2018/7/28

第56回原爆文学研究会  講演・発表

台風が迫る中、神戸センタープラザにて第56回原爆文学研究会へ。
午前中の世話人会では、原爆文学研究会史上初めて、台風により2日目の中止が決定されました。
ちなみに2日目の研究発表は、中尾麻伊香さんによる「被ばくと奇形――原爆映画におけるその表現と科学」。そして「原爆文学」再読として、吉本隆明の『「反核」異論』について坂口博さん、村上克尚さん、加島正浩さんが発表する予定になっていたので、残念でした。

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というわけで、1日のみの開催となってしまった原爆文学研究会。
最初の研究発表は新会員の池田清さんによる「広島市の戦災復興都市建設と「植民地都市計画」―近代(核)文明と日本国憲法―」。
池田さんは都市計画を専門とされており、広島市の戦災復興都市計画が、戦前の「植民地都市計画」を引き継ぎ、被爆者を置き去りにして道路・建物・公園を優先するものであったことを指摘しました。「人間復興」とはかけ離れた、近代的な科学技術による「平和と繁栄」を求める復興計画は、現在の福島原発事故にも連続していくというのです。

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続いて、ワークショップ「炭鉱と原爆の記憶 ―文化運動・被爆朝鮮人・遺構から考える―」。
司会は楠田剛士さん。報告は次の3名でした。

1950年代「原爆の図展」と炭鉱文化運動  岡村幸宣
炭鉱と原爆をつなぐ ―雑誌『辺境』を視座に  奥村華子
遺構を通して考える〈炭鉱〉と〈原爆〉  木村至聖

岡村の発表は、1950年代の「原爆の図展」が炭鉱文化活動と深くかかわっていたことを、当時の資料などを参考にしながら明らかにするものでした。とはいえ、当時の観客や関係者が、「炭鉱」と「原爆」の〈共通点〉にどれほど自覚的だったかは、資料からはあまり読み取れません。エネルギー問題や差別の構造などの問題が社会的に浮上してくるのは、もう少し後の時代だったのでしょう。その予兆を1950年代の文化運動からどのよう読み解いていくのかは、もう少し考え続けていきたいところです。

奥村さんの発表は、井上光晴編集の雑誌『辺境』に掲載された平岡敬や朴壽南らの文章をもとに、在日朝鮮人被爆者を通して「炭鉱」と「原爆」を併置するものでした。
これまでにも繰り返し取り上げられてきた、原爆文学研究会らしいテーマ設定と言えるでしょう。

一方、「軍艦島」などの遺構を研究している木村さんは、遺構を通して歴史を語り、記憶を継承することの可能性と困難を伝える発表でした。「原爆」と「炭鉱」を短絡的に結びつけることはできないが、一見異なる遺構から喚起される「想像力」を、さらに「想像力」で架橋していくことは可能なのではないか、という発言は興味深く聞きました。

その後の質疑応答もなかなか刺激的でしたが、結果的には「炭鉱」と「原爆」がいかにつながらないか、あるいはつながりを〈不可視化〉されているかが浮かび上がったという感じです。

閉会後は、三ノ宮の地下街の店で打ち上げ。皆さま本当にお疲れさまでした。
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