2011/10/3
CAPのトコで『川艜(かわひらた)』の復活が投稿されてたので
こちらではかつてその船が通った運河を投稿。
明治の頃、筑豊の石炭は鉄道が敷設されていなかったため
船で若松まで運んでいたそうな。
その運搬船の運河が中間市付近から水巻町、折尾経由で洞海湾へ抜けていたらしい。
まぁかなり有名やから詳細はパス

水巻町の吉田東3付近(画像は上流方向)
この付近から下流方向へ進んでみる

こちらは下流方向
ちょい先に川の守り神の神社がある
神社入口を通過して200mくらい行くと

車返しの切り通し跡

この折尾高校の下付近の区間がその切通しらしい

説明です(いつも通り各自で..)

船着場?

確かにノミ跡らしき痕跡が有る

手作業でこの切通し作業やったんですなぁ
耶馬溪の青の洞門みたい

高校下を抜けたところ(上流方向)
ちなみに折尾高校も嘉穂東高校と似てて
炭鉱主(三好鉱業)の奥さんがご主人が亡くなった後、炭鉱売っぱらって
この辺になかった女子校を建てたのが始まり。
なんとも豪快な奥さんでその他売った金はほとんど寄付したらしい。
詳細説明は川沿いの高校入口付近に石碑とセットで有るので読んで
ください。

筑豊線をくぐって
あとは線路と平行して進行

ココに到着

向こうに見えるおしゃれな建物は多分折尾駅
そのほかにも水門跡とかセットで周ると明治期の石炭運搬がよく判るかも
全体的に道路が狭いので車よりは自転車かバイクがイイでしょう。
こちらではかつてその船が通った運河を投稿。
明治の頃、筑豊の石炭は鉄道が敷設されていなかったため
船で若松まで運んでいたそうな。
その運搬船の運河が中間市付近から水巻町、折尾経由で洞海湾へ抜けていたらしい。
まぁかなり有名やから詳細はパス

水巻町の吉田東3付近(画像は上流方向)
この付近から下流方向へ進んでみる

こちらは下流方向
ちょい先に川の守り神の神社がある
神社入口を通過して200mくらい行くと

車返しの切り通し跡

この折尾高校の下付近の区間がその切通しらしい

説明です(いつも通り各自で..)

船着場?

確かにノミ跡らしき痕跡が有る

手作業でこの切通し作業やったんですなぁ
耶馬溪の青の洞門みたい

高校下を抜けたところ(上流方向)
ちなみに折尾高校も嘉穂東高校と似てて
炭鉱主(三好鉱業)の奥さんがご主人が亡くなった後、炭鉱売っぱらって
この辺になかった女子校を建てたのが始まり。
なんとも豪快な奥さんでその他売った金はほとんど寄付したらしい。
詳細説明は川沿いの高校入口付近に石碑とセットで有るので読んで
ください。

筑豊線をくぐって
あとは線路と平行して進行

ココに到着

向こうに見えるおしゃれな建物は多分折尾駅
そのほかにも水門跡とかセットで周ると明治期の石炭運搬がよく判るかも
全体的に道路が狭いので車よりは自転車かバイクがイイでしょう。
投稿者:ちくまえ。







