2017/11/12

【広島出張2日目】谷本清平和賞授賞式  調査・旅行・出張

広島工業大学広島校舎にて、第29回谷本清平和賞贈呈式が行われました。

贈呈式に先立ち、海外から広島にやってきた高校・大学・専門学校の留学生による第28回世界平和弁論大会が行われました。15人の留学生が参加して、「平和」をテーマにひとり5分以内のスピーチを行いました。

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そして、いよいよ谷本清平和賞の贈呈式。丸木美術館の職員3名が、少々緊張の面持ちで壇上へ上がります。

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まずは岡村が鶴衛理事長より表彰状をいただき、続いて職員のYさんが賞品目録と楯、M子さんが花束を受け取りました。
贈呈式の後は、受賞スピーチです。以下、少し長くなりますが、読み上げたスピーチの内容を掲載いたします。

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このたびは、谷本清平和賞という、素晴らしい賞をいただきまして、本当にありがとうございました。
鶴理事長はじめヒロシマ・ピース・センターの皆さまに心より御礼を申し上げます。

原爆の図丸木美術館は、埼玉県東松山市にあります。
丸木位里・丸木俊というふたりの画家が、共同制作で描いた「原爆の図」を常設展示するために、みずから建てた美術館です。
位里は1995年、俊は2000年に亡くなりましたが、その後も美術館は続いて、今年、開館50周年という節目の年を迎えました。
企業や行政の大きな支援もなく、ただ、この美術館を支えたいという多くの人たちが集まって、その思いを守り、伝え、つなぎ続けてきたことは、奇跡のようなことだと思っています。
私はそのうちの5分の2 ――20年ほどのかかわりでしかありませんが、本当に多くの人たちが、この美術館を支えて、バトンをつなぎ続けてきたのです。

もっとも、この立派な賞をいただくことが本当にふさわしいのかどうか、少し途惑いもありました。
私たちが日常的にしている仕事は、人の命を直接的に救うことではありません。
ふだんは、朝早くに美術館を開け、訪れる方々に「原爆の図」を見ていただくため、受付をしたり、伝票を処理したり、学校団体に絵の説明をしたり、掃除をしたり、草刈をしたり、きわめて地道な仕事をしています。
一日に一人でも、あるいは、ごくたまに訪れる人がゼロであっても、台風の日も、大雪の日も、美術館を開ける、というのが、私たちにとって一番大切な仕事です。

私は学芸員という役割なので、しょっちゅう美術館の外を飛び歩いて、展覧会の準備をしたり、講演活動をしたり、いろいろと出張の機会もあるのですが、ほかの職員は、なかなかそうはいきません。
受賞が決まったとき、はじめに考えたのは、現場を守る職員全員で、広島に賞をいただきに来たいということでした。
今日は、美術館の職員3名全員が広島に来ています。初めて広島に来た職員もいます。少なくとも私の知る限りの20年で、職員が全員美術館を留守にするのは初めてのことです。
ボランティアの方々が、昨日、今日と美術館を守ってくださっているおかげで、みんなで来ることができました。
昨日は平和記念資料館や国立原爆死没者追悼平和祈念館をまわりました。美味しいお好み焼きや牡蠣も食べました。このような機会を頂けたことを本当に嬉しく思っています。

あらためてご紹介します。
主に経理と、美術館内のこまごまとした仕事を担当している山口和彦さんです。そして受付と、やはり経理を担当している田中実花子さんです。二人が支えているおかげで、丸木美術館があるのです。
私はお酒が飲めないので、昨日の夜は部屋に戻ってこのスピーチの原稿を書いていたのですが、二人は夜遅くまでホテルのバーで飲んでいたようです。そんな話もまた、嬉しく聞きました。

本日、会場においでくださっている方にも、日頃から支えられています。
広島の丸木家のご親族、丸木常緑子さん、丸木直也さん、小田芳生さん、小田妙子さん。
丸木美術館の評議員をつとめてくださっている原爆文学研究会代表の川口隆行さん、おなじく原爆文学研究会で、すぐれた研究をされている柿木伸之さん。
一昨年のアメリカ巡回展でたいへんお世話になったフリープロデューサーの早川与志子さん。
これまで何度も共同で作品調査を行い、丸木位里や丸木スマに関する論考を書かれている奥田元宋・小由女美術館の永井明生さん。広島の美術関係では、ギャラリーGの木村成代さん、広島市現代美術館副館長の寺口淳司さん、学芸員の笹野摩耶さんにもお世話になっています。
それから、広島平和文化センターの小溝泰義理事長、平和記念資料館の小山亮学芸員も来てくださいました。
原爆の図保存基金について、素晴らしいコラムを書いて下さった中国新聞の森田裕美さん、何度も丸木夫妻についての取材して下さっている文化部の西村文さん、2015年のアメリカ展の番組を作って下さった広島テレビの渡辺由恵さん。

丸木美術館の運営は、これまで決して順風満帆ではありませんでした。10年ほど前には、存続の危機を迎えたこともありました。そのとき民放のニュース番組のリポーターとして取材して下さったのが、現在、NHK広島局の気象予報士をされている勝丸恭子さんです。
今日は、勝丸さんにおいでいただけたのも、とても嬉しいです。
本当に、大勢の方がたが支えて下さったおかげで、丸木美術館があるのです。

私は主に丸木位里・丸木俊夫妻の共同制作「原爆の図」を専門に研究していますが、研究をすればするほど、「原爆の図」という絵の複雑さ、ある意味での難解さを感じ、簡単にものが言えなくなってしまいます。
決して、わかりやすい反核平和のメッセージを発するだけの絵ではありません。
そして、絵を見る人の数だけ、それぞれ異なる「原爆の図」があるのです。

たとえば、広島で原爆を体験された方が丸木美術館に来られることもあるのですが、そうした方が見る「原爆の図」と、私が見るのとでは、同じ絵であっても、まったく違うように見えるのだと思います。
一昨年のアメリカ巡回展のワシントンの会場では、原爆投下当時テニアン島に勤務していた94歳の元米兵も会場を訪れました。彼が見た「原爆の図」も、まったく違うものであったことでしょう。
昨年から今年の春にかけては、ドイツのミュンヘンで、かつてアドルフ・ヒトラーが建設したハウス・デア・クンスト(芸術の家)という展示施設の展覧会にも出品されました。そこでもまた、異なる印象を人びとに与えたはずです。
芸術家が観れば、その細部の美しさや表現の実験性に目が行くでしょうし、これから世の中に出ていく若者、命を宿した母親、東日本大震災を経験した人、みんなそれぞれ異なる「原爆の図」を観ています。内戦を経験した国から来た若者は、絵から音が聞こえる、と言いました。残念ながら私には、彼が聞いた音は聞こえません。

おそらく、芸術とはそういうものなのだと思います。みんなそれぞれ、自分の背負っている背景と照らし合わせながら、絵と自分をつないでいく。
結局、私はそうしたときに、ただそばにいて、いっしょに絵を見ることしかできません。

平和賞のスピーチなのに、このようなことを申し上げるのは、少し勇気がいるのですが、私が「原爆の図」について、とりわけ若い世代の人たちに話すとき、ずっと心がけてきたのは、「平和」という言葉を、できるだけ使わずに、いかに話を組み立てるか、ということでした。
ある意味で、「平和」はとても便利な言葉です。「平和」という言葉に寄りかかれば、絵の説明も楽になるかもしれない。聞く側もわかったような気になるかもしれない。けれども、「平和」は抽象的で、多様に解釈できる言葉です。

近年、「平和」という言葉が、他者と自分とのあいだに線を引いて、「自分たちの命を守る」という意味を強めて使われがちであることを心配しています。
私が、丸木夫妻の作品を手がかりにしながら学び、考えてきたのは、命と命のあいだに線を引かない、ということです。
もちろん、自分の命は何より大切な宝です。しかし同時に、異なる背景を持ち、究極的には決して解りあえないかもしれない他人の命も、大切な宝だということを忘れてはいけない。国や民族、宗教、哲学、文化、言葉などの違いによって、命の重さが変わるわけでは、決してありません。

そして戦争だけでなく、いつの時代においても、私たちの社会には、理不尽な暴力、不均衡が生まれてきます。目に見える、わかりやすい暴力だけでなく、目に見えない社会的な不均衡、差別や偏見もあります。
そうした暴力にまっさきに気づくのは、直接的に痛みを受ける人たちです。逆に最後まで気がつかないのは、不均衡の恩恵を受け、あるいは無意識に加担する側にいる人たちでしょう。それは、もしかしたら「平和」を語っている私たち自身であるかもしれないと、自戒を込めて考えます。

「原爆の図」が72年前の原爆の惨禍を描いた作品であることは確かですが、極めて現代的な問題を描いた普遍的な絵画でもあると感じています。
今年は、核兵器禁止条約が締結され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した、画期的な意味を持つ年になりました。
そうした人類史的なスケールの問題を見つめると同時に、現代を生きる若者たちにとって、もしかすると「戦時中」であるかもしれない生きにくい時代に、「原爆の図」がくじけそうな心を支えて、明日も希望をもって生きてみようと思ってもらえるような、すぐ目の前にあるかけがえのない命を救うことのできるような、そんな絵画であって欲しいと心から願っています。

丸木美術館にはさまざまな人が来ます。
平和に関心のある人もいれば、絵が好きな人もいる。美味しいお酒が飲みたくて来る人もいる。
私はそれでいいのだと思います。それがいいのだと。
毎年8月6日は、美術館の隣を流れる川でとうろう流しの行事を行います。広島とは比ぶべくもないささやかな行事です。広島で被爆された方が手を合わせて祈る横で、子どもたちがバシャバシャ水遊びをしたりしている。下流ではとうろうを回収するボランティアの若者たちが、勢いあまって泳いでいたりします。
それでも、そのとき、みんなが広島とつながっています。
今はとうろうを流す意味がわからない子どもたちも、いつかそのことを思い出し、世界を見る目を深めることでしょう。

本日頂いた谷本清賞を励みにしながら、けれども今までと変わらずに、ひとつひとつの仕事、一日一日の時間を、これからも積み重ねていきたいと思っています。
決して交通の便が良いとは言えない場所ですが、いつか皆さんも、丸木美術館を訪れて下さい。
私たちはいつでも、お待ちしています。


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贈呈式のあとは、懇親会場に移って、参加して下さった大勢の方々と乾杯をしました。
乾杯の音頭は、丸木美術館を谷本賞に推薦してくださった詩人の井野口慧子さん。丸木夫妻とも深く交流されていた方です。

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弁論大会に出場した留学生たちとも記念写真を撮りました。
広島には、本当に世界中のいろいろな国から留学生が来ているのだと知りました。

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お世話になった皆さまに、心より御礼を申し上げます。
いただいた花束は、丸木家の皆さまにお渡しして、三滝にある丸木夫妻の眠るお墓にお備えしてもらいました。
亡きお二人に良い報告ができたことを、何より嬉しく思います。

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