「コミュニケーションの良し悪しは刺激の程度で決まる」
コミュニケーション
蒼: ねえ、鐘。コミュニケーションをどのように考えてますか?
鐘: シゲキの程度でしょうね。たとえば交流分析という心理学にある「時間の構造化」で考えると「儀式」のシゲキは少ないでしょう。でも「親密」の段階になると多いよね。そうするとコミュニケーションは、シゲキの質と量によって決まるんじゃないかなと思うわけです。
蒼: ああ、そうすると、よいコミュニケーションっていうのは、お互いのいい刺激が多いということですね?
鐘: そうそう! でも、人間を宝石の原石だとたとえると、上手な磨き方が出来るかどうかだと思います! 石と石がブツカリ合ったり、ゴシゴシと擦れあうような粗野な影響だったら、石を傷つけちゃうでしょう! 輝き合えるか、傷つけ合うかはさ、相手の素材を見て、磨き方を変えられるかどうかは大きいと思うんですよ! グッド・コミュニケーターと呼ばれる人とか、いい先生ってさ、それが上手なんだと思うんですよね!
蒼: 磨き方がコミュニケーションであるということですね!
鐘: そう。自分も石だから磨かれるわけだけど、どんな石を持った人をそばにおいているかを注意しないといけないですね。自分が明らかに傷ついているのにも関わらず、損得で離れずに側にい続けたらダメでしょうし、本当は美しくなれるのに、傷つけ合うのが恐くて近づくのを避けてしまってる人もいるでしょう! 自分次第なんですね。同じ刺激をもらっても、それで傷つく人もいれば、それを糧とする人もいる訳です。
蒼: 自分を尊重し、それでかつ自分が納得する自分で相手に接することが質の良いコミュニケーションということですね。
鐘: そうです。コミュニケーションで、人の尊重を先におくと、自分を見失ったコミュニケーションになりがちだと思います。ベクトルは自分に向けておいて、相手を尊重している自分がいるということです。
蒼: 後から考えて、後ろめたくない自分がいるかどうか確認しながらするコミュニケーションが良いと思いますね!
--------------------------------------------------
次回は「自分が相手にとって、相手を光らせる石になれるか」がテーマです。
--------------------------------------------------

0