日本における、ビッグウェーバーのパイオニア、京都在住の“青山弘一”プロ!
毎年冬のワイメアへ、魅惑のビッグウェーブを求めて日本を旅立つ青山氏。ワイメアの深い深い話を交えながら、京のお茶屋さんでインタビューさせていただきました!
「ワイメアの波って、一体どぉなの??」サーファーなら、誰もが興味を持っているハズ!要必見な対談です!!全4回に分けてお届けいたします。
吉川(以下Y): じゃぁ、宜しくお願いいたしまーす。
青山さん: いえいえ、そんな。
Y: 大先輩だから。
青山さん: そんなこと、ないですよ。知らない仲じゃないし。
M: あ、おいしい!
青山さん: 美味しいでしょぉ?クリーミーで。こっちの方が、ちょっと高いんですよ。抹茶でも、ランクがあるんですよ。
M: へぇぇ〜。
青山さん: 玉露でも何でも。静岡なんかでも本場で、今こぉやって、和の文化が見直されてて。こぉいったお店が、結構はやってますよ。
Y: これ、まんじゅう、柔らかくて切れぇせん(苦笑)。
青山さん: それで、さっきの話ですけど。10月のえっと、23か4に、タマキ君って、四国に住んでるビッグウェーバーの結婚式があって。そん時に四国のサーファー、200人ぐらい集まったんですよ。
Y: はい。
青山さん: いつも海部に来てるメンバー。その中で、やっぱちょっとレジェンドの、千葉公平とか植田とか、三人でしゃべってたんですよ。
Y: はい。
青山さん: そしたら、やっぱり四国のそぉいう古いところ。どぉいう風に、四国が発展していったかっていうのを、誰か文章に書いて残さないとダメだよね、って話をしてたんですよ。
Y: あぁ〜!
青山さん: そぉいう、雑誌じゃなくて。誰かがそぉやって、やっぱ知ってる人が。誰かが、消えてしまうから。残していって、次の後輩の、下の世代の子達に、何かプラスになるような事があったら、いいのになって、話をしてたんですよ。
Y: はい。
青山さん: サーフィンの雑誌だと、なかなか、企業ベースに乗って。
Y: はい、そぉです。
青山さん: スポンサーサイドとか、見て面白い?何て言うの。
Y: 本音トークは、なかなか聞けませんから、ねぇ?
青山さん: 単行本みたいな、そぉいうのやと、見てて入ってって、面白いですよね。ぜひ、成功してください。
Y: ありがとうございます!
青山さん: 僕もゆくゆくは、自分で、ワイメアの話とか、モチロン今日も話するけど。自分の中で、生きてきた、サーフィンを38年間やってきた中で、どぉいう風にしてその、大きい波に乗って、どぉいう気持ちでいったか、みたいな。なんでノースショアに住んで、その大きい波に乗る時の気持ち、みたいなのをこぉ。
Y: はい、ホントに今日、それが聞きたかったんですよ。
青山さん: はい。説明しますし、もっと細かいところは、自分で書いたりして。
Y: だから、先に謝っときます。変な質問するかもしんない。「しょーもない質問して、こいつは」って思われるかもしんないから。
青山さん: いや、でも、「怖くないんですか?」って、よく聞かれますから(笑)。もちろん怖くて入ってますけど。
Y: じゃぁ、単刀直入に、こぉ、投げかけますので。宜しくお願いします。
青山さん:はい。
Y: まず、青山さんが、やり出されたキッカケは、何だったんですか?
青山さん: サーフィン、やり出したキッカケはねぇ、18の時に、僕、中学・高校・大学、全部水泳部やったんですよ。
Y: はい。
青山さん: 京都生まれなんですけど、大阪育ちで。で、大阪の私立の学校行ってて、同志社に中学・高校と。大学は同志社大学行で。
Y: はい。
青山さん: 中学・高校の時に、興味があって、海に。あ、まぁ、小学校の時に興味があって、図書館でそぉいう、海の本とか見てたんですよ。で、海に関して、すごく興味があって。「泳ぎたいなぁ〜」と思って。小学校の時に泳いでたら、結構まぁまぁ、学校で一番やったから。5年・6年の時に、小学校の中で、自己流で、平泳ぎで一番やったから。
Y: はい。
青山さん: まず、ほんなら、「プールのある中学・高校に行こう!」ってなって。
Y: はい。
青山さん: 父親と母親で、見て回って。で、プールのある学校に決めたんが、たまたま同志社の、中学・高校やったんです。
Y: あ、じゃぁ、プールがきっかけなんですね?
青山さん: そぉなんです。
Y: なるほどぉ!
青山さん: そこで、入学してすぐ、水泳部に入って。そっから本格的な練習をして。中学で、三年で、水泳部に入って、中学3年の時に全国6番になって。
Y: はい。
青山さん: 高校の時もずっと、インターハイに残って。まぁまぁ、速かったんですよね、水泳。で、大学も水泳部に。
Y: はい。
青山さん: 大学の水泳部に行って、16、17の時?17、8の時に本を読んでて、何か、オーシャンライフちゃうかな。週間アサヒかなんか、そぉいう中で、『サーフィン』っていうのが載ってたんですよ。
Y: えぇ。
青山さん: 「うわっ、すごい面白いスポーツがある!」それと、あとみんな僕らの年代っていうのは、高崎一郎がジュンの宣伝してた夜に、ロングボードのぉ、白黒でそぉいうのをやって、観てたんですよ。
Y: はい。
青山さん: 多分、ドジさんとかも、話されてたけどぉ、テレビ番組で、サーフィンの番組が、夜の11時ぐらいからあったんちゃうかな、白黒で。
Y: 僕はちょっと、覚えがありませんね。
青山さん: ちょっと古いから。武藤さんに聞くと分かるかな。
Y: そこは、きっと。
青山さん: そぉいう時代やって。高校時代に、夜、テレビ観てたら、サーフィンが出てたんですよ。「サーフィン、日本でもできんのかなー?」と思って。あと、“ハワイアンアイ”とかいう番組があって、それを観てて、サーフィンが出てくるんですよ、ハワイで。「いいなぁ〜」と思って。「サーフィン面白そぉやな。日本でできんのかなぁ?」と思ってたら、その、週間アサヒかなんかに、若者がサーフィン湘南でしてる、みたいな。あ、日本でもできんのか、ってことで、それで調べて。サーフィンしたいなと思って、大学一年になった時に、たまたま初めてサーフィン見たんは、伊良湖なんですよ。
Y: へぇぇ〜!
青山さん: 伊良湖で、全日本選手権。たまたま、父親と母親と弟と、四人でえっと、車に乗って海水浴に入ったんですよ。
Y: はい。
青山さん: 八月のぉ、お盆明けかなぁ〜?全日本選手権がやってて。
Y: 第五回ぐらいだ。
青山さん: そぉですね。
Y: 70年ぐらいですよね。
青山さん: 波が大きかって。
Y: あのー、防波堤から飛び込んどった時。
青山さん: あー、そぉ、そん時!たまたまサーフィンの、サーフボードを持って、そこに行ったんですよ。で、「自分も出来る!」と。ほんで、その辺で全日本選手がビュンビュン乗ってるでしょ。
Y: はい。
青山さん: おんなじよぉに出来ると思って、持って行ってやったら、引っ繰り返ってコロコロ転がって。
Y: はい(笑)、撃沈でしたか。
青山さん: 水泳はまぁまぁできるけど、難しいなぁ思って。みんなこぉ、軽やかに乗って。川井幹夫さんとか、小室。
Y: マーさん?
青山さん: 女の人、いてたでしょ。
Y: 奥さんですね。
青山さん: マーボォの、マリコさん。みんな上手いこと乗っていくから、スゴイなと。で、「これは無理や」と思って、悔しくなって、「頑張らないかん」と思って。
Y: じゃぁ、あれですか。単独でぇ、サーフボード、どっかから買って来て。
青山さん: そぉです、そぉです。
Y: 個で始まったわけですか?
青山さん: サーフボード買ったんは、大阪の“ウィングクラフト”っていう店があった。
Y: はい。
青山さん: 最初ねぇ、高校時代はサーフボード置いてたんはぁ、“ミズノ”ってスポーツ屋、あるでしょ。今は有名な。
Y: はい。
青山さん: の、本店に置いてあったんは、見たことあったんですけど、その頃は興味がなかったから。でぇ、大学一年になって、「サーフィンしよう」ってことになって、一年の時に車の免許も取ったし、その“ウィングクラフト”っていうのは、ヨシノブちゃんっていうのがやってて。
Y: はい。昔からありますよね。
青山さん: 大阪にはそんな、一件しかなかったんですよ。あ、“アンクル”と二件しかなかった。 “アンクル”と、ヨシノブちゃんとこの“ウィングクラフト”と、大阪には二件しかなかったんですよ。それで、そこまで買いに行って、境なんですけど。大阪に住んでましたから、吹田に住んでましたから、堺まで買いに行って、いっぺん和歌山行ったんかなぁ。いや、初めてのサーフィンが、親とぉ、海水浴がてら、父親と母親と弟と一緒に、伊良湖へ積んで行った、一泊二日で。多分、ビューホテルかなんかに泊まったんちゃうかな。泊まって、サーフィンしに行ったら、大会見て、「じゃぁ入ってみよう!」って入ったら転がって、なんであんなみんな上手いのに、なんて難しい、サーフィンと思って。
Y: じゃぁ、1人ですね、青山さん。そぉすると、1人で始められたんですね。
青山さん: 1人ですね。
Y: 大体色んな人としゃべると、みんな誰々がいて。
青山さん: 教えてもろたりとか。
Y: いいから着いて来い、俺の板を貸してやるから、とか。から、結構みんな始まって。
青山さん: そぉですね、そぉいうんじゃなくて、僕らの年代はまず、そぉですね、僕らはもぉ1人ですね、みんな。だから、ソロ、って感じかな。1人で始めて、一人でデビューしたっていう。そんな、サーフィンの理論もなんも分からへんからぁ、技術もなんも分からへんから、全部自分で考えながら(笑)。
Y: はい。
青山さん: で、ウチの家内が、その頃、高校の時から付き合うてましたから、徳島出身なんですね。
Y: へぇ〜。
青山さん: そのオジイチャンが、釣りが有名で。それで、「南の方行ったら、波あるぞ」とか言うて。それで、一年の夏休み、その後かな、その後の冬休み。夏はその、伊良湖行って、全日本見てビックリして、そっからまぁ、磯ノ浦行ったり、伊勢行ったり。それでオジイチャンに聞いたら、「ウチの田舎にも波がある」って行ったら、ものすごいイイ波が崩れてるんですよ。ちょうどまぁその時、9月ぐらいにいっぺん行ったんですけど。「これは四国行かなイカン」って、その四国へ行ったんが、38年ぐらい前です。
Y: 四国、そんなまだ誰もやってない頃ですよね。
青山さん: 誰もやってませんねぇ。
Y: ですよね。
青山さん: やってたんがぁ、地元の人がニ、三人。
Y: えぇ。
青山さん: その頃やってたんが、海の民宿の息子さんで、シラキさんっていう男の人と、ハルキさんっていう、亡くなられたけど、近くの役場に勤めてる人、ハルキさんって。そこの、ハルキさんとこに、行ったんですね。
Y: へぇぇ〜!そぉいうキッカケなんだ。
青山さん: そぉです、だから、ハルキさんと、あと、クレイギンっていう、空軍の外人が住んでましたね、翌年。一緒にサーフィンしましたね。面白かったです。
Y: 生見ですか?
青山さん: 内妻です。
Y: 内妻。
青山さん: 最初は内妻辺りからサーフィンは。
Y: 僕、昔の内妻は知らないですけど、まだテトラも何んにも無い頃ですよね、きっと。
青山さん: そぉですそぉです。
Y: わぁ〜。。。
青山さん: そいで、ウロウロしてて。ワーゲンのバスに僕乗ってて。ワーゲンのバスでウロウロして、そこでバムってたんですよ。嫁さんが徳島やから。学生やったから、徳島市内に帰るんですけど。夏休みは、そこに寄って、でー、南の方で、ワーゲンに乗って、ウチの弟と二人で、車にプロパンガスとか積んで。
Y: アハハハ!みんなやってますね、それ!
青山さん: そんな感じで、いわゆるまぁ、キャンピングカーみたいにして。そいで、サーフバムりながら、サーフィン覚えていって、色んなポイントを開発していって、その時、海部も初めて見つけたんですよね。
Y: へぇぇ〜!
青山さん: 僕が初めて、海部でサーフィンしたんちゃいますか。
Y: なるほどぉ。
青山さん: その頃ぉ〜、ウチの嫁さんのお父さんが釣りをやってたから、南の方に行って。それでー、なんかすごい綺麗で、波もあって、でイクミもその頃なぁんにも無かったです。何も無い、松林と砂浜とだけ。でちょっとしてから、キラクさんが、“サーフロッジ・イクミ”ってやられて。で松原クンっていう人が、そこの店長になって、大阪の人がよく通い始めて、僕も行き始めて。その頃フェリーしかないんですよ、四国へ行くのに。
Y: 南港から出とるやつですか?
青山さん: はぁい、今でも覚えてますねぇ、4メーターから5メーター未満で、2800円でした。
Y: ふぅぅ〜ん。
青山さん: 今でもよく覚えてますね、値段は。
Y: そぉかぁ〜。
青山さん: 日曜日しか、休みがなかったんですよ。大学卒業して、自分の実家の、大阪の中央市場の、佃煮の問屋を手伝ってたんですよ。結婚して、大阪に住んで、中央市場に店があったから、そこで佃煮の問屋を手伝って、佃煮を配達したりとか。実家がそれをやってたんで。でもぉ、日曜日にサーフィン行ったり。大学生で、家を手伝ぉてたから、冬休み、春休み、夏休みは、全部、あのぉ、あれですわ、休ませてもらって、中央市場を。で弟と一緒に。
Y: 出かけて行ったんですか。
青山さん: サーフィンやってるうちにハマって、面白くなって。流れ止めが無い時代ですからね、シングルフィンの。
Y: はい。
青山さん: そっからやっぱり、長沼さんところに板オーダーして、電話で。買ったり。
Y: はい。
青山さん: あと板は、“スポーツタカハシ”が、もぉ置き始めてましたかね。
Y: あー。
青山さん: 最初“ウィングクラフト”しかなかった。その頃からもぉ何年も経ってますから、スポーツタカハシは置いてますけど、ちょっとダルイ感じやったから。
Y: はい。
青山さん: まぁ、スポーツ店やから。サーフショップやなかったから、直接、長沼さんとこから送ってもらったりとか。あとぉ、九州バムってた頃にぃ、鈴木さんって、“ウェストコースト”の。
Y: はい。
青山さん: その人と知り合うて、「売らへんか?」っていうことで、ディーラーになって。
Y: はい。
青山さん: その頃、大阪で2、3本売ってましたね。
Y: え、その時はもぉ、店はやってたんですか?
青山さん: 店はまだやってないです。その時は、「売ってみないか?」って言われて。「出来ないか?」って鈴木さんに言われて、九州バムってた頃に。だから、四国もバムってたけど、九州もウロウロしてたんですよ。でその頃、鈴木さんってサーファーに知り合うて。で、身内に2、3本売った程度です(笑)。
Y: ウハハハハ!
青山さん: サーフショップは、やってません。で結局、そんな感じでやってて、あれはいつですかね?サーフショップやったんは、1972、3年ちゃいますかね。
Y: うーん?
青山さん: ウチの子供がニ歳ぐらいの時ですから。。ちょっと、はっきりとは覚えてませんけど。
Y: また何でやろうと思われました?
青山さん: サーフショップはねぇ、たまたまねぇ、大阪にサーフショップは三軒ぐらいしかなくてぇ。
Y: 京都は最初ですか?
青山さん: 京都はなかったから、はい、僕が初めてですよ。
Y: ですよねぇ。
青山さん: “ウォーターライン”ってお店で、初めてやったんですよね。友達がね、共同経営で、副業でやってたんですよ。佃煮の問屋を手伝いながら、サーフィン流行るかどぅか分からへん時代やったもんですから、1973年か、4年ぐらいですね、確か。
Y: はい。
青山さん: 店をやりだしたんは何でかって言うたらぁ、まず、大阪には三軒ぐらいしかなくって、京都には一軒もなかって。
Y: その時はもぉ、卒業されてたんですか?
青山さん: そぉです、もぉ卒業してて、大学四年間、京都の大学行ってて、その時の同期の、大野っていう友達なんですけど、「共同経営しよう」ってことで、僕は週末だけちょっと見に行ってたんですよ。
Y: その頃はもぉ、プロサーファーになられてたんですか?
青山さん: プロサーファーはまだですね。
Y: JSOがらみの。
青山さん: あー、まだ、なってません。サーフィン歴、その頃、5、6年ですから。だから、あんまりまだ上手くなくて。
Y: ハハハ。
青山さん: ま、ちょっとサーフィン好きで、大きい波が好きで、四国に行ってるって。その頃、コードができたかな。ゴッデスの、自転車に乗ってるやつ、オレンジ色の。
Y: はい。
青山さん: それを、鈴木正さんが売りに来てて。卸、ゴッデスとかコスミックとか置いてましたから。
Y: コスミックエネルギー。
青山さん: そいでー、共同経営して、で、共同経営したけどまぁ、あんまり上手くいかなくて、半年で止めて。もぅ一軒出したんですよ。それが、まぁまぁ、トントン拍子当って、よく売れたんですよ。
Y: 70年代の、真ん中ぐらいですか?
青山さん: そぉですね、73年、4年。
Y: ちょうどこぉ、広がりつつある。
青山さん: “ポパイ”とかが出て、サーフィンブームになって、第一次サーフィンブームですね。
Y: はい。
青山さん: 第一次サーフィンブームで、ポパイを介して、サーフィンとか、アメリカンファッションがすごい流行った時代ですね。
Y: あの、VANとかフリスビーとか、色んなもんが出てきたりして。
青山さん: そぉですね。それで、店に、サンフランシスコから帰って来た友達が、壁画を描いてくれて。それが何かって、ちょっと調べたら、ヒッピームーブメント、70年代の。
Y: はい。
青山さん: それで、共同経営してやって、ちょっと人がいっぱい来て、でもぅ一軒出して、そこも流行って。それからですね、「プロにならないかん」と。サーフショップやってる以上、やっぱりプロサーファーになりたいなと。で、まずプロを受けようってことで、ウチの嫁さんに店番してもらって、サーフィンばっかし始めましてね。
Y: はぁい。
青山さん: サーフィンばっかして、で、店舗を移ったんですけど、1982年ぐらいにプロ、82年にプロ受かったんですよ。
Y: はい。
青山さん: 確かぁ〜、そぉですね、1982年ですね。だから、サーフショップやったん、確か1974、5年〜、71年にサーフィン始めてるから、4、5年で始めて、そっから82年ぐらいにはプロに受かりまして。そん時が、久我タカオとか、糟谷シュウジとか、第一期生のJPSA公認プロサーファーですね。久我、糟谷、金子、僕、あと誰やったかな、7人ぐらいいましたね。
Y: はい。
青山さん: 82年、ちょうどトム・カレンがデビューした年、部原で。その時の82年の春に、ちょうど低気圧が来て、マリブで予選・準決があって、マリブであって、部原で決勝やったんですよ。
Y: あぁ〜。
青山さん: 久我、糟谷とか、僕は5番、6番かな。
Y: 柳沢ジュンちゃんと、鈴木とか。
青山さん: そぉそぉ、だから、その辺は同期ですね。
Y: この時はみんな、若かったですね!ワハハ!
青山さん: これが大体、プロになった人達の写真。
Y: あー、若い!
青山さん: で、翌年ぐらいに、アジアンパラダイスに出るっていう形で、行ったんですよね。
Y: ふぅぅ〜ん。
青山さん: ま、たまたまこの時に良かったんは、ハワイに行ってて。ハワイに毎年行ってて、帰って来て、春先調子エェんですよ、サーフィン。なんでかって言ったら、冬、日本海でサーフィンして、冬ハワイでサーフィンして帰って来るでしょ。だから、春先調子エェんですよ。春先の大会で、プロトライアルあったから。
Y: 体が出来上がってる状態で。
青山さん: そぉです。
Y: なるほどねぇ〜!
青山さん: 何回も何回も受けてたんですよ、よく、木梨とかぁ、櫛本とかによく誘われて、「プロ受けに行こー」って、みんなで行ってたんけどぉ、木梨とか落ちて、僕が受かったんかな(笑)。で、翌年に木梨が受かったんかな。
Y: あぁ〜。
青山さん: レオも、レオはJSOのプロやったから、大丈夫やって。
Y: はい。
青山さん: だから、レオとか、千葉コウヘイとか、ヒロミチとか、JSOのプロがそのままプロになって。
Y: はい、組織が変わりましたよね。
青山さん: 確か、NPSAとJSOの二つがなんかくっついて、初めてがJPSAで、その一期生ですね、一発目のやつ。プロの一期生ですね。
Y: 今、アジアンパラダイスの話が出たから、聞きますけどぉ。。。どぉだったんですか?
青山さん: アジアンパラダイスはぁー、もぉ、とりあえず、武藤さんも多分みんな、一緒やったと思うんですけど、本を見ながらワクワクしてたんですよね、僕は。やっぱりあの、石井さんの書く文章に、僕らはそぉいう、情報が無いじゃないですか、今みたいに。
Y: はい。
青山さん: 石井さんの本を見て、サーフィンワールドとかを見て育ってますから、サーフィンクラシックとか。情報がそれしかない、今みたいに色々情報ボンボン出てる時代じゃないじゃないですか、僕らの時代って。
Y: はい。雲とか、学校の校舎の上の旗とかで。
青山さん: もちろん、ファックスも無いような時代で。もぉ、ほとんど何んにも無い、電話しかないよぉな時代。情報が全然無い、コンピューターも無いしぃ、波情報も無いしぃ。波見るのも全部、雲の流れとかを見て、漁師みたいなもんで。
Y: えぇ、えぇ。
青山さん: 当るとか当らんとか、自分の感覚、動物的な勘でいってた時代。
Y: はい。
青山さん: そんな時代やったですよね。その、たった一つの情報源っていうのが、サーフィンの本しかなかった、我々は。多分、吉川さんも同じと思うんですけど。
Y: はい。
青山さん: 僕らの時代に育った、40代後半、50代から60代って言った方がえぇのかな。
Y: フフフフフ、そうですね。
青山さん: その辺はやっぱり、サーフィンの情報いうのは。
Y: そんな頃ポイントも、全然情報が無い頃、日本地図見てぇ、「多分、この辺、やれるんじゃないのか?」って、探しに行きましたもん。行って「おー!」とか、全く何にも無いところとかぁ。
青山さん: そぉ、だから僕もそれでぇ、昔本で、鴨川の河口でサーフィンできるってあったから、ニオドでやったり、海部の川で、川の河口ばっかり探して、それで四国で色々、河口を発見したのかな。
Y: はぁーい。
青山さん: そいで、そぉいう本があったからこそ、ヒントになって。
Y: えぇ、それを、実践されたっていうことですね。
青山さん: そぉですねぇ。だから今回そぉやって、吉川さんが書かれるものが、ヒントになって、サーフィン、「あぁ、こぉいう考え方もあるんだ」とかって、読んで、なんか刺激を受けて、いい意味で、サーフィンが育っていったらいいんじゃないかなって。そぉいう風に、グローバルに、サーフィンっていうのは、もっと素晴らしい、タイトじゃないからぁ、その、派閥とかじゃなくて、サーフィンってもっと自然の恩を受けて、こぉいうスポーツが、なんて言ったらいいかな、日本に入って来て、その、始まった、世界に始まった、その点のところに我々はいてると。
Y: そぉですねぇ、はい。
青山さん: サーフィンっていうスポーツが入って来て、その最初のスタートの地点に我々はいてる、日本もいてるし、世界が始まった時もいてるし。それって、すごい素晴らしいことやなぁって。それこそ百年後とか二百年後の、我々の子孫も、サーフィンを同じようにやってるやろぉと。
Y: はい、やっててほしいです。
青山さん: そのサーフィンが入って来た時に、僕らがいてるっていうのは、すごい、素晴らしいことやなって、いつも感じるんです。
Y: いや、それは本当に、そう思います。
青山さん: それは、日本であり、世界のポイントであり、ウルワツが発見された後に、我々が行ったり。ワイメアの波を、乗っていったり。これからまだ、色んな日本人がワイメアの波を乗っていくけど、僕らの経験を、まぁ本読んだり、こぉいう事を聞いたりして、「じゃぁ、ワイメアもこぉしたらイケルんだ」っていう道しるべになったらいいなと、思いますね。
Y: いやぁ〜、その通りです!

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