なんて事はない。数ヶ月前なんのきなしに
「手作り胡麻豆腐が食べたい。チーフできる?」
といったお客様がいて、それから数ヶ月。昨日いらして胡麻豆腐を食べて
「おいしい」
と言っていただいた。
だから胡麻豆腐記念日。
んーーどこかで聞いたフレーズ。
そうか「サラダ記念日」か。
この歳になって初めてこのサラダ記念日のフレーズの凄さに気づいた。
相当昔の本だったが、当時中学生くらいで、この良さがこのフレーズの何がここまで大衆に評価されているのかさっぱり分からなかった。
この単純明快な言葉のやりとりの中に、自分の師の教えたかったことが色濃く入っているなんて、つい最近まで気づかなかった。
決して感動を覚えるほど自分の胡麻豆腐が優れている訳ではない。というか言われて初めて胡麻豆腐に挑戦して、普通の一般で売られている胡麻豆腐に感動も共感も覚えたことはない。
「これの何処が豆腐なんだ」
と思う気持ちもあり今まで作ろうともしなかったし、今でさえどこまで情熱をかけているのか。
ある意味「食べたい」と言ってくれたお客様のため1人のために挑戦したような物。出せるレベルまでに1ヶ月。豆腐という物を崩したくなくて自分なりに改良して、いつも入れていた豆乳が入手できなくなって代替で悩んで、にがりもそのおかげで変えて、また出せるればるまでに作り上げるのに数週間。
そしてやっとそのお客様に食べていただくときが来て、「おいしい」とおせじかも知れないけど言っていただけた。
ここで一つのストーリーの第一章が完成する。この場合この胡麻豆腐を食べるのもそして判断するのも世界でただ一人であって・・・
上手く言葉で説明できない。
「サラダ記念日」という言葉で表現するのであれば、そのサラダを判断するのは自分の大切な恋人一人で良いわけであって、他にどんなにおいしいサラダが高級なサラダがあろうと、その恋人が「おいしい」と言ってくれれば、作り手としてはそれ以上は無いわけであって、それは立派な立派なその人に取っては世界一。
「サラダ記念日」というたいそれたフレーズに決して負けることはない。
あっ、そういう料理もあるんだ。そういうストーリーの料理への組み込み方もあるんだ。
それが今回の胡麻豆腐で気づいたかな。
でも自分は料理人でもある。来てくれたお客様に当然胡麻豆腐も出すし、手打ちのパスタも手作りパンもデザートもハーブティも出す。
なのでその胡麻豆腐は第一章の完結でしかない。ここからまた第2章が始まるし。
なんだろう。サラダに胡麻豆腐に料理に限らず、すべての生活においてもっともっとシンプルな物だと思う。こんなにすべての事柄にわざと難しくしなくてもいいし、シンプルさは単純でも簡単なことでもない。でもわざと難しく考えるよりもっと楽しく、そのこねくり回した難しさから開放された分だけ他に目を向けることが出来るし。
シンプルイズベスト
この言葉も深い言葉なのかもしれないなぁとこの記事を書きながら考えてしまった。