2004/12/25

黙想の家の新しい馬小屋  毎日の出来事

黙想の家の新しい馬小屋は井口さんの設計と制作です。イルミネーションも明るくなりました。今年は、ミサの参加者は少なく、男子の小聖堂ではラサール会の二人のブラザーと共同体のメンバー4名のミサ、女子は、シスターたち14名と近隣の信者、未信者10名が参列

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2004/12/21

クリスマスおめでとうございます。  

クリスマス おめでとうございます
宝塚の修道院では8時より修道院の共同体だけで小さなクリスマスを祝います。
真夜中の12時には、女子御受難修道会の聖堂でクリスマスのミサが行われます。翌朝のミサは9時半からです。クリスマスは小教区でとの呼びかけがありますので、敢えて皆様をお招きしませんが、機会があればおいでください。
来年も 皆様の豊かな出会いの日々となりますようにお祈り申し上げます。

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2004/12/17

鉄道の旅  管区長通信

シノドスは12月6日に終了し、翌日7日、テルミニ駅からミラノに向けて出発。総長秘書エンゾ神父の運転で駅まで15分、意外と近い。しかし、9時半出発の電車は待てど暮らせどこない。ついに10時半も過ぎて10時50分に到着し、すぐに出発。 インターネット上で購入した切符で、チケットレス。しかしなんとなく不安になる。端向かいの人も同じ切符を持っていて少し安心、英語もできて、これは日本では払い戻しのケースですねというと、そうですよと応えてくれて、やり方を教えてくれたがなんとも時間のかかる話でしかも現金ではなく切符の交換のようなものだそうです。。。ローマ郊外を出ると田園風景がつづきます。基本的にこの国は農業国なのかな・・・いやそれよりも日本の自足自給率が低すぎるのが問題なのでしょう。

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2004/12/6

シノドス最終日へ  管区長通信

シノドスも最終日を明日に控えて、5日の今日の日曜日は、委員会に指名された人は居残って宿題をしてたくさんの議決文書を作成していました。 一日ゆっくりと聖ガブリエルの巡礼所を訪問してきましたが、帰ってきてみると10ページ以上の英文の宿題がメールボックスに入っていました。明日までに読んでおかなくてはなりません。それぞれ意見を述べるようにいわれますからね・・・大体賛成意見なので 問題なしと返事しています。 
 グランサッソへの訪問はとても楽しい一日でした。あいにく急に冷えて霧がでてきれいなロッキー山脈を見ることができませんでしたが、それでもガブリエルの亡くなった修道院と遺骨を納めた聖堂、そして巡礼者をむかえる巨大な聖堂、たくさんの許しの秘跡を受けに来る巡礼者、そして聖ガブリエルのとりなしで病気が治った子供たちの感謝の写真やあかしの手紙が貼り付けてある部屋など・・・ここはイタリア人に人気のある聖地なのです。この管区だけが、まだまだ若者の召命があるのです。ローマでは6名の神学生が勉強しています。医者や、弁護士、先生だったひとたちが、人生の方向を変えて司祭の道を歩む決意をする不思議な場所です。聖ガブリエルのお父さんもこの地方の名士で日本で言えば地元の顔役で市長か助役のようなしごとをしていたのでしょう。家族の写真もあったのです。兄弟の1人は自殺したことが書かれていましたが、不幸なことに、フリーメーソンに入っていて、教皇を暗殺するように指示されたために悩んで自殺したという言い伝えもあるとここの出身の御受難会の神父さんが説明してくれました。ガブリエルがいた修道院は、聖フランシスコ自身が建てたといわれている古い修道院の部分を拡張した場所です。同じ場所の出身なのですね。フランシスコ会の修道院でもあったところです。 やはり実際に聖人が出た場所にきてみないと背景は分かりません。
 12月6日は、最終決議案で、コンゴが副管区になります。御受難会がコンゴに宣教して72年の歴史があるのですが、ようやく自立した地位が始まります。でもリストラクチャがあるので日本は他のアジアに吸収されるかもしれませんね・・・メンバーの数からみると一番少ないからですね。
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2004/12/3

シノドス 前半終了 12月1日  管区長通信

28日〜12月1日まで、主には、RESTRUCTURING とは (1)何か (2)何故しなければ成らないのか(3)どのようにするのか が主に討議されたが、どうしても、(2)の何故に関しては、vitality と viability の関係についての理解を深めることが必要だった。 活性化のためにリストラするのであって、死ぬためではない。viability は英語で考えると 生存能力とか維持能力なのであるが、ラテン系のイタリア語やスペイン語では<via>といえば、道であり方法論なので、vitality の目的のためにviabiltiy その手段としての方法を模索するということになる。ボキャブラリーを構築することが話し合われてその委員会が作られた。 38名の委員の中で1人だけ棄権して、皆 <RESTRUCURING >に賛成でしたので、いつまで、どの段階までカレンダーは、次回の総会2006年10月までに、研究課題を提案できるようにダイアローグを会全体でする方向が打ち出され、その方法を第二段階では討議することになります。お祈りください。 シノドスは、12月6日までこれから続きます。2日は中休みで 皆ナポリまで行きましたが、日本人のわたしは、切符がまだ手に入らないので 居残ってパリまでの列車切符を買いました。12月1日夜12時(この時間でようやくインターネットのスピードがあがります。修道院では、大学院の学生の部屋までインターネットが整備されているので、皆が使う時間では、まったく使い物にならないくらいおそいのです・・・・)
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2004/12/1

シノドスが始まる  管区長通信

日曜日は待降節第一日曜日、朝の7時〜修道院のミサで20名ほどのメンバーと一緒にミサ。。。。 お客の神父ばかりだったので誰も準備していない低調なミサだったが・・・
あれこれ準備していたら、昼食一時に遅れて、食べないまま3時からの開会式が始まる。
まだまだ時差の影響があって、8時間の時差に 少し疲れていました。
 3時からの開会式はオリーブのイメージ、ゲッセマネの園での苦しみの祈りから・・・
タイムスケジュールは大変つらいものです。。。休みなしです。
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2004/12/1

ローマの休日  管区長通信

27日朝は、雨、昨日の誕生日はミサもなく、迎えもなく、なにもかもがついていないように感じたけれども考えてみれば、1人でローマを歩くことができたのだ・・・それに雨もあのときだけやんでくれて・・・雨のおかげで浮浪者にも遭遇せず夜道を1人で歩けた・・・・そんな感謝を6時からのミサでささげた。一日遅れの誕生日の休日を過ごすことに決め、10時から雨のローマを散策、市電に乗ってスコラサンタへ、ここはローマの御受難会の管区本部があるところで、有名なエキゾシストのいるところです。たくさんの観光客や巡礼団でにぎわっていました。 そこからバスに乗ってサンタマジョーレの聖堂へ・・・すぐ近くにラテラノ大聖堂があるのに気づきました。以前来たときはまったく気づかなかった。。。。北海道の巡礼団や沖縄の巡礼団を案内したことのある三宅さんという公認ガイドの方に案内していただきました。それでいろいろな知識も今回は身に付きました・・・・昼食は、ローマの古い町並みにあるあまり目立たない場所で食べました。ワインとパスタ・・・これだけでもお腹いっぱい、それに焼き魚を食べてローマを満喫した気持ちになりました。夕方は、メジュゴジエの聖母のメッセージを真剣に受け止めているグループに案内していただきました。途中から眠くて寒くなって帰りました。カンドー神父のあとをつとめるアモール神父と一緒にミサができるはずだったのですが、我慢できずに帰りました。残念だった。ローマでもっとも有名なエクソシストと一緒にミサをささげられたのに・・・このチャンスは二度とこないでしょう。内面は恐れたのかも・・・
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