2017/11/28

太田市民会館「足尾鉱毒の図」特別公開  館外展・関連企画

太田市民会館で開催中の「足尾鉱毒の図」特別公開を見てきました。
全6点がそろって公開されるのは、すべて屏風になってからは初めてです。

クリックすると元のサイズで表示します

初めて「足尾鉱毒の図」を太田市から借りて、丸木美術館で展示をしたのは2008年なので、もう10年近く前のことになります。その頃に比べれば、作品を取り巻く人間関係も、作品の保存・公開の状態も、少しずつではあるけれど、問題を乗り越えながら前進してきました。

今も作品は環境政策課の管轄なので、つまり「美術品」としての扱いはされてないのですが(今回の展示も決して良好な環境とは言えないのですが)、今年から太田市美術館も開館して、学芸員も気にかけて下さっているので、きっとこれからも、少しずつ整備されていくことでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します

「美術」や「環境」といった枠組みを超えて、地域に根付いて親しまれる作品に育って欲しいと願いつつ、久しぶりにじっくりと全作品を見せてもらいました。

ご案内くださった太田市美術館のK学芸員、同行のGさん、栃木県立美術館のS学芸員、どうもありがとうございました。
特別公開は11月30日まで。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/11/26

石橋湛山平和賞に村山祐太くん  ボランティア

第6回石橋湛山平和賞の一般の部最優秀賞に、丸木美術館の若手評議員の村山祐太くんが選ばれました。論文のタイトルは、「ミレーから探る“小農”と“自治”の『反戦抵抗勢力』」

2017年11月25日の『毎日新聞』山梨版に、受賞が報じられていました。

https://mainichi.jp/articles/20171125/ddl/k19/040/068000c

村山くんは新潟県十日町市で里山支援の活動をしながら、丸木美術館の活動にも、たびたびボランティアで参加してくれています。
嬉しいニュース、おめでとうございます!!
0

2017/11/25

木下直之さん講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」  他館企画など

鎌倉商工会議所会館へ、木下直之さんの講演「震災・敗戦からの復興と近代建築」を聞きに行きました。

鎌倉国宝館、神奈川県立近代美術館などの建築物を、建築様式ではなく、「震災」や「敗戦」からの「復興」における意味という文脈で、鎌倉時代まで時間の枠を広げながら考える興味深い内容。
木下さんは、以前に著作の中で「原爆の図」の裸体表現についてもユニークな考察をされているので、講演の後に少しだけご挨拶をさせていただきました。

クリックすると元のサイズで表示します

写真は、鎌倉市役所から見た商工会議所会館。手前の銀杏の木は、1949年5月3日に「全国に先駆けて開かれた」鎌倉平和集会を記念して、仏文学者の小牧近江らが鎌倉駅前に植えた「平和の木」。
フランス革命の「自由の木」にちなみ、二度と戦争を繰り返さないという誓いをこめて命名されたそうです(1971年に現在の場所に移植)。
若き日のヨシダ・ヨシエさんが小牧近江に紹介されて、片瀬に住んでいた丸木夫妻のもとを訪れたのも、その年の暮れのことでした。

クリックすると元のサイズで表示します

帰りに、木下さんが講演の際に触れていた、鎌倉駅前にあるラングドン・ウォーナー博士の記念碑も見てきました。
ウォーナーは日本文化の研究者で、「文化は戦争に優先する」との言葉を残し、大平洋戦争の際には「三古都」(京都・奈良・鎌倉)に戦禍が及ばぬよう訴えた、という逸話も残っています。実際には文化財保護のためのリストを制作したものの、その有効性について諸説あるそうですが、空爆を受けなかった鎌倉では、とても大切にされている様子が感じられました。
0

2017/11/24

青山学院女子短大「女性・環境・平和」特別講義  講演・発表

午前中、青山学院女子短大にて「女性・環境・平和」の特別講義。

クリックすると元のサイズで表示します

「原爆の図」と絵本『ひろしまのピカ』を比較し、丸木スマの存在にも触れながら、記憶を伝える絵について話しました。子ども学科の学生が多いことを意識して、『ひろしまのピカ』は土本典昭監督のビデオ絵本(25分)も上映しました。

「多数の記憶の集合体」と「母娘の物語」の構造の対比や、「占領下・朝鮮戦争下の抵抗」と「次世代への継承」といった動機の違いを軸にしつつ、では今の時代を生きる私たちはこれらの絵から何を受けとるか、という問題につながるように話してみましたが、さて、若い学生たちの反応はどうでしょうか。いまどきは手書きよりスマホで送信してもらった方が、生徒が感想を詳しく書くそうで、後日感想をまとめて送ってもらうことになっています。

毎年楽しみにしているこの講義も、残念ながら青短そのものの学生募集停止が決まったため、今年で最後になるかもしれません。キャンパスは黄葉がきれいでした。
0

2017/11/23

「今日の反核反戦展2017」オープニングイベント  企画展

「今日の反核反戦展2017」オープニング・レセプション。
実行委員の皆さんが運営をがんばっているので、私ははじめの挨拶をするだけです。

クリックすると元のサイズで表示します

今年の2階アートスペースの特別展示は、東京・横浜・京都・広島の朝鮮学校の高校美術部による特別ユニット「境界族」。「境界」に生きる彼らの世界が、決して広くないスペースに凝縮されて、いつもと違う空気感を生み出しています。

クリックすると元のサイズで表示します

床の上には、シュレッダーで刻んだ紙で「境界」が作られていて、「境界」をまたぐ来場者の足が無意識に触れるたびに、少しずつ壊されていくという仕掛け。
とはいえ、初日から早くも途切れつつあるので、後から来るお客さんにコンセプトが伝わるように少しは修正した方がいいのか、悩んでいます。まさか自分が「境界」を作る役回りになろうとは。こないだ「線を引かない」とか言ってたばかりなのに。

クリックすると元のサイズで表示します

オープニング・イベントでは、朝鮮学校舞踏部がゲスト出演。華やかな舞踏を見せてくれて、会場は拍手喝采でした。
0

2017/11/22

【広島出張2日目】広島市現代美術館「藤森照信展」など  調査・旅行・出張

午前中は広島県立美術館と丸木家親族のお宅に丸木スマ作品を返却。
あいにくの雨でしたが、無事に返却作業を終えて、ひと安心です。

親族のOさんのお宅では、ちょうど昨夜浜田に海釣りに行ってきたとのことで、運送業者さんといっしょにイカの刺身やカツオのたたきをご馳走になることに。まったく予想していない事態でしたが、図々しくも美味しくいただきました。

その後はOさんといっしょに広島市現代美術館「藤森照信展」へ。一級建築士のOさんは、藤森建築もいくつか見て歩いているそうで、ユニークな建築素材について解説して頂きながら、楽しくまわりました。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、夜遅くに帰宅したところ、上野朱さんから福岡市文学館「上野英信展」図録が届いていました。行きたいと思いながらも日程的に難しかったので、ありがたくいただきました。

しかも、某放送局のディレクターとして展覧会の取材に来られたのが、丸木家の親族Oさんの息子さんだったとのこと。そのOさんのお宅でご馳走になったばかりだったので、偶然のつながりに驚きました。

図録(といってもテキスト中心)は読み応えのある力作なので、保存版として大切にします。
0

2017/11/21

【広島出張初日】岡部昌生展  調査・旅行・出張

丸木スマ展作品返却のため、トラックで2日がかりで広島へ来ました。
夕方、吉島の日通倉庫に丸木スマ作品を預けてから、ギャラリー交差611とGALLERY NODEをまわって岡部昌生・港千尋「わたしたちの過去に、未来はあるのか」展を観ました。
本当はもう会期が終わっていたのに、展示を残して下さっていたのです。ご案内いただいたギャラリーGの木村さんに感謝。

クリックすると元のサイズで表示します

GALLERY NODEは初めて訪れたのですが、とても良い空間で、岡部さんがパリの版画工房idemの床を擦りとったフロッタージュ作品が、夜の街にぽっかり浮かび上がっていました。

その後、岡部さんやギャラリーの方々と、広島駅近くの店で遅くまで牡蠣鍋。
10年ほど前にひょんなことから岡部さんの宇品のプラットフォームのフロッタージュ作品を入手したものの、ご本人にお会いするのは初めてだったので、貴重なお話を聞かせて頂けたのは嬉しかったです。
岡部さんの大学時代の恩師が、旭川高女で赤松俊子を教えていた戸坂太郎だったと、初めて知りました。人はいろいろな縁でつながっているようです。
0

2017/11/19

展示替え/「原爆の図」全点展示  企画展

丸木スマ展が終わり、展示替え作業日。
お手伝いいただいたボランティアの皆さま、ありがとうございます。

クリックすると元のサイズで表示します

午後、富山県美術館から第8部《救出》が戻ってきて、半年ぶりに丸木美術館に「原爆の図」14点が揃いました。来年も3月以降は貸出が続くので、冬のあいだは全点をまとめて観るチャンスです。

企画展として、11月23日から1月13日は「今日の反核反戦展2017」、2月10日から3月4日は「石川真生展 大琉球写真絵巻」(会期のはじめが変更になりました)も開催します。
どうぞお見逃しなく!
0

2017/11/18

白崎映美&東北6県ろ〜るショー  他館企画など

「丸木スマ展」「富丘太美子展」の最終日で盛況の美術館を夕方に抜け出して、新宿全労済ホール スペース・ゼロの「白崎映美&東北6県ろ〜るショー」に駆けつけました。

クリックすると元のサイズで表示します

8月6日の丸木美術館には小編成でご出演頂きましたが、今回は本格編成のスペクタクル版。獅子舞、鬼剣舞、盆踊、達磨娘、チンドン屋、上々颱風の元メンバーも登場して、2時間たっぷり楽しませて頂きました。
あらためて、50周年のひろしま忌で歌っていただいたことを、嬉しく、ありがたく思い出しました。

まっすぐな思いと力強い歌声に打たれて、もう一年の締めくくりの歌合戦を聞いてしまったような気分です。
0

2017/11/17

立川市柴崎学習館連続講座第3回「丸木夫妻の絵画表現と原爆の図」  講演・発表

午後2時から立川市柴崎学習館の連続講座「原爆の図 丸木位里・俊」第3回。
「丸木夫妻の絵画表現と原爆の図」というテーマで、お話ししました。
ちょうどR大学の学生が学芸員実習中だったので、講座を見学してもらいました。
過去2回よりも受講者が多いと思ったら、新聞の告知を見て新たに参加された方が何人かいたようです。

残るは12月15日(金)の「今日における原爆の図」の講座のみ。平日の昼間に映像など見ながらゆるゆるとやっている講座ですが、興味のある方は最終回のみの受講も可能とのこと。
お問い合わせは柴崎学習館(042-524-2773)まで。
http://tachikawa.mypl.net/event/00000267050/
0

2017/11/17

『中國新聞』に谷本賞記事掲載  掲載雑誌・新聞

『中國新聞』に、谷本清平和賞受賞の関連記事が掲載されました。

「原爆の図」継承で功績 谷本清賞 丸木美術館に贈呈
 ―2017年11月14日付『中國新聞』
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=78175

天風録「命の線引き」
 ―2017年11月17日付『中國新聞』
 http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=389018&comment_sub_id=0&category_id=143

「命の線引き」は、受賞スピーチについて触れてくださっている記事です。
お世話になった記者の皆さま、どうもありがとうございました。
0

2017/11/12

【広島出張2日目】谷本清平和賞授賞式  調査・旅行・出張

広島工業大学広島校舎にて、第29回谷本清平和賞贈呈式が行われました。

贈呈式に先立ち、海外から広島にやってきた高校・大学・専門学校の留学生による第28回世界平和弁論大会が行われました。15人の留学生が参加して、「平和」をテーマにひとり5分以内のスピーチを行いました。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、いよいよ谷本清平和賞の贈呈式。丸木美術館の職員3名が、少々緊張の面持ちで壇上へ上がります。

クリックすると元のサイズで表示します

まずは岡村が鶴衛理事長より表彰状をいただき、続いて職員のYさんが賞品目録と楯、M子さんが花束を受け取りました。
贈呈式の後は、受賞スピーチです。以下、少し長くなりますが、読み上げたスピーチの内容を掲載いたします。

   *   *   *   *   *

クリックすると元のサイズで表示します

このたびは、谷本清平和賞という、素晴らしい賞をいただきまして、本当にありがとうございました。
鶴理事長はじめヒロシマ・ピース・センターの皆さまに心より御礼を申し上げます。

原爆の図丸木美術館は、埼玉県東松山市にあります。
丸木位里・丸木俊というふたりの画家が、共同制作で描いた「原爆の図」を常設展示するために、みずから建てた美術館です。
位里は1995年、俊は2000年に亡くなりましたが、その後も美術館は続いて、今年、開館50周年という節目の年を迎えました。
企業や行政の大きな支援もなく、ただ、この美術館を支えたいという多くの人たちが集まって、その思いを守り、伝え、つなぎ続けてきたことは、奇跡のようなことだと思っています。
私はそのうちの5分の2 ――20年ほどのかかわりでしかありませんが、本当に多くの人たちが、この美術館を支えて、バトンをつなぎ続けてきたのです。

もっとも、この立派な賞をいただくことが本当にふさわしいのかどうか、少し途惑いもありました。
私たちが日常的にしている仕事は、人の命を直接的に救うことではありません。
ふだんは、朝早くに美術館を開け、訪れる方々に「原爆の図」を見ていただくため、受付をしたり、伝票を処理したり、学校団体に絵の説明をしたり、掃除をしたり、草刈をしたり、きわめて地道な仕事をしています。
一日に一人でも、あるいは、ごくたまに訪れる人がゼロであっても、台風の日も、大雪の日も、美術館を開ける、というのが、私たちにとって一番大切な仕事です。

私は学芸員という役割なので、しょっちゅう美術館の外を飛び歩いて、展覧会の準備をしたり、講演活動をしたり、いろいろと出張の機会もあるのですが、ほかの職員は、なかなかそうはいきません。
受賞が決まったとき、はじめに考えたのは、現場を守る職員全員で、広島に賞をいただきに来たいということでした。
今日は、美術館の職員3名全員が広島に来ています。初めて広島に来た職員もいます。少なくとも私の知る限りの20年で、職員が全員美術館を留守にするのは初めてのことです。
ボランティアの方々が、昨日、今日と美術館を守ってくださっているおかげで、みんなで来ることができました。
昨日は平和記念資料館や国立原爆死没者追悼平和祈念館をまわりました。美味しいお好み焼きや牡蠣も食べました。このような機会を頂けたことを本当に嬉しく思っています。

あらためてご紹介します。
主に経理と、美術館内のこまごまとした仕事を担当している山口和彦さんです。そして受付と、やはり経理を担当している田中実花子さんです。二人が支えているおかげで、丸木美術館があるのです。
私はお酒が飲めないので、昨日の夜は部屋に戻ってこのスピーチの原稿を書いていたのですが、二人は夜遅くまでホテルのバーで飲んでいたようです。そんな話もまた、嬉しく聞きました。

本日、会場においでくださっている方にも、日頃から支えられています。
広島の丸木家のご親族、丸木常緑子さん、丸木直也さん、小田芳生さん、小田妙子さん。
丸木美術館の評議員をつとめてくださっている原爆文学研究会代表の川口隆行さん、おなじく原爆文学研究会で、すぐれた研究をされている柿木伸之さん。
一昨年のアメリカ巡回展でたいへんお世話になったフリープロデューサーの早川与志子さん。
これまで何度も共同で作品調査を行い、丸木位里や丸木スマに関する論考を書かれている奥田元宋・小由女美術館の永井明生さん。広島の美術関係では、ギャラリーGの木村成代さん、広島市現代美術館副館長の寺口淳司さん、学芸員の笹野摩耶さんにもお世話になっています。
それから、広島平和文化センターの小溝泰義理事長、平和記念資料館の小山亮学芸員も来てくださいました。
原爆の図保存基金について、素晴らしいコラムを書いて下さった中国新聞の森田裕美さん、何度も丸木夫妻についての取材して下さっている文化部の西村文さん、2015年のアメリカ展の番組を作って下さった広島テレビの渡辺由恵さん。

丸木美術館の運営は、これまで決して順風満帆ではありませんでした。10年ほど前には、存続の危機を迎えたこともありました。そのとき民放のニュース番組のリポーターとして取材して下さったのが、現在、NHK広島局の気象予報士をされている勝丸恭子さんです。
今日は、勝丸さんにおいでいただけたのも、とても嬉しいです。
本当に、大勢の方がたが支えて下さったおかげで、丸木美術館があるのです。

私は主に丸木位里・丸木俊夫妻の共同制作「原爆の図」を専門に研究していますが、研究をすればするほど、「原爆の図」という絵の複雑さ、ある意味での難解さを感じ、簡単にものが言えなくなってしまいます。
決して、わかりやすい反核平和のメッセージを発するだけの絵ではありません。
そして、絵を見る人の数だけ、それぞれ異なる「原爆の図」があるのです。

たとえば、広島で原爆を体験された方が丸木美術館に来られることもあるのですが、そうした方が見る「原爆の図」と、私が見るのとでは、同じ絵であっても、まったく違うように見えるのだと思います。
一昨年のアメリカ巡回展のワシントンの会場では、原爆投下当時テニアン島に勤務していた94歳の元米兵も会場を訪れました。彼が見た「原爆の図」も、まったく違うものであったことでしょう。
昨年から今年の春にかけては、ドイツのミュンヘンで、かつてアドルフ・ヒトラーが建設したハウス・デア・クンスト(芸術の家)という展示施設の展覧会にも出品されました。そこでもまた、異なる印象を人びとに与えたはずです。
芸術家が観れば、その細部の美しさや表現の実験性に目が行くでしょうし、これから世の中に出ていく若者、命を宿した母親、東日本大震災を経験した人、みんなそれぞれ異なる「原爆の図」を観ています。内戦を経験した国から来た若者は、絵から音が聞こえる、と言いました。残念ながら私には、彼が聞いた音は聞こえません。

おそらく、芸術とはそういうものなのだと思います。みんなそれぞれ、自分の背負っている背景と照らし合わせながら、絵と自分をつないでいく。
結局、私はそうしたときに、ただそばにいて、いっしょに絵を見ることしかできません。

平和賞のスピーチなのに、このようなことを申し上げるのは、少し勇気がいるのですが、私が「原爆の図」について、とりわけ若い世代の人たちに話すとき、ずっと心がけてきたのは、「平和」という言葉を、できるだけ使わずに、いかに話を組み立てるか、ということでした。
ある意味で、「平和」はとても便利な言葉です。「平和」という言葉に寄りかかれば、絵の説明も楽になるかもしれない。聞く側もわかったような気になるかもしれない。けれども、「平和」は抽象的で、多様に解釈できる言葉です。

近年、「平和」という言葉が、他者と自分とのあいだに線を引いて、「自分たちの命を守る」という意味を強めて使われがちであることを心配しています。
私が、丸木夫妻の作品を手がかりにしながら学び、考えてきたのは、命と命のあいだに線を引かない、ということです。
もちろん、自分の命は何より大切な宝です。しかし同時に、異なる背景を持ち、究極的には決して解りあえないかもしれない他人の命も、大切な宝だということを忘れてはいけない。国や民族、宗教、哲学、文化、言葉などの違いによって、命の重さが変わるわけでは、決してありません。

そして戦争だけでなく、いつの時代においても、私たちの社会には、理不尽な暴力、不均衡が生まれてきます。目に見える、わかりやすい暴力だけでなく、目に見えない社会的な不均衡、差別や偏見もあります。
そうした暴力にまっさきに気づくのは、直接的に痛みを受ける人たちです。逆に最後まで気がつかないのは、不均衡の恩恵を受け、あるいは無意識に加担する側にいる人たちでしょう。それは、もしかしたら「平和」を語っている私たち自身であるかもしれないと、自戒を込めて考えます。

「原爆の図」が72年前の原爆の惨禍を描いた作品であることは確かですが、極めて現代的な問題を描いた普遍的な絵画でもあると感じています。
今年は、核兵器禁止条約が締結され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した、画期的な意味を持つ年になりました。
そうした人類史的なスケールの問題を見つめると同時に、現代を生きる若者たちにとって、もしかすると「戦時中」であるかもしれない生きにくい時代に、「原爆の図」がくじけそうな心を支えて、明日も希望をもって生きてみようと思ってもらえるような、すぐ目の前にあるかけがえのない命を救うことのできるような、そんな絵画であって欲しいと心から願っています。

丸木美術館にはさまざまな人が来ます。
平和に関心のある人もいれば、絵が好きな人もいる。美味しいお酒が飲みたくて来る人もいる。
私はそれでいいのだと思います。それがいいのだと。
毎年8月6日は、美術館の隣を流れる川でとうろう流しの行事を行います。広島とは比ぶべくもないささやかな行事です。広島で被爆された方が手を合わせて祈る横で、子どもたちがバシャバシャ水遊びをしたりしている。下流ではとうろうを回収するボランティアの若者たちが、勢いあまって泳いでいたりします。
それでも、そのとき、みんなが広島とつながっています。
今はとうろうを流す意味がわからない子どもたちも、いつかそのことを思い出し、世界を見る目を深めることでしょう。

本日頂いた谷本清賞を励みにしながら、けれども今までと変わらずに、ひとつひとつの仕事、一日一日の時間を、これからも積み重ねていきたいと思っています。
決して交通の便が良いとは言えない場所ですが、いつか皆さんも、丸木美術館を訪れて下さい。
私たちはいつでも、お待ちしています。


   *   *   *   *   *

贈呈式のあとは、懇親会場に移って、参加して下さった大勢の方々と乾杯をしました。
乾杯の音頭は、丸木美術館を谷本賞に推薦してくださった詩人の井野口慧子さん。丸木夫妻とも深く交流されていた方です。

クリックすると元のサイズで表示します

弁論大会に出場した留学生たちとも記念写真を撮りました。
広島には、本当に世界中のいろいろな国から留学生が来ているのだと知りました。

クリックすると元のサイズで表示します

お世話になった皆さまに、心より御礼を申し上げます。
いただいた花束は、丸木家の皆さまにお渡しして、三滝にある丸木夫妻の眠るお墓にお備えしてもらいました。
亡きお二人に良い報告ができたことを、何より嬉しく思います。

クリックすると元のサイズで表示します
9

2017/11/11

【広島出張初日】初の職員旅行  調査・旅行・出張

谷本清平和賞の授賞式のため、午前中の飛行機で広島に来ました。
今回は丸木美術館の職員3人で、慰安旅行(?)を兼ねての出張。
私は年中あちこち飛び回っていますが、ほかの2人はなかなかそうした機会がないので、今回はぜひとも職員全員で広島を訪れたいと考えていました。
その間の留守を、Hさんはじめボランティアの皆さんが守ってくれているおかげで、計画が実現できました。本当に感謝です。

クリックすると元のサイズで表示します

私が知る限りのここ20年で、職員全員が美術館を空けたのは初めてのことです。
昨日は開館から閉館まで何事もなく無事に終わったということで、まずはひと安心。

クリックすると元のサイズで表示します

初めて広島を訪れる職員もいるので、とりあえず市街を案内しながら、みっちゃん総本店でお好み焼きを食べ、平和公園周辺を見学した後で、授賞式会場にて下見と打ち合わせ。夜はかなわで牡蠣料理を堪能しました。

クリックすると元のサイズで表示します

資金を援助して下さった美術館関係者の方々にも感謝。
好天にも恵まれて、明日はいよいよ授賞式を迎えます。
0

2017/11/8

ちひろ美術館・東京「日本の絵本100年の歩み」レセプション  館外展・関連企画

夕方、ちひろ美術館・東京「ちひろ美術館開館40周年 日本の絵本100年の歩み」展オープニングレセプションへ。

クリックすると元のサイズで表示します

ちひろの生まれた1918年は『赤い鳥』創刊の年でもあり、1910年代の黎明期からはじまって、戦争を経て戦後の隆盛期、さらに多様化の進む2010年代まで、日本の絵本の歩みを俯瞰する企画です。1980年代には、丸木俊の代表作『ひろしまのピカ』の絵本原画も展示されています。

ちひろ美術館の学芸員の皆さんが選び抜いた、オールスター級の作家たちの原画がならぶ展示は圧巻。それぞれの絵の説明には、素材や表現・技法的な特徴も丁寧に記されています。

たとえば、日本でもっとも売れている(約650万部)という瀬川康男の『いない いない ばあ』(松谷みよ子・文、童心社、1967年)は、「動物たちはアクリル絵の具で地塗りをしてから、薄い典具帖という和紙をのせて、上からガッシュで色を付けてはがすという複雑な手法を用いて描かれ、独特なマチエールをみせている」といった具合。
こうした詳細な説明とともに、肉眼でなければわからない画面上の絵の具の微妙な隆起などを実際に確認することができるというわけです。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、松本猛さんにご挨拶をした際、新著『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(講談社)をいただきました。
息子として、また評論家としての立場から「できるだけ、客観的にちひろ像を描きたい」との思いで記したという著作は、私も丸木夫妻関係の基本的な事実確認について少しだけご協力していたのですが、ちひろだけでなく、彼女に影響を与えた周辺の人物や時代背景も丹念に紹介され、今後のちひろ研究の基礎資料になるであろう、充実した評伝になっていました。

晩年の丸木俊を訪ねた猛さんに、俊がちひろとの関係を「二人は師と弟子ではなく、姉妹のようで、互いに影響しあったのだ」と語ったというエピソードも印象的でした。
猛さんには、今後の企画について重要なご提案をいただきましたが、ちひろ美術館と丸木美術館もまた、「互いに影響」しあいながら、ともに歩んでいければ良いと思っています。
0

2017/11/8

『毎日新聞』に高畑勲さん・アーサー・ビナードさん対談記事掲載  掲載雑誌・新聞

原爆の図丸木美術館50周年 「絵に巻き込まれる」 高畑勲さん・ビナードさん対談
 ―2017年11月8日『毎日新聞』朝刊埼玉版

https://mainichi.jp/articles/20171108/ddl/k11/040/152000c

以下は、記事からの一部抜粋です。

=====

 高畑さんは対談で、「私設の美術館が立派に現在まで50年を過ぎてきたことは、もう『奇跡』と呼ぶしかない」とたたえた。高校生時代に巡回展で初めて「原爆の図」を見て、「理解できなかった」としつつ、「原爆への恐怖、嫌悪は植え付けられた」と語った。

 その後、「『原爆の図』にまともに対面したくない気持ちがずっとあった」という。対談に先立って今年9月に初めて同館を訪ね、「『原爆の図』と対決するつもりで訪ねたら、圧倒されて、とても対決どころではなかった。あの絵は大変な絵だ」と評価した。

 原爆投下が正当化されてきた米国出身のビナードさんは「(絵の中の)1人の人間と目が合い、自分が巻き込まれ、当事者になった感覚がした。それが自分の視点を変えてくれた」と説明。そのうえで「(実物は)画集で見るのと全然違う。『原爆の図』は特にそれが大きい」と強調した。

 集いを企画した同館学芸員の岡村幸宣さん(43)は「『原爆の図』がどのような絵なのか、繰り返し考え続けることが、とても重要ではないか。新しく読み直し、ゆっくり掘り下げていくことが必要だ」と訴えた。


=====

クリックすると元のサイズで表示します

この対談については、1月発行の『丸木美術館ニュース』でも報告記事を掲載予定です。
取材してくださった埼玉東支局の木村健二支局長、どうもありがとうございました。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ