みたいと願っています。

 ここに来る前に、土橋芳美さんの『痛みのペンリウク』を読みました。北大に持ち去られた土橋さんの先祖に連なる偉大なエカシ、ペンリウクの遺骨は、行方不明だそうです。北大はどんなずさんな遺骨の管理をし続けてきたのでしょうか。

 みなさんの努力でどうか、平取から持ち去られた先祖の命を取り戻してください。私もできることをさせてもらいたい。

 死者が死者として安心して眠れるとき、私たち生者もまた、安心して生きていける世の中になるのではないでしょうか。このことを私の思いとしてみなさんにお伝えしました。どうもありがとうございました。(拍手)』
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