CLICKするとサラに見やすくなるど(^ん^)↓父が息を引き取った瞬間に思った事…「この人は今後一切“音”を出す事の無い存在になったんだ」と。 今、あなたの耳に聞こえている“音”のいくつかは誰(何)かの“生命”の証しです。
太鼓の“音”も然り

どうか自分の出した“音”を大切にして下さい、どうか仲間の出した“音”を大切にして下さい。生まれては消えていく“音”も“生命”そのものですから
赤とんぼ舞う初秋、父の入院した安城厚生病院緩和ケア病棟は言わば“死を迎える末期患者”の為の施設です。
痛みを取り除き出来るだけ楽に最期を迎えるために患者一人一人に部屋が与えられ、先に入院した市民病院で心無い扱いを受け傷ついてきた父には暖かい思い出をたくさんたくさんいただいた場所でもあります。
本当に安城厚生病院緩和ケア病棟の看護婦さん、先生、ボランティアの皆さんありがとうございました。
父が他界するまでの半年間に危篤状態が数回、親孝行など何も出来ていない私にとって最後を看取る事だけがせめてもの孝行のようにも感じられ、雇い主にムリを聞き入れてもらい仕事を減らしてまで入院先の愛知へ頻繁に通っていた時期でもありました。
脊椎(骨)に転移した癌だったために先の予測(余命)が全く出来ないらしく、その事が父にとって不安材料となり日々怯える生活を余儀なくされていました。そしてそれは私と母にとっても同じ事…。
天候によっては容体に影響が出るらしく、晴れ以外の病室には明るい材料がありません。
曇天の続く冬空の下で、いつしか「桜の咲く頃まで頑張ろう、桜を一緒に見るまで頑張ろう」が私達一家の合言葉になっていました。
そして父は約束を守り2005年4月11日の夜、母が風呂から上がってくるのを待っていたかのように、親子3人揃った病室で唐突に呼吸を止めたのです。
今だから言える話、じつのところこの頃の私達家族は(大袈裟でなく)崩壊寸前でした。
その理由もまことに馬鹿馬鹿しい話ですが、お互いを思いやる気持ちを受け入れる余裕が出来ず「私の足の心配はいいわ!そんな事より腰が悪いんならイスに座れ!」「俺の事なんかええからこのイス使えや!」…といった感じ…、それでも父の意識のあるうちは「ケンカすな!」の一喝で収まっていましたが父の意識も無くなってきた春近くには当人達の間では相当深刻な問題となっていて溝は深まっていくばかり…父が亡くなったのはそんなタイミングの事、私達家族はお互いを心配する事に心の底から疲れきっていました。
「早く死にたい…」と漏らしていた父の最期の決断だったように思えてなりません。あれ以上遅かったら(当然修復した)今の関係はなかったかもしれない。
父の遺体を前に迎えた朝に私の携帯電話にメールが2通届きます。
一通は雇い主からの解雇メール。
「このままでは仕事に支障が出ますので辞めていただきます、ご理解下さい」
その勤め先には臨時にお手伝いとして訪ねた事がキッカケでしたが、雇い主の傍若無人な態度が災いしそれまで右腕として使っていた雇い人が私のいる前で突然キレて出て行ってしまったのです。私は経験豊富な事もあって窮地に立たされたその勤め先を人事も含めて支えてきた自負があります。雇い主と年も近かったせいで苦言を呈する事もしばしありましたが安定してきた今となっては・・・・・・?、しかし、解雇の理由も含めてその事はどうでもいいのです。
父の死のタイミングを計ったその一点において私はこの人物を一生許す事はないでしょう。
そしてむしろ、タイミングがタイミングなだけに私には父が与えた試練のような気がしてならなかったのです。
そしてもう一通はレオンから。
「娘(コトウフちゃん)が産まれました!」
不思議な感覚でしたが心からおめでとうと思いました
・・・いのち・・・
父を前にしながら“生”と“死”そして“生きていくこと”についてずっと考えていました。
父の大好きだった自宅に帰って3日間は共に暮らし(日を選んでいました)、葬送は見事に晴れ渡った桜並木の花びらの舞い散る中の行進でした。
私はこれを機に独立、現在にいたってます。
-------------------------------------------------

-------------------------------------------------
私の考え方はどうも“唯物論”というものに合致するようで、即ち“霊魂”や“神”“超常現象”といった類のものを信じていません(証明出来ない以上否定もしません)。
しかし、もし父の霊に会う事が出来るのならこう伝えたいのです。
「必死で頑張ってんで、見ててな。」
若い頃、私に口やかましく言った小言の全てを、体現する事で指し示していった父を心の芯から尊敬します。
-------------------------------------------------

-------------------------------------------------
この年の近辺で出会った人達には私は“マイナス思考の権化”のように映っているようですが…実際のところどうなんでしょう(^ね^)、今となってはもうわかりませ(((^ん^)))。ここには書けないいろんな事が平行してまだまだありましたから。
ただこの時期にこのブログにコメント、または直接メールいただいた皆様には本当に元気づけられました、当時の日付近辺の記事を見るとリアルに甦ってきます…
★
皆様、その節は本当にありがとうございました。