2018/5/5

丸木美術館51周年開館記念日 寺尾紗穂ライブ(ゲスト原田郁子)  イベント

快晴に恵まれた丸木美術館51周年開館記念日。
今年も大勢の方が東松山まで足を運んでくださいました。
ボランティアの皆さんといっしょに準備した旗や鯉のぼりが、風に吹かれてはためきます。

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美術館の庭では、地元の新鮮な食材などを使った出店がならび、賑わっていました。

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八怪堂では、画家の万年山えつ子さんが、どんぐりを使って小さなマラカスを作るワークショップ。大人も子どもも楽しそうに参加していました。

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午後1時からは、新館ホールで開館記念日の集い。司会は俳優・語り手の岡崎弥保さん。
小寺理事長の挨拶、岡村の「原爆の図保存基金」中間報告のあと、今年2月に亡くなられた石牟礼道子さんが丸木美術館について記された文章「妣たちの国のこと」を朗読してくださいました。

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今年の催しは、シンガーソングライターの寺尾紗穂さんのライブです。
熱心な若いファンが、開場前から列をつくって待機していました。
前半は単独ライブで、伸びやかな歌声と美しいピアノの音色が美術館じゅうに響いていきました。時おり、その歌声に、窓の外から聞こえてくる鳥の声が溶け合っていました。
寺尾さんと森の鳥たちの共演です。

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音に誘われて、ライブを知らずに美術館に来ていた人たちも、続々と入場してきました。
気がつけば、150席ほど用意した会場は満席となっていました。

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休憩をはさんで後半。クラムボンのボーカリストとして若者の人気を集める原田郁子さんがゲストで登場です。
おふたりの対談では、それぞれの丸木夫妻作品との出会いや思いを語ってくださいました。

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続いて、寺尾さんによる絵本『ひろしまのピカ』朗読。
原田さんのピアノ演奏とのコラボレーションは絶妙でした。
感情をやや抑え気味にして、たんたんと読み続ける寺尾さんの声に、観客は次第にひきこまれていきます。
その声が、ふっと途絶えたのは、主人公のみいちゃんが原爆を生き延び、死者を悼む灯ろうに「おとうさん」と書く場面でした。
涙をこらえきれない寺尾さんを、原田さんのピアノの音がやさしく支えていました。

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寺尾さんは、今回、「原爆の図保存基金」にも応援のメッセージを送って下さいました。

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 忘れられている歌ですが、丸木美術館のある東松山には美しい蛍の歌があります。東松山に限らず日本中あちこちで美しい歌が忘れられています。価値あるものをいかに残していくのかということが、その時代の人間に問われているのだと思います。戦渦を伝える報道にも不感症が広まっていると聞きますが、感じることを切実に求められる時間、戦争を知らない人々が「原爆の図」と対峙する時間が、未来にも残っていってほしいと思います。

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その知られざる東松山の蛍の歌を、寺尾さんが歌って下さいました。
原田さんは、丸木俊の愛用した和太鼓を歌にあわせてたたき、会場の皆さんをリードしながら「ほ、ほ、ほたる来い」と声をそろえて歌います。

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ふたりの共演「青い闇をまっさかさまに落ちていく流れ星を知っている」は圧巻でした。
天窓から差しこむ自然光が舞台をやわらかく照らし、歌声がどこまでも、ずっと空高くのぼっていくようでした。

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ピアノの譜面台の上には、原田さんが本橋成一写真集『ふたりの画家』を置いていました。
今日はふたりもここにいらっしゃいます、とはじめに言って、丸木夫妻の写真を表側にして、ずっとピアノを弾いて下さっていました。

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丸木美術館に初めて来たという若い世代の方たちから、寺尾さん、原田さんを初めて知るシニア世代まで、幅広い層の方々がライブを楽しんでいた様子が伝わってきて、それが何よりも、嬉しかったです。

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最後の写真は、公演後、控室の小高文庫でくつろぐ原田さんと寺尾さん。
本当にありがとうございました。
そして、Kさんはじめ素晴らしい音響チームと、この企画を提案してくださった富山のY子さんにも、心から御礼を申し上げます。
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2018/5/3

「原爆の図保存基金」中間報告  その他

「原爆の図保存基金」の立ち上げから1年が経過しました。4月17日現在で2,776件、6,738万7,342円の寄付が集まっています。
丸木美術館50年の歴史で、2017年度の寄付金額は史上最高額を記録しました。ご協力下さった皆様、本当にありがとうございます。

基金は、地元ボランティアのHさん、Nさんらが集計・分析を進めて下さっています。
それによると、この1年の間に、100万円の寄付を下さった方が11名、70万円が1名、50万円が10名いらっしゃいました。
もっとも多いのが1万円台の寄付で、1210件(全体の約44%を占めています)でした。

都道府県別では、東京都、埼玉県、神奈川県と首都圏が件数・金額ともに上位3位までを占めますが、北海道(件数4位)、広島県(金額4位)の関心の高さが目立ちます。
さすがに丸木夫妻の出身地ですね。

【都道府県別・件数】
@ 東京都 722件
A 埼玉県 419件
B 神奈川県 306件
C 北海道 149件
D 大阪府 118件
E 千葉県 144件
F 広島県 77件
G 兵庫県 76件
H 愛知県 60件
I 福岡県 42件

【都道府県別・金額】
@ 東京都 1,498万9,997円
A 埼玉県 1,056万5,501円
B 神奈川県 845万8,079円
C 広島県 228万9,069円
D 千葉県 209万5,000円
E 北海道 198万1,262円
F 大阪府 132万5,000円
G 福島県 111万7,000円
H 鹿児島県 102万4,000円
I 群馬県 97万4,516円
(2018年4月17日現在、いずれも無記名・公表不可を除く)

今年の秋には、広島市内でも出張イベントを予定しているので、さらに多くの方に関心を持っていただきたいところです。
目標金額5億円はまだ遠いですが、今後も引き続き呼びかけていきますので、どうぞ皆さま、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
(5月5日開館記念日でも、保存基金の中間報告を行います)
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2018/5/2

毎日新聞WEB版に「丸木俊 本のたのしみ」展紹介  館外展・関連企画

人間と自然、豊かに深く 丸木俊「本のたのしみ」125冊展示
 ―2018年5月2日『毎日新聞』WEB版

https://mainichi.jp/articles/20180502/mog/00m/040/008000c

東京・東中野のポレポレ坐で開催中の「丸木俊 本のたのしみ」展が、『毎日新聞』WEB版で紹介されました。
取材は岡本同世記者。「懐かしくてモダン、美しくて深い――」という書き出しが良いですね。
以下、記事からの一部抜粋です。

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企画を担当したポレポレタイムス社の小原佐和子さんは「子供だけでなく、あらゆる世代に向けた作品が多い。絵本を通して、丸木夫妻を知らない若い人が興味を持つきっかけになれば」と期待する。「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県東松山市)の岡村幸宣学芸員は「日本の絵本界をけん引してきた丸木俊の仕事を一堂に展示する、これまでありそうでなかった企画。今の絵本はキャラクターが強く前面に出るが、俊さんの表現は、もっと奥深い世界を見せてくれる」と話す。

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写真は、ポレポレ坐で撮影した会場風景。

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絵本原画は現存している作品が限られているので、「原画展」ではなく「絵本展」の方が全仕事を紹介できるのですね。

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1956年以後に発行された書籍は手に取って読めるようになっているので、ぜひ、内容もお楽しみください。

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展覧会は、5月7日まで。
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2018/4/28

風間サチコ展「ディスリンピア2680」開幕  企画展

風間サチコ展「ディスリンピア2680」展が開幕しました。
新作《ディスリンピック2680》は、縦2.4m×横6.4mの巨大な木版画。風間さんは作品搬入後も展示室で最後の彫りの作業を続けましたが、それでも間に合わず、結局、昨夜は徹夜となりました。

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展覧会初日の朝を迎えても彫り続け、ついに開館時間を過ぎてしまったので、午前中はなかば「公開制作」状態。それでも無事に刷り、展示の作業が進み、午後2時15分のトーク開始時刻の30分前に、ようやく展示が完了しました。

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オープニングトークは、岡村が聞き手をつとめ、展覧会を企画した経緯を説明し、風間さんが作品に込めた意図をお聞きしました。
会場には若い世代の姿も多く見られ、約50人の参加者でほぼ満席となりました。

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架空の都市ディスリンピアで近く行われる優生思想の祭典ディスリンピックの開幕式。
トークでは、大画面のあちこちに配置された歴史的背景とユーモアのある小ネタを、風間さんが楽しそうに解説してくれました。

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会場には解説を置いていないので、風間さんの語りは、作品意図を知る上でとても重要です。
そのためトークで語られた内容を、事前の資料をもとに、以下に簡単にまとめておきます。

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画面中央上空には、卵が割れて、「日出づる処」の完璧な母体としての太陽が出現しています。その「卵子」を目指して、「祝砲」から完璧な男性(国民の弟)が発射され、一直線に「卵子」に向かって飛んでいきます。

スタジアムはナチスの建築家アルベルト・シュペーアの「廃墟の価値」にのっとり、廃墟であり建設中であるような曖昧な姿をしています。具体的には2013年に閉館した「なにわの海の時空館」を参考にしているそうです。

スタジアム中央には、ダンテの『神曲』からの引用である「煉獄山」、トレーニングセンターで錬成する少女達のモニュメントがそびえ、未来の母親である少女達に「健康たれ」というプロパガンダを伝えています。

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画面左側は建設中の新国立競技場を背景に、選び抜かれた「甲種」青年による労働奉仕団が入場行進をしています。
この行進を描くため、風間さんはレニ・リーフェンシュタールによるナチスの記録映画『意志の勝利』を何度も見て参考にしたそうです。

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スタジアムの上空には、華やかな祝祭の恒例として平和のシンボルである白い鳩の群れが舞い、灰色の土鳩は、弓兵によって射落とされています。

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画面中央では、体操着の「乙種」少女がマスゲームを演じ、全体主義の美を体現し従順を誓っています。
浮かび上がる人文字は漢数字の「二六八〇」。ちなみに(皇紀)2680年は西暦の2020年に当たります。

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画面右側は、スタジアムの建設材料であるセメント鉱山を背景に、選別され排除される「丙・丁・戊」の未来を絶たれた魂たちが、基礎工事の生コンクリート打設とともに、人柱として埋められていきます。
右端に見える嘆きの表情をした古代の石像は、人工的に欠損した女性像、石女(うまずめ)です。

この作品で演じられている華やかな祝祭は、理想世界の生命の賛歌であり、同時に間接的殺人の地獄であるというわけです。

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今回の展覧会には、《ディスリンピック2680》のほかに、《人間富嶽》と《決闘!硫黄島(近代五種麿参上)》の2作品も展示しています。
こちらは、昨年、府中市美術館で公開制作され、横浜トリエンナーレにも出品されていますが、《ディスリンピック2680》の前哨戦とも言えるシリーズで、その連続性をあらためて見ることができます。

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《人間富嶽》についての風間さんの解説文

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“富士は日本一の山”という歌詞で昔から学童が学んだように、富士山は日本人の誇りであり「一番」の象徴です。その裾野には演習場が広がり、戦前の帝国陸軍時代から現在の陸上自衛隊に至るまで厳しい戦闘のトレーニングが行われています。このアルミ箔の襖絵には、日本一の象徴「富士山」の裾野でトレーニングを積む陸軍と陸自の戦車と、人間ピラミッドという名の組み体操に励む学生の姿を描いています。人間ピラミッドは、リスキーで危険な体操ですが、「子供に達成感と成功体験を与える」体育として近年まで小中学校で盛んに取り入れられていたのです。このような軍国教育まがいの精神論が、いまだに幻の重爆撃機「富嶽」の機影のように日本の上空を飛翔しているようです。与えられた課題の達成は、本物の金メダルではなくアルミ箔製のフェイクの銀メダル程度の価値で、人間ピラミッドのように危険で崩れやすい…それをアルミの安い輝きで表現しました。

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《決闘!硫黄島(近代五種麿参上)》についての風間さんの解説文

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この作品の主人公、近代五種麿男爵はオリンピック競技の近代五種で競われる全ての種目(水泳、マラソン、フェンシング、射撃、乗馬) のモチーフを象った甲冑姿をしたヒーローです。そして、その甲冑の中に宿る精神は、金メダリスト西竹一男爵の霊魂です。彼は1932年ロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得する栄誉を受けたのち、1945年戦車連隊隊長として硫黄島で戦死しました。戦争の機械化(近代化)が、馬から戦車に移行し発展した歴史を象徴するかのような西竹一の魂が、現在も硫黄島で果たし合いの相手を待っている…そんなファンタジーを描いた作品です。

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この《ディスリンピック2680》をはじめとする主要作品を網羅した風間さんの初めての作品集(朝日出版社、予価3000円+税)が7月下旬に刊行される予定とのことで、会期中は丸木美術館で予約注文を受け付けています。
今日もさっそく、トークの会場で申し込みをされる方がいらっしゃいました。

展覧会の会期は7月8日まで。ぜひ皆さま、この世紀の祭典を、実際に「生で」ご覧になって下さい。
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2018/4/11

5月5日丸木美術館開館記念日のお知らせ  イベント

5月5日開館記念日のお知らせです。
今年はミュージシャンの寺尾紗穂さんと原田郁子さんが出演します。

寺尾さんは『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』などの著作があり、昨年末から今年はじめにかけて朝日新聞紙上で、福島県立博物館の赤坂憲雄館長と往復書簡をされました。原田さんは沖縄戦を描いた舞台「cocoon」の音楽制作を担当されています。どうぞご期待下さい。

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【当日のスケジュール】
〇12:00〜 丸木美術館クラブ・工作教室
 あっと驚くものを使って、楽しい工作をするよ
 案内人:万年山えつ子

〇13:00〜13:30 開館記念日の集い
 司会・朗読:岡崎弥保(俳優・語り手)

〇13:30〜16:00 寺尾紗穂ライブ(ゲスト・原田郁子)
 音楽活動と並行して、戦争体験者や原発労働者など、聞き書きによる執筆も続けるシンガーソングライター、寺尾紗穂が弾き語りライブを行う。今回は、新進の演出家、劇団マームとジプシーの藤田貴大が沖縄戦を描いた舞台「cocoon」の音楽制作を担当した原田郁子をゲストに迎えて、丸木美術館のピアノを鳴らす。戦前の南洋パラオを調べる中で丸木俊に出会った寺尾と、幼少期に丸木夫妻の絵本に触れていた原田によるトークも予定している。

〇16:30〜17:30 交流パーティ
 どなたでも参加いただける交流パーティです(参加費500円)

※13時〜16時のイベントは参加費1000円となります(入館料別途、高校生以下入館無料)。
www.aya.or.jp/~marukimsn/top/0505.html

【当日の交通案内】
〇美術館送迎車
 東武東上線森林公園駅南口発→丸木美術館 11:00 12:00 13:00
 丸木美術館発→東武東上線森林公園駅 10:45 11:45 12:45 16:00 パーティ終了後
 ※乗車定員を超える場合、しばらくお待ちいただきます。

〇その他の交通
 つきのわ駅南口より徒歩30分(駅窓口で地図がもらえます)
 森林公園駅南口よりタクシー(約10分)

〇お車でのご来館は
 関越自動車道・東松山インターより小川方面へ約10分

【出演者プロフィール】
寺尾 紗穂(てらお・さほ)
 1981年11月7 日東京生まれ。 2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題にな り,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品 「転校生 さよな らあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミ リ」などに主題歌を提供。2015年アルバム「楕円の夢」を発表し、路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行った。また、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催、のべ1600人の来場者にビッグイシューを配布した。アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたに独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出される。
 活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品、森永など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、連載も多い。著書に『評伝 川島芳子』(文春新書)、『原発労働者』(講談社現代新書)、『南洋と私』 (リトルモア)、最新刊に『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』(集英社)がある。  昨年6月に最新アルバム「たよりないもののために」を発表。8月に伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチ「耳をすまして」もリリース、 坂口恭平バンドへの参加など活動の幅を広げている。

原田 郁子(はらだ・いくこ)
 福岡生まれ。1995年にスリーピースバンド『クラムボン』を結成。歌と鍵盤を担当。バンド活動と並行して、さまざまなミュージシャンと共演、共作、ソロ活動も精力的に行っており、2004年に「ピアノ」、2008年に「気配と余韻」「ケモノと魔法」「銀河」の4枚のソロアルバムを発表。2010年、吉祥寺のイベントスペース&カフェ『キチム』の立ち上げに携わる。2013年&2015年、劇団『マームとジプシー』の公演「cocoon」の音楽を担当。
 クラムボンとしては、2015年、結成20周年を機にメジャーレーベルから独立、自身のレーベル「トロピカル」よりミニアルバム「モメントe.p.」を発表し、流通を通さずライブ会場限定CDにサインをして一人一人に手渡ししていくという”直売ツアー”を行う。更に活動に賛同してくれる店舗への販売を募集し、ジャンルを問 わず200店舗以上で取り扱いを行うという新しい広がりを見せている。2017年、クラウドファンディングにて「映画監督・岩井俊二氏による日比谷野外音楽堂ライブの映像化」を呼びかけ、200%の達成率で実現した。2017年6月、「モメントe.p2」を発表、ツアーを開催。2018年6月より、「モメントe.p.3」の発表、3度めの直売「モメントツアー」を予定している。引き続き、販売店も募集中。
http://www.clammbon.com/
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2018/4/7

ポレポレ坐「丸木俊 本のたのしみ」展などのお知らせ  館外展・関連企画

4月24日から5月7日までは、東中野のSpace&Cafeポレポレ坐で「丸木俊 本のたのしみ」展。

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絵本原画ではなく、丸木俊が手がけた100冊を超える刊行物を一挙展示するという内容。ポレポレの若者たちが楽しそうに企画しています。

4月26日(木)にはトーク「丸木俊の絵本を語る」も開催します。
出演は丸木ひさ子さん(絵本作家)と本橋成一さん(写真家・映画監督)と岡村です。
午後7時より開始、1500円ワンドリンク付き。

また、ポレポレ東中野では、4月21日から27日まで特集上映「32年目のチェルノブイリ」として、本橋監督のチェルノブイリ作品のほか、丸木夫妻関連映画を上映します。
4月21日(土)午後5時からは『ビデオ絵本 ひろしまのピカ』(25分)と『HELLFIRE:劫火―ヒロシマからの旅―』(58分)の上映後に、本橋さんと岡村がトークイベントを行います。

というわけで、1週間に2回もポレポレでトークすることになってしまいましたが、どうぞお近くの方はお運びください。よろしくお願いいたします。
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2018/4/3

朝日新聞「美の履歴書」に丸木スマ《柿もぎ》紹介  掲載雑誌・新聞

美の履歴書:544 丸木スマ 顔が実よりも小さいわけ
 ―2018年4月3日『朝日新聞』夕刊文化欄

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https://www.asahi.com/articles/DA3S13435006.html

以下、記事より一部抜粋です。

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 画題の多くは、村の暮らしや草花、鳥、猫、魚などの生きもの。「人間がいれば人間が中心に描かれがちだが、そうではない。『柿もぎ』は身のまわりの自然を平等にいとおしんだスマさんの価値観が表れている」と原爆の図丸木美術館の岡村幸宣学芸員は話す。
 俊はスマと仲がよく、スマが81歳で他界した後、「女絵描きの名を継ぐ」と旧姓ではなく丸木姓を名乗るようになった。
 「柿もぎ」は、なぜ柿の実より人間の顔が小さいのか。質問されたスマは「柿を描きよりましたら、人を描く場所がのうなりましての、それで、小さく描きました」と答えた。俊はユーモア交じりにそう書き残している。


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《柿もぎ》などの丸木スマ作品は、5月末まで特集展示しています。
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2018/3/27

横湯久美展「時間 家の中で 家の外で」  企画展

現在開催中の企画展「横湯久美展 時間 家の中で 家の外で」
じわじわと評判が広がっている質の高い展覧会です。

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第2次世界大戦時に戦争に反対した夫婦。
夫は何度か逮捕・拷問されたのち、獄中で結核におかされ仮釈放時に死亡。
妻は治安維持法の弾圧化を未亡人として生き抜きました。

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作家が幼い頃「絶対に外に言ってはいけないよ」と言われて育ってきたという、ひそやかなファミリーヒストリーと世界の戦争の歴史の交錯するところから、静かな物語がはじまります。

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「あんたの思うように、確かに私には今の美術のことはわからない。でもね、美術をやる人、芸術家の役割は知っているつもりだよ。私にも、芸術家の人たちと似たところが少しはあるからね。
芸術家はワガママであることを最も大切にしている仕事なんだよ。
どんな時でも、自分自身に正直でいないと、呼吸ができなくて死んでしまうくらいの人たちだよ。
誰よりも、自由に敏感なんだ。
だから、国が戦争を始めようとした時、他のどんな人たちよりも先に、この人たちは戦争の気配に気付いて、皆にもわかるように大騒ぎをすることができる。
そのために自分のやり方で生き、見て考えて、声をあげ、表現する練習をし、いつも準備しておくんだ。
現実は厳しく、自分のやり方で生きると、時にとても惨めな目にもあう。
多くの人が別の道に行く中で、己の信じる方向に進むことはそう簡単でない。
まさに命がけだからね。
だから、美術の人たちの仕事はものすごく大変だけれど、ものすごく特別な仕事なんだよ。
それは、大きく激しく大切な務めだよ。
すごい作品を作り残すことは、次の務めだと私はそう思う。」
「この話は、したことなかったよね?」


(「爆弾か 黒雪ダルマ 雪ダルマ」より一部抜粋)

3月31日(土)午後2時30分からは、美術家の辻耕さんを迎え、横湯さんとの対話によるアーティスト・トークを行います。
どうぞ皆さま、ご来場ください。
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2018/3/25

【長崎出張3日目】原爆文学研究会/長崎平山家調査  調査・旅行・出張

長崎大学環境科学部大会議室にて、第55回原爆文学研究会の2日目。

午前中のみの開催で、発表者は2人。
新木武志さんは、1950年代前半の長崎における平和運動と被爆者運動の歴史を丁寧に解説してくださいました。
この発表でも、丸木夫妻の1953年1月に長崎労働会館で開催された「原爆の図」展が紹介され、被爆者の救済運動のための募金の宣伝として「原爆の図」が大歓迎を受けたという指摘がありました。

山口響さんの発表は、被爆者の証言を、あえて原爆が「大日本帝国」に投じられたという「固有の文脈」に埋め戻すことで、当時の軍の倫理や秩序の存在を浮かび上がらせるという「読み解き」の可能性の一例を提示する内容。体験者の「証言」を次の世代がどのように生かしていくか、という問題を考える上で、興味深く聞きました。

今回もまた、濃密な発表と白熱した質疑に、さまざまな考える材料をもらい、研究会は終了。
次回は7月28日、29日に神戸で開催予定です。

* * *

原爆文学研究会の後は、1984年12月から翌1985年1月にかけて丸木夫妻が約40日間滞在して《地獄の図》を描いた平山惠昭さんのお宅に伺い、聞き取りをしました。
ジャン・ユンカーマン監督の映画『HELLFIRE 劫火ーヒロシマからの旅』の冒頭のシーンを撮影したアトリエも、映画の印象そのままでした。稲佐山の急傾斜に立つ家の高低差を、撮影に生かしていたことがよくわかります。

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アトリエの写真は、1985年に同じ角度から本橋成一さんが撮影した写真(2017年カレンダーより)を、参考として右下にいっしょに写しています。

平山さんご夫婦と、わざわざ来てくださった当時20歳だった上の娘さんにとって、丸木夫妻の滞在していた日々は幸せな記憶であり、とりわけ妻の千枝子さんは「とにかく楽しい毎日だった、あんなに楽しいことはなかった」と繰り返し語っていました。

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丸木夫妻の長崎滞在の相談は、当初、長崎銀屋町教会の牧師のもとに寄せられ、ともに同和教育に取り組んでいた縁で、春陽会に出品していた平山さんが紹介されたそうです。平山さんはよろこび、ふたつ返事で承諾して、アトリエを提供することにしました。
絵画の制作に専念するため、丸木夫妻が滞在していることは極秘でしたが、ユンカーマンさんや本橋さんの撮影のほか、石牟礼道子さんや松谷みよ子さんが来訪するなど、賑やかな日々であったとのこと。

1985年は丑年だったので、位里は世話になった御礼に、牛の絵を2点、平山さんに贈りました。俊は平山さん夫婦と下の娘さんの肖像を描きました。
大切に保管されたそれらの絵を見せていただくと、丸木夫妻と平山さん一家の心のつながりが伝わってきます。

平山さんはその後、丸木夫妻のように絵にはメッセージがなければいけないと思うあまり、しばらく絵の制作ができなくなったそうですが、やがてフラメンコを踊るロマというテーマに取り組むようになりました。
そして、ふたりの娘さんも丸木夫妻の影響を強く受け、それぞれ中学校、小学校の先生になって、今も平和教育に熱心に取り組んでいるそうです。
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2018/3/24

【長崎出張2日目】第55回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

長崎大学環境科学部大会議室で行われた第55回原爆文学研究会に参加。

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会場は三菱長崎兵器製作所大橋工場の跡地、つまり作家の林京子さんが女学生で学徒動員され被爆した場所です。

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丸木夫妻も1953年に長崎原爆之図《三菱兵器工場》(長崎市原爆資料館蔵)を描いています。

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キャンパス内には旧長崎師範学校の「原爆慰霊碑」もありました。

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以下は原爆文学研究会の内容を、簡単な備忘として。

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初日の発表者は3名。
四條知恵さんは、長崎における聞こえない人々(ろう者)をめぐる原爆被害の語りの問題を取り上げました。はじめは、マイノリティの集団的な語りの「挫折」についての発表と思いながら聴いていたのですが、質疑が進むうちに、実は原爆被害を「語る」ことそのものの意味を問い直すテーマであることが浮かび上がってくる、研究会ならではの展開が刺激的でした。

永川とも子さんの発表は、被爆者のライフ・ストーリーを取材したスーザン・サザードの『ナガサキ』(2015)を、原爆投下直後の被爆者の様子を伝えるジョン・ハーシーの古典『ヒロシマ』(1946)と比較しつつ、米国において原爆を語り直すことの意味を考える内容。
被爆者のライフストーリーが、原爆投下の是非に関する論争になりがちな米国の核言説の限界を乗り越える可能性を持つ一方、脱政治化の危険も伴うといった議論や、物語の作者という「神」の視点と、米国の建国にかかわる「神」、長崎の祈りの対象としての「神」のそれぞれの「神」の捉え方を区別する必要があるといった議論など、こちらも質疑応答は白熱しました。

安ミンファさんは『倭奴(イエノム)へ 在韓被爆者 無告の二十六年』(布川徹郎、1971年)と『もうひとつのヒロシマ アリランのうた』(朴壽南、1986年)の2本の映画を取り上げ、社会に排除されていく韓国人被爆者の身体と、冷戦下/軍国主義下の風景のイメージを比較する発表。
研究会の後、『もうひとつのヒロシマ』の題字が丸木位里であったことを数人の方から指摘されましたが(映画の前に刊行されていた同名書籍の題字がすでに位里の筆だったと記憶しています)、実は『倭奴へ』も丸木夫妻が原爆の図第14部《からす》制作の参考にするため、布川監督が来て上映したと回想されているので、どちらの映画も丸木夫妻との「距離」は近いのでした。
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2018/3/23

【長崎出張初日】長崎原爆の図《母子像》調査  調査・旅行・出張

丸木夫妻の作品調査のため、長崎出張。
午前中は丸木夫妻とゆかりの深い場所を訪ね、貴重な作品を拝見しました。所有者の意向で情報公開はできませんが、今も良好な状態で作品が保存されていることを嬉しく思いました。

その後、長崎県美術館へ行き、収蔵庫で、かつて長崎県教育文化会館が所蔵していた長崎原爆の図《母子像》を確認。
作品の制作過程は、ジャン・ユンカーマン監督の映画『HELLFIRE 劫火ーヒロシマからの旅』にも記録されています。
こちらも絵の状態は非常に良好。

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作品が描かれた経緯は、2000年3月20日付『ながさき教育新聞』に、平山惠昭さんが詳しく記しています。
平山さんは当時公立中学校の先生で、長崎市同和教育研究会の事務局長を兼務。春陽会に所属する画家でもありました。
記事によれば、1984年8月8日から12日まで「原爆の図」長崎展が市民会館で開かれ、このときに第15部《長崎》を長崎市国際文化会館(現・長崎原爆資料館)に寄贈するという話が持ち上がったそうです。
実際、《長崎》は半年後の1985年2月1日に正式に寄贈されるのですが、長崎でもう一枚絵を描きたいという丸木夫妻の意向と、ぜひ描いてほしいという「長崎展」実行委員の思いが重なり、同年12月に丸木夫妻は長崎を再訪。40日余りを平山さんの家で過ごし、大作を描きました。それが、現在はブルガリア国立美術館に所蔵されている《地獄の図》です。映画『劫火』の冒頭には、平山家で制作をする丸木夫妻の姿が映し出されています。
この《地獄の図》制作中に、当時の県教組委員長の近藤禮司氏が丸木夫妻のもとを訪ね、県教組のために一枚《原爆の図》を描いてほしいと依頼したそうで、埼玉の東松山に帰宅してから描いたのが、長崎原爆の図《母子像》というわけです。画面には1985年夏の制作と記されています。

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作品調査の後は、県美術館で開催中の「田川憲展」を観ました。田川憲(1906-67)は長崎における創作版画の草分けで、戦中は従軍画家として中国に渡り、上海で創作版画の会を創設して個人誌を発行していました。
上の画像(絵葉書より)は、田川が長崎に帰郷後の1951年に制作したという木版画《長崎原爆遺跡(浦上天主堂)》。
また、菊畑茂久馬の1990年代の「海」をテーマにした特集展示も見ることができて良かったです。

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長崎は昼頃から気温が上がり、稲佐山の国際墓地(唐人/中国人はじめ、ロシア人、ポルトガル人、オランダ人、ユダヤ人などの墓がならぶ)では、すっかり桜が満開でした。
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2018/3/18

ビュフェ美術館「絵画と想像力」展オープニング  館外展・関連企画

ベルナール・ビュフェ美術館で「絵画と想像力 ベルナール・ビュフェと丸木位里・俊」展オープニングイベント。水沢勉さんとの対談は、100名を超える方が来場して下さったそうで、たいへんありがたく思っています。

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岡村が丸木夫妻、司会の松岡学芸員がビュフェの近年の再評価の動きをそれぞれ紹介し、「リアリズム」の問題が時代によって揺れ動き、読み直されていくということを、同時代の他の画家たちの仕事をもとに水沢さんが深めて話して下さいました。
無理に結論は出さないようにしましょう、と事前の打ち合わせで確認していましたが、それでも難しいテーマが何とかまとまっていったのは、司会の松岡学芸員のおかげでしょう。参加者のアンケートも概ね好評で、安心しました。

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その後のレセプションも盛況でした。写真家の本橋成一さん(今展には本橋さんの写真も展示されています)、佐喜眞美術館の館長ご夫妻、地元の方々、そして北海道、東京、広島や京都からもさまざまな方が駆けつけて下さいました。
お世話になった岡野副館長はじめ学芸員、スタッフの皆さまに御礼を申し上げます。
展覧会は6月12日まで。ぜひ皆さま、ご覧ください。
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2018/3/14

ベルナール・ビュフェ美術館展示立ち会い  館外展・関連企画

ベルナール・ビュフェ美術館で「絵画と想像力 ベルナール・ビュフェと丸木位里・俊」展の展示作業立ち会い。

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ビュフェの「キリストの受難」シリーズのために作られた天井の高い三角形の空間に、原爆の図第3部《水》が並びました。ヨーロッパの同時代の画家の作品と相対する機会は滅多にありませんが、画面構成、色調、主題が意外なほど共鳴しています。

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3月18日はオープニングイベントとして神奈川県立近代美術館の水沢勉さんと、「絵画 ―現実と想像 丸木位里・俊とその時代」と題する対談を行います。
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/event/742/
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2018/3/10

横湯久美展オープニング  企画展

企画展「横湯久美展 時間 家の中で 家の外で」がはじまりました。
午後2時半からはアーティストトーク「逃げるか掴むか、時をめぐる記憶の話」を開催。

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聞き手は、学生時代から横湯さんを知る美術家の辻耕さんです。

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決して他人に言ってはいけない、と言われて育ってきたという家族の歴史を軸に、うっすらとした戦争の痕跡をたどる物語的な作品。

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初めて横湯さんに出会った2年前、「丸木美術館だから、この作品を差し出そうと思った」と言って下さったことを思い出します。
そのとき展示された作品を含めて、今回の展示は5つの章で構成されています。

ひとりの人間の命とともに失われていく記憶をたぐりよせる、という点では、とても今日的な「戦争」の表現とも言えそうです。
会期は4月21日まで。3月31日(土)午後2時半からもアーティストトークを開催します。

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2018/3/4

石川真生「大琉球写真絵巻」最終日も大盛況!  企画展

石川真生展「大琉球写真絵巻」最終日もまた、約400人が来館する大盛況となりました。
ギャラリートークでは、またしても会場から人があふれました。

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記録的な盛況は、この作品が極めてタイムリーなメッセージ性を持っていること、それ故に「ヤマト」での展覧会開催が困難であることが大きな理由であると思われます。
感想ノートを見ると、来場者は北海道から九州まで、非常に広域にわたっていることがわかります。

「丸木美術館でしか開催できない」ことが、営業的には良かったにせよ、社会的に良いことかどうかは、悩ましいところです。ともあれ、写真集などのグッズも多く売れ、わざわざ沖縄から来てくださった石川真生さんに、どうやら当初の予定以上の御礼ができそうで、安心しました。
会期中、ご来場くださった多くの方々に、心より御礼を申し上げます。

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写真は、石川真生さん、映画監督のジャン・ユンカーマンさんと。
よく気のつくボランティアのSくんが撮影してくれました。
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