
ホフマン殿、銀座では鼓童塾塾生の方々を探すのに夢中になって肝心の鼓童の演奏は上の空だったホフマン殿!!!ようこそ(((^笑^)))
う〜ん、「演奏がしたい」って確かに当たり前だよね。
でもこの“当たり前”を相当長い間、やってない気がしてならないんだなぁ。
とくに私は今、桶の会にしか入ってない、練習は年12回、もちろんその他にもいろいろ顔を出す事はあるのだけどなにかが違う。
それは“本番のための練習”であって“演奏”ではないって事。
今も“桶の会”でなぜか教える立場として位置してしまってるけど、そもそもは皆と同じように「習いたい」であって、「共に叩く仲間」に会いに行っただけ。
私が本番をさほど好きでないのは多くの場合、お客の方向ばかりに神経がいって、共に演奏するメンバーの顔すら見ない事が当たり前になっている団体が多いから。
私の言う“演奏”はまず、“共に叩く仲間ありき”なんだよね。
太鼓って、太鼓そのものにかじりつくように位置して一心不乱に叩くから、横にいる仲間の存在にさほど注意を払ってないよね。
“桶胴太鼓”の恐いところは叩いた途端にその人が“演奏”をどういう風に捉えてきたかがすぐにわかる事、悲しいかな…口伝を覚えてすぐに、思い出しながら本番をこなして、「楽しかったね〜」でブツンと忘却してしまう…(それが悪いと言ってるのではない、私と想いを同じくする人がいないという事なんさ)
私は覚えてからがホントに楽しい事を知ってしまった、だからそういうスタンスでやってる人達の中でとても寂しい想いをしながら練習の場所に居たりします。
このユニットではそういう楽しみ方を体験してもらいたいんだよね、あまりに難しい事だと思うけど、だからこそ気負いはないかも知れない。
ホフマンもおいで〜(((^笑^)))