お客様が懐かしいレコードを沢山持ってきてくれた。
見てみると学生時代欲しくても手が出なかったジャケットを眺めてはため息ついていたレコードばかり。
自分の世代はかろうじてCD世代なのだが、昔からレコードが好きで、でも当時バイト代で昼食を切り詰めても1ヶ月で買えるレコードは1枚が限度、なんとか教科書や参考書代とかちょろまかしたり、宿題や論文の代行、合コンのセッティング、文化祭のチケットの販売など学生ならではの手段で(当時ネットなんてないしオークションなんて手軽なものはなかったから色々大変だった)稼いでレコードを手に入れる。
そんなセピア色のちょっと苦い思い出・・・
最近はダウンロードだし、ショップに行っても視聴できるし、というか大手しかないし・・・その割には売り場面積大きい割りに置いてある音楽がどこも同じというかなり悲しい現実。
CDを買う人種は、もはやよほどの音楽好きとか一部特典のチケットとかそういう買い方もあるらしいが、音楽好きをターゲットにするなら、もう少し特化したちょっとうなるような仕入れとか、並べる順番とか、本当に音楽が好きで働いているのだとしたら「これが俺セレクト」みたいなコアな方面にいかないと離れてしまう気はするが、色々と難しいのだろう。
そういった意味では時々図書館とかでこのうなるような出会いや、これはよほどの好き者やりおる。と担当者に握手求めたいところも何故かウチの近くにはいくつかある。
こういう面白さがないんだよな大手はというか大抵の所は。
例えばレンタルビデオなら極論、エッチな分野の更に細分化された方面とか、
「うわっ、理解できない。引くわ〜」という感じまで壊れると返って応援したくなる。そんなマニアックな遊び心も許されない現状なのだろうと思う。
ちなみにレンタルビデオとか会員カード系は極限まで遠ざける性格なのでここ10年近くレンタルには縁がないが・・・(前の職場が捜査系なので色々知ってるし)
まぁレコードに戻すと、買う楽しみというのがあった。
視聴も出来ないし、音楽雑誌やライナーノートやジャケットの写真や絵などで昼食1ヶ月抜いて溜めたお金で1枚のレコードを選ばなければならない。
むろん成功するとこれ以上ない満足感で1ヶ月過ごせるし、はずれを引くと1ヶ月自分を責め続ける。
それを繰り返すうちに、なんとなくだけどモノの方から自分を呼んでいたり、なにか光って見えたり、そういう超能力みたいなものも身につく。
むろんレコードの場合、ある程度のカテゴリー分けだけでランダムだから、1枚ずつ捌きながら唯一の1枚を見つけなければならない。時々とんだ掘り出し物があったり、音楽雑誌やラジオでは知りえなかった出会いもある。
今から考えるとこの1ヶ月に1回の買い物が本当に楽しみで生きていた気がする。
今の便利すぎる世の中だとおそらくそういう楽しみは味わうことは出来ないだろう。数ある商品の中で、本当に光って見える特別な出会いといっても「こいつ頭おかしいよ」と思われるのが関の山だろう。
当時泣く泣く買えなかったレコードがめぐりめぐって今手元に来た。20年以上の歳月をかけて。。。
そう考えるとものすごく運命というかモノにも心があると思い知らされる。
現代人には理解は出来ないだろうが。。。
そのレコードも何人もの手に渡って世界を旅しながら日本各地を旅しながら、今自分手元に来た。もしかしたらまた旅をするのかも知れないが、今レコードを聞ける環境を持ち合わせている人の割合を考えるともしかしたら自分のところが最後なのかもしれない。それか中古本屋とかの片隅で深い眠りにつくか、押入れの奥で忘れ去られるか、あるいはゴミとしてその生涯を閉じるかもしれない。
そう考えると自分の所に来たレコードは間違いなくその役割は少なくても果たせるので幸せな部類なのかもしれない。
かつてあれだけ涙して諦めていた品々がひょんなことから長い年月をかけてたどり着く。
ものすごく自分にはロマンチックというか、涙出てきてしまうのだが。
もしかしたらここから新たな出会いがあるかもしれない。死ぬ直前で輝きを取り戻せるかもしれない。
モノには心がある。それをつなぐことそれを気づけるのも人間という生き物。
全てのものを生かせるわけではない、変わっていかなければならないものもあるし全てを気づけるわけではない。
でも、出来る限り気づける人間でありたいし、そういう人を減らしたくない。
楽と便利は人をダメにする。全てのことでこうとは言い切れないが、少し色々と考える必要があるような気がする。それはきっと後ではない今なのだと、今しかないのだと思う。

0