2017/11/2

【大分出張初日】大分県立美術館/別府地獄めぐり  調査・旅行・出張

朝一番の飛行機で、羽田空港から大分空港へ。
大分県は初めてなので、空港から大分市内へバス移動して、府内城の前にある佐藤忠良作のフランシスコ・ザビエル像を観ました。

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周辺には、北村西望作の伊東マンショ像や、彼の弟子の富永直樹作の西洋音楽発祥記念碑、舟越保武作の西洋劇発祥記念碑、円鍔勝三作の育児院と牛乳の記念碑なども立っていました。
だいたい西洋的なものはイエズス会の宣教師が持ち込んできたので、ザビエルを庇護した大友宗麟の居城のあった大分が発祥の地になるということなのでしょう。

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朝倉文夫作の滝廉太郎像も、滝廉太郎の終焉の地に立っていました。朝倉文夫は竹田高等小学校で滝廉太郎の後輩にあたるようです。

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その後は坂茂設計の大分県立美術館(OPAM)へ。残念ながら特別展は展示替え期間中でしたが、コレクション展「自然への憧憬」(高山辰雄、福田平八郎ら大分ゆかりの画家を紹介)と特集展示「咸宜園ゆかりの人々」(咸宜園は儒学者・廣瀬淡窓が日田に開いた私塾)、「九州地区多摩美術大学校友会展」などを観ました。

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中でも、1階の展示室で開催されていた「Action!」展(企画BEPPU PROJECT)は、小さな企画でしたが、面白かったです。
いわゆる「障がい者アート」の作品展ではなく、その普及や課題の解決に取り組む人や団体の言葉を中心にした展示で、副題は「1人ひとりのもつ可能性を活かす仕組みを考えるアート展」。
クシノテラスの櫛野展正さんや、美術評論家の福住廉さん、クリエイティブサポートレッツ(浜松市)、みずのき美術館(亀岡市)、こえとことばとこころの部屋(大阪市釜ヶ崎)の関係者のインタビューが、雑誌のようなレイアウトで会場に展示されていました。

   *   *   *   *   *

午後は日豊本線で別府へ。わずか3駅、大分と別府がこんなに近いとは知りませんでした。
別府市内を歩く前に、とりあえず急ぎ足で、観光地として名高い「地獄めぐり」へ。さすがに国外からの観光客がたくさんいました。

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鉄輪(かんなわ)は、1000年以上も前から噴気、熱泥、熱湯が吹き出し、「豊後風土記」にも記されているという忌み嫌われた土地。そこで1910年から観光地として整備されはじめた「地獄見物」を、“別府観光の祖”として知られる油屋熊八が、1928年に日本初の女性バスガイドつき観光バスを発案して大当たりさせたそうです。

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まずは「地獄めぐり」のコースにしたがって、国指定名勝の「海地獄」へ。コバルトブルーの水面が美しいです。

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さらに灰色の熱泥が沸騰する「鬼石坊主地獄」。

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「6丁目」までの小さな地獄が点在する、ちょっとポップな「かまど地獄」。

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温泉熱を利用してワニを飼育している「鬼山地獄」。

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和風庭園のような国指定名勝の「白池地獄」は、一遍上人が開いたそうです。

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鉄輪地区から亀山地区にバスで移動して、赤い熱泥の「血の池地獄」(国指定名勝)。

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最後は間欠泉の吹き出す「竜巻地獄」(国指定名勝)。

夕方ようやく到着した別府市内は、なんとも魅力のある歴史性と猥雑さの漂う街並みで、ついふらふらと路地裏に入って行きたくなります。
本格的な散策は明日にすることにして、まずは末広温泉2階の公民館に駆けつけて、写真を展示している本郷毅史さんのギャラリートーク、続いて画家の大平由香理さんと本郷さんの対談「旅と別府とアーティスト」を聞きました。

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本郷さんは長野県大町市在住の写真家で、福島の阿武隈川の源流を撮影しています。大平さんは「東北画」の画家として活躍していますが、末広温泉に壁画を描いているというので、滞在中に末広温泉にも入ってみようと思います。
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2017/10/30

「明日がある、かな」  他館企画など

休館日。午後から新宿の紀伊國屋ホールへ、斉藤とも子さんの出演するトム・プロジェクトプロデュースの「明日がある、かな」を観に行きました。
アレルギーと自動車の排ガス問題をテーマにした舞台。トム・プロジェクトのとも子さん出演の作品を観たのは、「かもめ来るころ」、「静かな海へ MINAMATA」に続いて3度目になります。

「50周年の集い」の後で少し疲れていたのですが、終演後のロビーで、とも子さんが笑顔で駆け寄ってきてくれたので、やはり行って良かったと思いました。
公演最終日で、とも子さんもお疲れだったでしょうが、あの笑顔、見習わなくては。

はじめに観た「かもめ来るころ」は、大分県の中津を舞台にした松下竜一さんの物語でした。
松下さんは、初期の『丸木美術館ニュース』に、短い文章を寄せて下さっています。
今週は、大分出張。松下さんの愛した大分の海を見るのが楽しみです。
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2017/10/28

丸木美術館 開館50周年の集い@埼玉会館  イベント

午後4時から埼玉会館小ホールにて、「丸木美術館 開館50周年の集い」を行いました。
ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

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おかげさまで、台風の迫るあいにくの天候にもかかわらず、500席の会場は有料入場者458人、ボランティアスタッフや出演関係者、メディアのカメラ席を含めるとほぼ満席という大盛況でした。心より御礼を申し上げます。

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開演とともに、丸木夫妻の姿がスクリーンに映し出され、司会の岡崎弥保さんが丸木夫妻の言葉を朗読。
その後、幕間にも3回「原爆の図」の映像を投影し、岡崎さんが「絵解き」の一部を朗読しました。
ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のプロムナードのイメージで、とお願いしたのですが、これはなかなかうまくはまりました。

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挨拶は小寺隆幸理事長。50周年の御礼を述べるとともに、谷本清平和賞受賞を報告しました。

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スペシャルトークは、おしどりのマコさんケンさん。福島の取材から駆けつけ、参加してくださいました。
吉本興業所属の漫才師らしく、軽妙なトークで会場を笑わせながらも、福島原発事故後の東京電力の記者会見に最多参加を続けるジャーナリストでもあるお二人は、知ること、知らせることへの強い意志を感じさせます。

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平和を歌う!コンサートはこんにゃく座歌役者の岡原真弓さんとピアニストの湯田亜希さん。
林光さん作曲の「新しい歌」や萩京子さん作曲の「きょうだいをころしに」などを力強く歌ってくださいました。

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客席から舞台に上がり、コンサートに参加して下さったこんにゃく座歌役者の太田まりさん。高畑勲さんの大ファンだそうです。

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プログラムの最後は、映画監督の高畑勲さんと、詩人のアーサー・ビナードさんの対談。進行役は岡村がつとめました。
アーサーさんは「原爆の図」の紙芝居に取り組み、これまでにも「原爆の図」についての重要な発言を何度もされていますが、高畑さんが公式の場で「原爆の図」を語るのは今回が初めてでしょう。ジャック・カロからゴヤ、ピカソ、藤田嗣治などの戦争画の系譜をふまえつつ、「原爆の図」について熱く語られていました。

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「原爆の図」のメッセージを正面から受け止めるアーサーさんと、絵画としての「野心」に懐疑的な高畑さん。おふたりのスタンスははっきりと違います。表現者として互いを尊重しあいながらも、意見をたたかわせる刺激的な対談となりました。

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何度も「破綻」しながら「原爆の図」の紙芝居に挑み続けるアーサーさんに、「私ならやらない」と間髪入れずに断言した高畑さん。しかし、破綻の先にこそ、新しいものが生まれてくるのかもしれません。

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閉会時間の超過が心配でしたが、最後は司会の岡崎さんがしっかりと締めて下さいました。
夜9時直前、最後の対談が少し長引いたものの、まあ許容範囲でしょう。

舞台裏はとにかく最初から最後まで必死でしたが、素晴らしい出演者の皆さんに助けられて、無事にイベントを終えることができました。
これからも、さまざまな試みを続けながら、丸木美術館の可能性を拓いていきたいと思いますので、引き続きご支援ください。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
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2017/10/21

小沢節子さん特別トーク「丸木スマの絵画を語る」  企画展

台風の迫る中、「丸木スマ展」の特別トーク。ゲストは近現代史研究者の小沢節子さん。
ご来場くださった皆さま、本当にありがとうございました。

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今回の一宮展も含めて、丸木スマの展覧会は「素朴さ」「自由さ」が強調されることが多いのですが(もちろん、その魅力は大きいのですが)、作品を見続けていく中で、スマは独自の方法論で技術的な絵画の実験を繰り返し、世界を見るまなざしを深めているのだと考えるようになりました。

そこで、今回のトークの前半は、現実を再構成する「知的な作業」について、小沢さんにお話しいただきました。対象を引き立てる背景の色面分割、さらに点描やドリッピング、にじみ、ぼかしなどの技法を使って背景を重層化させ、画面の奥に森が続いていくように深度を増していくスマの絵画世界。いつか、そんなスマの技法の進化/深化に焦点を当てた企画をしてみたいものです。

後半は、新たに見つかった原爆の絵画《ピカドン》を紹介しつつ、《ピカのとき》も含めたスマの原爆表現について。こちらも、すでに発表されている小沢さんの論考の蓄積をもとにしながら、経験を意味づけ、再構成していくスマの絵画の本質を考えるトークとなりました。

悪天候のせいもあって、参加者は少なめでしたが、その分、ひとりひとりから質問や感想をじっくり聞くことができて、とても充実した時間になりました。
展覧会は11月18日まで続きます。スマの豊穣な絵画世界を、この機会にぜひ、体験してください。
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2017/10/20

『毎日新聞』コラム「憂楽帖」に丸木スマ紹介  掲載雑誌・新聞

『毎日新聞』夕刊のコラム「憂楽帖」に、小国綾子記者が“丸木スマと「原爆の図」”と題してコラムを書いて下さいました。

https://mainichi.jp/articles/20171020/dde/041/070/067000c

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 私が丸木美術館(埼玉県東松山市)で見たのは19歳の時。炎の赤と黒で大勢の死を描いた「原爆の図」と、生命力に満ちた生き物をカラフルに描いたスマさんの絵。二つは正反対に見えた。「色が張り合うていいじゃろう」と黄色いヒマワリに群青色の葉を描くような、スマさんの誰も「脇役」にしない絵の方に、若い私は励まされた。

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記事にあるように、まだ学生のころから丸木スマの絵のファンだったという小国記者。以前にご著書を拝見していたこともあり、取材の際には話が弾みました。

丸木美術館で、「原爆の図」とともに観るスマの絵の重要さを受け止めてくださったようです。
短いコラムの中に、思いを込めて下さいました。
どうもありがとうございました。
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2017/10/20

立川市柴崎学習館連続講座第2回「1950年代の原爆の図全国巡回展」  講演・発表

立川市柴崎学習館の連続講座第2回「1950年代の原爆の図全国巡回展」。
前回取り上げた1952年8月の立川原爆の図展から、1950年代の占領下/朝鮮戦争下の全国巡回展の全体像へと視界を広げる内容でした。
「原爆の図」がふたつあったという話や、北海道巡回展(第2次)調査の逸話など、この間、私が取り組んできた研究の報告でもあります。

この講座は、平日の午後2時からという時間帯のせいもあって、聞き手はシニア世代が中心なのですが、私が知らない立川の情報などを提供してくださるので、双方向的な講座になっているのがありがたいです。

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講座を終えた帰りに、近くの諏訪神社に寄ってみました。
実は前回も母校を覗いてから帰ったのですが、立川高校には「ブランク」という用語があって、定期的に授業のコマが空いてしまう時間を「定ブラ」、自主的にブランクを過ごすことを「自ブラ」と呼んでいました。鬱蒼とした森の中の神社の記憶は、ぼくにとって「ブランク」という言葉とセットでよみがえます。

野球部の部室は上級生しか使えなかったから、下級生の頃は、読書に集中できる居場所を求めて、諏訪神社へ通っていました。村上春樹の文庫本の記憶までよみがえってきたのは、境内で読みふけっていた(そして、その後はあまり読んでいない)せいでしょう。

立川の街はここ20年くらい歩いてなかったので、少し歩くだけで冷凍保存されていた記憶が溶解します。洪水のように記憶に飲み込まれて、心が高校生に戻っていくのが不思議です。
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2017/10/19

ベルナール・ビュフェ美術館  他館企画など

10月は団体の季節。昨日は午前中に2件の館内説明を終えて新幹線に飛び乗り、三島駅からベルナール・ビュフェ美術館へ。
以前から気になっていましたが、初めて伺うことができました。

特定の画家の作品のために作られた空間で、継続的に作家研究を続けていること。近年は企画展で他作家の展示も行い、美術館の幅を広げていること。子どもたちが訪れるような工夫も多く、鑑賞教育に力を入れていること。それからアクセスの問題も含めて、丸木美術館との類似点は案外多く(もちろん、美術館の予算規模はまったく違いますが)、とても興味深く拝見しました。

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ビュフェというと薄塗りの引っ掻くような筆致の油彩画のイメージが強いですが、後期に厚塗りの表現を試みていたことや、サブカルチャー好きであったことなど、学芸員の方々にいろいろ教えて頂きました。
企画展の「森―いのちのかたち」展も、小さな子どもが楽しめるように工夫が凝らされ、とても見応えがありました。

実は来春、ビュフェ美術館にお世話になる企画が進行中なので、今回は打ち合わせを兼ねての訪問でした。展示を夢中になって見ていたら閉館時間になってしまい、結局、ほとんど打ち合わせができず・・・同じクレマチスの丘の中にある、IZU PHOTO MUSEUMの「澤田教一展」やヴァンジ彫刻庭園美術館の「生命の樹」展も見られなかったのが本当に残念でした。
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2017/10/12

丸木美術館、第29回谷本清平和賞受賞!  その他

本日午後、ヒロシマ・ピース・センターが、平和活動に貢献した個人や団体に贈る「第29回谷本清平和賞」に、丸木美術館を選出したと発表されました。

記者発表の様子は、NHK広島局のニュースで放送されたようです。
http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20171012/4702321.html

受賞理由は、次のような内容です。

 これまで絵画や展示施設の保守保全に大変ご苦労されながら、企画展・館外巡回展や平和教育などの事業活動を行いつつ、若き芸術家の育成にも注力され、半世紀にわたりヒロシマを原点とする世界に類を見ない美術館活動を続けています。また、毎年8月6日には、当地でひろしま忌として、広島の惨禍へ思いをはせ平和を欣求する集いを開催しています。近年では被爆70年となる2015年夏に、20年ぶりに米国ワシントン・ボストン・ニューヨークにおいて原爆の図の展覧会を開催し、「原爆とは何か」を米国民の視覚と心に訴えました。

10年前に「存続の危機」を迎えていたことを思いかえすと、開館50周年という節目の年に、このように活動を評価していただけたことは、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。

11月には広島で受賞式があるので、お世話になった方々と再会しながら、喜びを分かち合いたいと思っています。
丸木美術館を支えて下さった皆さま、本当にありがとうございます。
時代はますます不透明な、厳しい状況が続いていきますが、50年後、100年後に「原爆の図」を手渡していけるように、これからも丸木美術館の活動に取り組んでいきたいと思っています。
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2017/10/8

富丘太美子展作家トーク  特別企画

午後から、富丘太美子展「鋳物工場」の作家トーク。聞き手はNHKラジオ深夜便ディレクターの齊藤佳奈さん。

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遠くは福岡からも来てくださった方がいて、ラジオ深夜便の影響力の大きさを思い知りました。会場いっぱいの来場者の中、とても和やかで楽しい雰囲気の会になりました。これも出演者ふたりの人柄のおかげでしょう。

トークでは、鋳物師たちの仕事に対する富丘さんの尊敬のまなざしが伝わってきて、絵は作者の身体と精神を通過して現れてくる表現なのだと、強く感じました。
最後に、「これからも自分のために描き続けたい」とおっしゃった富丘さんの言葉、心に残りました。気負わず、背負わず、いつまでも楽しく描き続けていただきたいと思います。
展覧会は11月18日まで。
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2017/10/7

美術館ニュース第131号発送  美術館ニュース

丸木美術館ニュース第131号の発送作業。
今回も、とても大勢のボランティアが集まって下さり、無事に作業は終了しました。
皆さま、いつも本当にありがとうございます。

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表紙は、今年春に「発見」された丸木スマの《ピカドン》。

ニュースの内容は以下の通りです。

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丸木美術館ニュース第131号 (発行部数2,200部)

丸木美術館 開館50周年の集い …… p.2
原爆の図保存基金 応援メッセージ …… p.3
丸木美術館ひろしま忌 堀場清子さん講演抄録「わたしの原爆体験&「原爆の図」とのつながり」 …… p.4
境界線がひらくとき 「ジミー・ツトム・ミリキタニ展」を観て (金子 牧) …… p.5
一宮市三岸節子記念美術館「丸木スマ展」報告 スマおばあちゃんのこと (永井 明生) …… p.6
金子兜太さんが来館/高畑勲さんが来館 (岡村 幸宣)/リレーエッセイ第61回 (白崎 映美) …… p.7
丸木位里・丸木俊の時代〈第27回〉 歴程美術協会脱退/第一回位里個展と芳名録 (岡村 幸宣) …… p.8
東京で初公開された70年前の《牛乳を飲む女》 (藤川 泰志) /市内循環バスの路線が変わります …… p.10
丸木美術館情報ページ/美術館の書棚から (小寺美和) …… p.11
写真で見る 丸木美術館の日常風景 (山口 和彦) …… p.12

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ご執筆下さった皆さま、どうもありがとうございました。
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2017/10/6

ICANノーベル平和賞受賞記念・川崎哲講演会「核兵器禁止条約で変わる世界」  イベント

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞のニュースに驚き、そして、とても嬉しく思いました。

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12月16日(土)午後2時から、丸木美術館で川崎哲さん(ICAN国際運営委員・ピースボート共同代表)の講演会「核兵器禁止条約で変わる世界〜日本はどうする〜」を開催いたします。

参加費1000円(入館料別途)。
お忙しくされている川崎さんが、無事に講演会に来てくださるのか、少し心配になってきましたが、どんなお話が聞けるか、楽しみです。
大勢の方の御来館を、心よりお待ちしています。
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2017/10/4

「丸木美術館開館50周年の集い」のお知らせ  イベント

10月28日(土)、浦和の埼玉会館で丸木美術館開館50周年の集いを開催します。

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丸木美術館 開館50周年の集い

対談「戦争と表現をめぐって」高畑勲(アニメーション映画監督)×アーサー・ビナード(詩人)
平和を歌う!コンサート 岡原真弓(こんにゃく座歌役者)・太田まり(こんにゃく座歌役者)・湯田亜希(ピアノスト)
スペシャルトーク おしどり マコ&ケン(漫才師・記者)


日時:2017年10月28日(土)午後6時開場 午後6時半開演
場所:埼玉会館小ホール(JR浦和駅西口徒歩6分)
前売:一般2500円 18歳未満1500円(10/17まで)
当日:一般3000円 18歳未満2000円
予約受付中 郵便振替口座00150-3-84303 原爆の図丸木美術館

埼玉新聞や朝日新聞埼玉版にも、イベント情報が掲載されました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督ら対談 「原爆の図 丸木美術館」開館50周年、28日にさいたまで記念の集い
 ―2017年10月4日『埼玉新聞』
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/10/04/10_.html

丸木美術館の外へ出て、《原爆の図》を考えよう、そして知ってもらおうという試みです。
どうぞ皆さま、お誘いあわせの上、ご来場ください。
お待ちしています!!
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2017/10/1

キャラバン・ラ・バルラッカ公演「沖縄・日本・アメリカ」  イベント

このところ、毎秋恒例のイベントとなりつつあるキャラバン・ラ・バルラッカの公演。
今年は「沖縄・日本・アメリカ」がテーマでした。

いつもの通り、バラエティに富んだ出演者たちのパフォーマンスは見応えがあります。

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実力派、ギター弾き語りの斉藤ひろさんの重厚な歌声。

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劇団もっきりやの杉浦久幸さんと門岡瞳さんは、山之口獏や小熊秀雄の詩を中心に力強い朗読。丸木夫妻の作品と響き合います。

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今回、初登場のジャン・ユンカーマン監督は、映画『日本国憲法』の一部を上映しながら、沖縄が強いられている矛盾について語りました。

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そして、ゲルブ・アル・リシャット・アンサンブル(砂漠の音楽隊)。ヴォーカルの祥子さんのよく伸びる歌声を聴くのは、いつも楽しみです。

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二瓶さんのギター、田中さんのジャンベと歌声が溶け合い、哀しく切ない気持ちになります。

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そして最後は、ナチュラルライフを提唱する米国の作家でミュージシャンでもあるアリシア・ベイ=ローレルの弾き語り。

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♪昨日の夜 奇妙な夢を見た
 世界が戦争を止める夢
 大きな部屋で大勢が
 2度と戦わないとサインした
 何億のサインがコピーされ
 手をつなぎ頭をさげ祈り捧げた
 通りの人々は踊り出し
 銃と剣と軍服は捨てられた

とてもなめらかな日本語の歌声が、心に沁み込みました。

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アリシアさんは、最後に、この美術館に来て絵を観れば、人は誰も、それまでと同じ人ではいられなくなる、と感想を語って下さいました。

素晴らしい企画を作って下さった二瓶さんに感謝。
来年もまた、企画をしてくださる予定とのことですので、ぜひ、多くの方においでいただきたいですね。どうもありがとうございました。
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2017/9/23

西岡洋さんトーク「わたしの原爆体験と原爆の図展」  イベント

長崎で被爆を体験された西岡洋さんをお迎えして、「わたしの被爆体験と原爆の図展」と題するトークを行いました。

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西岡さんは1945年、長崎中学の2年生で原爆を体験されました。
以下は、その日に西岡さんが話された被爆体験の要約です。

8月9日は爆心地から約3kmの中学校の教室にいて、急に飛行機の上昇音が聞こえたために窓に駆け寄ろうとした途端、桃色か橙色の光の海に埋まったような感覚がしたそうです。
とっさに爆弾が落ちたと思い、目と耳を押さえて口を開け、床に伏せましたが、何の音もしないまま数秒が経過。級友に臆病者と笑われるのではないかと覚悟して起き上がった瞬間に、爆風で棚や窓硝子が吹っ飛んできました。級友たちが覆いかぶさってきたため、西岡さんは無傷でしたが、級友たちは血だらけになりました。
腰に下げた手ぬぐいで傷を手当てし、扉のなくなった教室から逃げ出して、外へ出ましたが、興奮のせいか熱はあまり感じなかったそうです。
不思議に感じたのは、出会う人たちが皆、自分の近くに爆弾が落ちたと語っていたこと。
遠くを見ると、爆心地には大きな火柱が上がっていました。原子爆弾を知らない当時の少年にとって、わからないことだらけの状況でした。

血だらけの赤ちゃんを抱いて歩いてくる母親、顔が半分なくなっているような人、火傷した腕をだらんと垂らして歩いてくる人、川のように傷ついた人たちが道を歩く中、山の手の方へ遠回りをして家に帰ったそうです。空はキノコ雲に覆われて薄暗く、太陽を指して「爆弾だ、逃げろ!」と半狂乱になって叫ぶ人もいたとか。
そんな状況でも西岡さんは、翌日、学校に登校しました。当時、大きな名誉であった無欠席を通したかったのだそうです。「学校が出席をとらなかったことが、何より残念だった」という少年の思いと現実とのギャップに、妙なリアリティを感じました。

先生や生徒を助けるためにスコップを持って爆心地へ行くよう指令を受けましたが、実際に行ってみると、救助なんてできるわけがないほどの壊滅的な状況。それでも報道管制で情報がなかったから、みんな口をつぐんでいたそうです。
新聞に「長崎に新型爆弾投下、損害軽微」と載ったことにも驚いたそうです。これが「軽微」なら、これまで新聞に載っていた各地の空襲の被害も、たいへんなものだったのではないかと、ようやく気がついたとのこと。
たいへんな数の死傷者を見続けていると感覚は鈍るが、ただひとつ、三菱球場の金網のバックネットがくしゃくしゃにゆがんで縮まっているのを見て、「これで戦争に勝つのか」と絶望的な気分になった、とおっしゃっていました。

そして、水を求める人びとの手を払いのけて歩き続けたことは、今も忘れられず、後悔とともに思い出すそうです。
春になると、「草木も生えない」と言われた長崎に、緑が芽吹いてきて嬉しかった。無傷や軽傷の人がどんどん死んでいくのが怖かった。自分は歯ぐきから出血はあったが、原爆症かどうかはよくわからなかった。体に斑点ができる人、髪の毛が抜ける人、いくつか生死の分岐点があり、回復に向かう人もいれば、そのまま死んでいく人もいた……。

それでも西岡さんは生き残り、東京都立大学へと進学します。
そこで「原爆の図展」と出会って、首都圏を中心に展覧会に帯同しながら、みずからの被爆体験を語っていくことになるのです。

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西岡さんの「原爆の図展」についての回想は、2010年10月26日に聞き取りをしているので、そのときの日誌をご覧ください。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1494.html

被爆から10年もたたないうちに体験を語ることには、勇気がいったのではないか、ためらいはなかったのでしょうか、とお聞きしたところ、それはなかった、と力強く応えた西岡さん。
後にアメリカで被爆体験を語られるなどの精力的な活動をされた源には、その気丈さがあったのでしょう。
幸い、家族に深刻な被害がなかったことも、体験を語りやすかった理由ではないか、というのは、会場にご一緒してくださった西岡さんのお連れ合いからの補足でした。

貴重なお話を聞かせて下さって、どうもありがとうございます。
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2017/9/22

立川市柴崎学習館連続講座第1回「原爆の図立川展と立川平和懇談会」  講演・発表

今月からはじまった立川市柴崎学習館の連続講座「原爆の図 丸木位里と俊」。
第1回の今日は、「原爆の図立川展と立川平和懇談会」。
これまで、1950年代の全国巡回展についての発表は何度もしているけれども、今回は初めて、その中のひとつの展覧会に焦点を絞って話す、という試みをしてみました。
もっとも、立川は学生時代に通い慣れた地元であり、展覧会についての資料も比較的見つかっているので、2時間の講座くらいは十分に話せる、という目算は立っていました。

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展覧会の中心人物である岸清次氏の回想録『小さなロウソクのように』(けやき出版、1984年)や、展覧会の記録として作られ、西東京市ひばりが丘図書館の「原爆小文庫」に所蔵されている『平和のために 原爆展感想文より』(立川平和懇談会、1952年)を読み、1953年公開の映画『原爆の図』(今井正、青山通春監督、新星映画社)に映っている展覧会の光景を紹介し、最後は展覧会の収益で製作したという神戸映画資料館蔵の幻灯『基地立川』(立川平和懇談会、日本幻灯文化株式会社、1953年)のデジタル画像上演も行いました。

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立川会場ということもあるのですが、当時の「原爆の図」展が、原爆の惨禍を伝えるだけでなく、朝鮮戦争や米軍基地問題を視野に入れていた雰囲気が、よく伝わったのではないかと思います。
また、会場の「南口公会堂」が、現在の柴中会公会堂の前身だと判明したことや、展覧会ポスターを手がけたという画家・佐藤多持の紹介もしました。
佐藤多持の屛風画《水芭蕉曼荼羅 白76》は立川市の所蔵で、女性総合センターアイムの5階に常設されています。

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こんなモダンな日本画を描く画家が、どんなポスターを作ったのか興味深いところですが、残念ながらポスターは見つかっていません。

今回の講座には、当時の展覧会を実際にご覧になった女性が来場され、「とにかくこわかった」という展覧会の印象や、「その後の砂川闘争は、地元農家は土地をめぐる問題だったが、都市部の住民にとっては原水爆基地を作らせないという問題意識が強くあったので、原爆の図展はその原点だと思う」という貴重な証言を聞かせてくださいました。
また、立川市史編纂委員会の副委員長も講座を聞いてくださり、「私たちもまったく知らない歴史を、よくここまで掘り起こしたものだと驚いた」と、思わぬ言葉をいただきました。

次回は10月20日、「1950年代の原爆の図全国巡回」というテーマでお話しします。
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