ユング心理学を創設した精神科医ユングは、「無意識下で、すべての人、動物、鉱物、地球、宇宙全体が一つにつながっている」という結論に到達しました。ユングは、夢分析や絵画分析を臨床心理学に取り入れていました。夢は、時間や空間を超越しており、夢が未来を予知したり、太古から人類に伝承されてきた神話や神話的なモチーフが夢に現れることがあります。悩んでいる問題があって、どうしても答えが見つからない問題にぶつかった時、夢が答えを教えてくれることがあります。一番最初の章で、「ゆっくりと」ということを取り上げましたが、これは私が夢の中で教えられたことです。また、意識が気がつかない大切なことを無意識が教えてくれたり、警告を発してくれることがあります。意識の偏った態度を無意識が修正して、バランスをとろうとすることもあります。
ただし、無意識は言葉ではなく、象徴(シンボル)をコミュニケーションの道具として使用します。ですから、夢の中に出てきた人の言葉や夢の内容をそのまま受け止めるのではなく、夢に出てきた象徴が何を意味しているか、無意識が意識に何を伝えようとしているのかを解釈する必要があります。夢の象徴解釈はとても難しいです。夢分析を得意とする経験豊かなカウンセラーでも解釈に悩むことがあるようです。
夢だけでなく、絵画や音楽などの芸術作品からも無意識からのメッセージを読み取ることができます。瞑想したり、深いリラクゼーション状態になることによって、無意識からのメッセージを感じ取れるようになる人がいます。
心の中で、普段「自分が自分である」と思っている部分が意識です。無意識は、その深層にあって、莫大な情報を蓄え、意識に欲求やエネルギーを送る働きをしています。無意識は、個人的無意識と集合的(普遍的)無意識に分けられます。個人的無意識には、その個人の過去のさまざまな記憶や知識が存在します。集合的無意識には、人類共通の知識、知恵が存在します。無意識の最も深遠では、すべての人間、あらゆる生物、鉱物、地球、宇宙とつながっていると考えられます。
動物や植物と意志の疎通ができる人がいます。古い宝石や石や道具などから過去の情報を読み取れる超能力者がいます。そのようなことが可能なのは、無意識下ですべてがつながっているからだと考えられます。すべての人がそのような能力をもっているのかどうか、私にはわかりません。ただ何となく感じるのは、すべての人間、動植物、鉱物までもがつながっていることは確かでも、そのパイプが常時開いているわけではないということです。そのパイプがいつも開いていると、莫大な情報が入り込んできて、人間の脳はパンクしてしまうだろうと思われます。人は無意識下ですべての事物とつながっているけれども、パイプは普段は閉じられていて、必要に応じて開くようになっているのだと考えられます。
「霊が見える」という方が時々私のクリニックに来られることがあります。霊が見えるという方も、ある特殊な次元、時空間につながっているのだと思います。私には見えませんが、そのような世界とつながっていると結構大変なようです。迷える霊が助けを求めてくるようです。霊が見えるという次元にもいろいろなレベルがあって、みんなが同じものを見ているのではないようです。亡くなった宜保愛子さんは、不幸な霊ばかり見られていたようです。人によっては、天使や妖精、小人、コロポックル、座敷童、小さなおじさんだけが見えることがあるようです。睡眠薬のマイスリーを飲むと、小さなおじさんが見えるという話がありますが、真偽は定かではありません。どうせつながるのであれば、より高次元の存在とつながって、神様や天使、妖精ばかり見ていたいですね。
私は以前霊能者に私のクリニックに来てもらって、霊が見える方のカウンセリングをしてもらったことがあります。その霊能者がおっしゃるには、霊が見えても、見えない振り、知らない振りをしていれば良いとのことです。それでも心配なら、地元の神社に行って、お守りをいただき、自分専用の数珠をいつも身につけていれば良いとのことでした。ただし、憑依や霊障ということは、実際にはほとんどなく、心の病気や性格上の問題がほとんどだと言うことでした。
私としては、霊が見えるというような特異な能力をもたれている方は、たとえ霊能者にならないとしても、その力を世のため、人のために役立ててほしいと思います。そういう力をもつ人は、何か人のためになる仕事をするためにこの世に生まれてきたのではないかと思うからです。
輪廻転生を信じる人は、自分の前世を催眠術などで知ろうとします。その前世療法を行っていると、「自分はクレオパトラの生まれ変わりだ」と主張する人が何人もいるようです。魂が個別であり、一人一人の魂がそれぞれに生まれ変わるとすれば、そのようなことはありえないはずです。しかし、魂が個別に存在するのではなく、大いなる全体の一部であるとすれば、複数の個人が同じ前世をもっていても不思議ではありません。個人が持っている属性とは、大いなる全体の一部分に過ぎず、個人の中に全体が内包されており、全体の中に個人が内包されていると考えられます。すなわち、個と全体は一体となって存在しており、分けることはできないのです。
人間と環境が一体となって存在しており、分けることができないのと同じように、魂も大いなる全体と一体になっており、分けることはできないと思われます。そうすると、個性とは何かという問題が生じるのですが、おそらく個性は、大いなる全体の属性の一部に過ぎないのだろうと思います。自分が大発見をした、大成功した、ノーベル賞をもらったと言っても、魂の世界では、大いなる魂の一部が成功したということに過ぎないと考えられます。したがって、歴史上に名を残すということは、あまり大きな意味をもたないことなのかもしれません。有名になって名前を残すことより、自分の人生をどのように生きたかということの方が重要かもしれません。
人間は肉体としては個人個人が切り離されていますが、魂のレベルではみんながつながっていて、大いなる全体を形成していると考えられます。その大いなる全体が宇宙を創造した神様なのかもしれません。少なくとも、人間にとって神様のような存在であることは確かです。ただし、宇宙を創造された神様がそれとは別に存在する可能性は否定できません。魂がつながっており、大いなる全体を形成するというところまでは、何とかイメージできるのですが、それ以上のことは私にはイメージできません。神、大いなる創造主については、人間をはるかに超越した存在ですから、人間の頭でイメージすることは困難なのかもしれません。
すべての人がつながっているとすれば、人間は一人でいても決して孤独ではないと考えられます。遠くで暮らす家族や親戚や友人とも、すでに亡くなった人達とも、心の奥底ではつながっていると考えられます。仲違いした人ともいつか必ず分かり合える日が来ると思います。亡くなった人とも、遠く離れて暮す友人とも、かつて好きだった恋人とも、心の奥底ではつながっていると思うと、何だかほっとします。この世での別れは永遠の別れでなく、一時的な別れに過ぎないのです。

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